本も読んで、映画も見たのですが、

友達に「どうだった?」
と聞かれてすごく返答に迷う。


「めっちゃ良かったよ」とか
「泣けた」「感動した」とか
一言に集約するのを拒みたくなる。


高校生の甘酸っぱい青春物語では終わらず、
生きること、死ぬこと、人生、日常、人を想うこと...
普段考えもしなかったことにハッと気づかされる。


この記事でスポットライトを当てるのは、
“命の価値”について。
(他にも取り上げたいことあるけど、それはまた今度)


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病気で余命宣告されたら、一年しかないと思うか、まだ一年あると思うかは人それぞれだとして、
私は“1年後”、“この病気で”死ぬんだ
と皆思うだろう。たぶん。

まさか明日、通り魔事件に巻き込まれて人に殺されるなんて思わない。


こんな結末はリアリティがない。
でも可能性が0という訳ではない。
誰も、テロに巻き込まれるなんて思ってない。
自分に関係ないとは思わないけど、自分の身は守られてると思い込んでる。


少なくとも僕は、誰しもの明日が保証されていないという事実をはきちがえていた。
僕は、残り時間の少ない彼女には明日があるものだと当然のように思っていた。
まだ時間のある僕の明日は分からないけれど、もう時間のない彼女の明日は約束されていると思っていた。
なんて馬鹿げた理屈だ。


明日生きてるという保証はない。

病気の人も健康な人も、貧乏人も大富豪も、天才も凡人も、
世の中不平等だらけに見えて、
人の命は皆平等。


って、思っても
今すぐ仕事を辞めて死ぬまでに見たい絶景スポットに行く
なんてことは誰もしないと思う。


学校行って、バイトして、友達と遊んで、家でごろごろして、ただただ日常を続けるだけ。

でも、
もっと、その日常を大切にした方がいいと思う。

どのように大切にするかは人それぞれだけど、
私はまず、「いってきます」と「バイバイ」を言うときは、ちゃんと相手の顔を見て笑顔で言えるようになりたい。
明日死ぬかもしれないからとかそんな重い感じではなく、いかにも自然に。


そんなようなことが色々できたら、
もし明日死んでも未練はないんじゃないかな。たぶん。





まあごろごろしながらブログ書いてますが、
母が2階から呼んでるので
いつもより大きい声で「いただきます」って言ってきます。