ブログ、お休みしてました。


 
記録として記載します

私のために書きます

ありのままの思いを書きます。






このアメブロは

最初は


自分自身のために書いてました。


途中から

愛猫ナナ「寝子ねぇ様」として書きました。


 

寝子ねぇ様との生活で

私は生きる力になってました。


彼女、寝子ねぇ様のためになる事だけを思い

そのためならと それだけを

自分の人生のレールにして


寝子ねぇ様に合わせて 生きてたと、言えます。


所謂、依存的状態でありました。

 


心の支えでもあり

生きる力でもありました







1月7日に寝子ねぇ様、「ナナ」が

私の腕の中で 生き絶えました。


その現実を確りと受け止めてたのにも拘わらず


私の身体は思うようになりませんでした






心に穴が開きました

半身を抉られました


生きる力を失いました




体力も奪われました



知らず知らず、体重も下がり





寝子ねぇ様の居ない部屋の静寂と共に

私の脳内と、身体は硬直し



全ての時も止まりました





やるべき事が多々あるのに

やるべき事を
脳内が忘れてしまっていました

 





脳が枯渇しました



依存でもあり、ペットロス症候群でもありで



食欲も無く 眠ることもなく


ただ、ただ


もう、居ないのに


私の感覚がナナを探していて


鳴き声も足音も


姿、形を自然に探していて



ふと、何かがあるかのような、幻覚と


静寂の中で

聞こえないはずの幻聴も

ナナの鳴き声も


あるはずがないのに
 
 
いつものような

寝子ねぇ様としての存在を

幻覚、幻聴として


確かに、 そこに、傍にありました。




亡くなってからの2ヶ月は

ずっと、ずっと

私のまわりにありました





悲しみは癒えません

ナナが居ない現実の 辛さも、苦しみも


全てを分かっていても



どう足掻いても

現実が目の前にあっても
 


会いたくて、触りたくて

しかたありません



今日という日を迎えても

寂しさは、拭えないです




寝子ねぇ様、「ナナ」を

心から愛してました




依存と言われてもいい




本当に私の生きる力になってました






心に穴があくって

今の私は理解できます




もう、何も無くていいし


もう何も欲しくない

何も、いらない



もう、大切なモノを持ちたくない




そう

失う怖さを知ってたのに


友人も初代猫も
父も、大切な人をも亡くして

沢山、泣いて

沢山、辛さを、苦しさを知って



もう、大丈夫だと 思っていたのに



やっぱり無理で。




今の私は

寝子ねぇ様の幻影を追いかけていて


寝子ねぇ様を縛っている




自分で自分を苦しめているのも

本当に分かっています








泣かない私も居るのに



時に

大泣きして遺骨と遺影に

すがり、1日を過ごす時もあって


二重人格者のような1日を過ごしていたり




もう

本当に、今の私は、私なのか


本当の自分って何なのか

分からなくなる時もあって



こんなに苦しいなら

こんなに辛いのなら

悲しくて 寂しいなら



って…     思う時もあって。



それでも、日常は否応なしにやってきて。




  

思う存分、寝子ねぇ様への思いを
悲しみも、寂しさも

本当は  慕っていたいのに

  

現世に止めさせるかの如く

有り得ない困難が目の前にやってきて。



私という存在が

まだ、価値を持たせるかのように

必要と言われてるかのように




もう

背負いたくないのに

もう

全力で何かを成し遂げたくないのに





まだ、私は生かされている


そういう現実が 同時にありました
  







生きる力として  寝子ねぇ様に依存し




もう

これ以上の依存になる事柄は

私には無いだろうと思ってるのに


今の私は 生かされてる


何がなんでも生きなくてはならない




歯をくいしばってでも

踏ん張ってでも

1歩を踏み出さなければならい







もうね、本当に、本当に

全力で何かを成し遂げるなんて


もう、やりたくないんだ


疲れたんだよ、本当に。


もう疲れた



考えたくないし 背負いたくない




投げ出せるなら、逃げ出せるなら

消えて無くなりたい


本音はそうなんだ。本当に。






寝子ねぇ様が私の生き甲斐だったから。






こんな思いだから

私は、依存性で ペットロス症候群なんだって

もう1人の自分が理解している




この状態は

脳が枯渇している証

脳が枯渇すると 食欲不振になる


食欲不振、即ち食べれなくなると
体重が減る


体重が減ると
体力をゴリゴリに奪われる

体力低下と共に
自律神経が不調になり

全身の寒気、運動機能が低下となる


人間としての機能が、機能しなくなる


分かっているんだ、本当に。





心のエネルギーと身体のエネルギー




心のエネルギー源は 愛猫のナナだった。
 

身体のエネルギー源は 食べ物、運動、睡眠。



生きる源、即ちエネルギー源となるモノが

欠けるだけで バランスを崩してしまう
(ストレスとも言う)


バランスを崩すと 何もかも
自分が思うように動けなくなる


そういうの、
原理は 分かっているし、知っている


なのに、上手く整えられない自分がいる






ただ、ただ、悲しく、寂しく

上手く息が吸えない 




愛した分、愛された分
失う大きさは
比例するものなんだ




限りある命なのに
永遠であって欲しいと願うのは

エゴでしかないんだって

分かっているんだ。分かっている。




心の準備なんて いくらしてても

その日、その時には
なんにも、私には 役に立ちませんでした



後悔は 必ず、誰にでもある

あーすれば、こーすれば良かったと

過去を悔いても
現実には何も役に立ちません


反省、2度となど、いくら思っていても
愛猫「ナナ」が甦ることなどないって。

限りある命なんだって。




後悔は 付き物なんだって。





大切だからこそ 大事だからこそ

限りある命だからこそ

生きてる時に
思う存分、愛情を注ぎ

沢山の想い出を作り


限る時にへとの

覚悟はあったんだ、ちゃんとあったんだ。



なのに
私は、私の理解を越えた落ち込みをしている









初代愛猫の「ミック」
寝子ねぇ様「ナナ」

愛情を注いだ愛猫、2匹

もう、私はここで終わりにする


愛しすぎてしまうから


自分を犠牲にする事を躊躇なくやれてしまうから


そう、今は思っています。







いつか、いつの日か
 
こんなに苦しんでる自分に
 
笑って「馬鹿な私」と言えるよう


ここに記載します









寝子ねぇ様「ナナ」  ありがとう

大好きだよ

愛しているよ

私の所に来てくれて

本当に、本当に、ありがとう


一緒に過ごせた日々が
本当に幸せだったよ




 
もう少しだけ
待っててね

傍に行く時は必ず、見付けるから
 
その時は抱っこさせてね