お布団大好きっ子な

寝子ねぇ様(о´∀`о)


アタクシを追い出し
寝子ねぇ様はいつも寝てますw




本日のお題『告白』

自分の記録用に書きます
非常に長い文章です

お付き合い頂けたら
これ、幸いでありまするぅ
m(__)mm(__)mm(__)mm(__)mm(__)m




以前、「夏休みの宿題」編で書きましたように


アタクシは幼少時代から

人の話を聞くということに
不得意さがありました。

小学校の授業への態度も
外の景色を見てたり

黒板に書き出すチョークの先を見たり
水槽のメダカの動きを見たり

前に座ってる子の髪の毛を
じっと見て本数を数えたり

そんな態度での授業をしてたら
基本的な『学び』はおろそか


テストなんて
全く出来ませんでした


勉強に興味がなく
人への興味もなく

ただ自然に関する事をを眺めるのが
好きでいました。


それだけ何も学んでなかったら
中学は勿論、赤点赤点赤点…の嵐

アタクシの時代の先生たちは
「ザ、熱血」でありまして

手取り足取りと
丁寧に慎重に教えてくれてましたが

それでも勉学に興味は一切湧かず

    教師泣かせな生徒でもありました。


唯一得意であったのが
「体育」

これに目を向けてくださり
運動に特化した高校への入学を
当時の担任が駆使して
入学への道のりを作っていただき

泣きそうになってる担任を見て
こればかりは入学しなきゃと

猛攻に予習し受験競争に参加
ギリギリの合格であったのは
言うまでもない

高校へ入学しても
これだけ勉学の興味がなかった分
中学と同じ
成績は底辺でありまして

高校の担任は出来ないのならと
大学への薦めは一切ありませんでした

そこでアタクシは
荷が下りた思いもあり
自分から就職活動の申し出をし

クラス内、ただ一人の社会人の道を選びました
(進学校であって皆、大学、短大、専門へ行く)


社会人になっても
小学校から勉学の基本の「基」が無いため

苦労したのは当たり前でして。




アタクシは何が1番出来なかったかというと
『漢字』が書けないのです


読めますよ
このブログでも漢字は出てくるよう
読めるのです

しかし
書くとなると

脳から指先(ペンを持つ手)へ伝達する途中で

消えます


自分の名前さえも書けない


間違えます


この現象が本当に不思議で
とても辛くて
誰にも言えなくて


まわりの子、人たちは

スラスラと書いてる

黒板に書かれてる字を
ノートへ書き写すスピードも
あの書いてる音も

アタクシにとっては全てが苦痛でした




遥か昔、当時の時代では

そんな現象はただの「馬鹿」扱い

勉強が出来ない「馬鹿」

努力も出来ない「馬鹿」と。



アタクシは自分の事を
幼少時代から「馬鹿」で生まれて来たんだと

小学校の頃から自分自身を呪ってました





今の時代はそれらを

『学習障害』と位置付け

今では広く浸透され

個人を馬鹿にすることもなく

受け入れられる時代にもなりましたが



アタクシの時代にはありませんでした



容易に人を馬鹿扱いすると
それら全てに自信をなくします


全否定されてる思いでした



人として生きていていいのか

自分の命さえもいらないものなのか


世の中に必要のない自分、命なのか


自分を馬鹿にしてる人たちの世界を
滅亡しろとも常日頃から願っていたり



心の中に居るもう一人の自分が
小学校の頃からずっとそれらを囁いてました




現実にいる自分はそれを無視するために

耳を塞いで、自然ばかりを見てたり


またもう一人の自分から
逃げて逃げて逃げまくり

呪われてるもう一人の自分を
心の檻に閉じ込めたり



表向きには

世間には「馬鹿」であると矛、盾にして

出来ない事はやらないと
「逃避」癖が出来上がったのかなとも

今は当て嵌めて言えますw
(三つ子の魂100まで…ですな)







社会人になって当時はまだ
『学習障害』は浸透されてませんでした




しかし唯一、救いであったことは


就職した会社の上司が
「ゆっくり書けばいい」と
根気よくアタクシに付き合って教えてくださり

「焦り」を誘導せず自分のペースでと
いつも笑顔で寄り添って教えてくださり

残業にもなったのに
絶対にアタクシを「馬鹿」扱いしなかった


努力しろとも、頑張れとも
「焦り」に繋がる言葉は言わず


書けない漢字も
電話機の横にあるメモ帳へ
大きく書いて教えてもらい


アタクシは泣きながらいつも残業してました。



その上司には本当に感謝しかありません





アタクシの母様は幼少の頃から

『出来なくていい、ただ続けなさい』
『アンタは馬鹿じゃない』
『私(母)は馬鹿な子など産んでない』
と、鼓舞してくれてたのが

呪いはしてたが、自分自身を保つ
最後の砦でもありまして。


人よりも欠けてる部分を補うために
「努力」「頑張る」「全力」と
やって来たアタクシでしたが


近年の『学習障害』の浸透から

アタクシは自分の呪いを解くことも出来て


アタクシはアタクシだと

今は解放にも満ちてます




憎しみ、恨み、妬み等

また自分への全否定や
絶望感しかなかった思いと

全ての人生への諦めがあった

『漢字』への思いが


その自分自身で植え付けた呪いを

自分自身で外せる時が来るとは

あの幼少時代の自分に伝えたいぐらいです




「インナーチルドレン」とも言われてる

自分の中に居る小さな自分


自分の作った檻に自分を閉じ込め

鍵をかけて不自由にした自分を

アタクシは沢山慰めたいと思います






人は人と比べ

人は人にものを言い

人は人を陥れることも


ただ、一言だけでも

その人の人生を狂わせる事があります



『馬鹿』は心底嫌いな言葉です

この漢字は一生書けなくてもいいとさえ
思ってます



誰もがその人の人生を奪う権利などありません



人は人を変えることは出来ません



ただ

人は人を助ける事が出来ます




SMSが浸透してる世の中ですが

その便利なツールを取り扱う人の
モラルの問題と最近思うこともあり

様々な思いがありますが


このアタクシの経験が
ブログとして誰かの目に入り

手助けになれる『きっかけ』として

苦しんでる人たちへの資料になれればと
思ってます



学習障害である人

学習障害の人かもしれないと
身近に居る人、寄り添ってる人にも


お役にたてれれば、幸いです


そんな本日の『告白』でした。






長い文章のお付き合いをありがとうごさいました。