※前回の続き



それからの山本船長は 

本格的に海洋冒険にのめり込んでいった



今度は竹の筏で世界一大きな海 太平洋を渡ってやろうと決心

自分で組んだ竹筏で 日本~アメリカ間に挑んだ


しかしこれは 出発後しばらくして嵐に遭遇

筏は壊れ

漂流の末に


金華山沖2000km の地点で 土佐のカツオ船に救出される。(実話)




その失敗から山本船長は 

その後単独の航海にこだわっていった


アジアの歴史と文化人類学に関心のあった山本船長は 

インドネシアを中心に東はマダガスカル島 西はイースター島まで
拡がる アジア独自の海洋文化 「アウトリガー船」に注目し
インドネシアへ渡る



1984年には サメに片足を囓られる という笑えるようで笑えない
事故に遭いながらも(実話)


ジャカルタからインドネシアの西端二アス島までの2000㎞を
アウトリガーカヌーで漕ぎ漕ぎ 単独航海を成功





そして3年後


1987年に
 

幅わずか1,4mのアウトリガー帆船(エンジン無し)で 

インドネシアからマダガスカルを目指して


「単独インド洋横断航海」に出た 




驚いたのはこの航海の時に 山本船長は海図もコンパスも何も持っていかなかったことだ



本人曰く 「波と風を信じる航海…」 



世界で3番目に大きいインド洋の上にたった一人 地図もコンパスもなく 食料はインスタントラーメンだけ!?

それもガスコンロが途中で壊れたため 食事はインスタントラーメンを
水でふやかしただけで食べる始末


単独航海では 眠ることを許されないので 

体を船の舵に縛り付けて ウトウトとするだけ


山本船長は航海の途中何度も 

船の横を 誰かが泳いでついてくる 幻覚を見たし

誰かがずっと 自分に話しかけてくる 声を聞いたと言う






嵐や高波に翻弄され 風に流され 

それでも 古代のアジア人は同じ船でマダガスカル島に辿り着いたんだ
現代人の自分にできないはずがない! 


という確固たる信念のもと インド洋を西に進むこと約3ヶ月… 







山本船長を乗せた アウトリガー帆船は 目的地マダガスカル島を
遙かにそれて通り越し インド洋の終点 


アフリカ大陸へと辿り着いた… 







それも運の悪いことに 当時 内戦中の ソマリア
流れ着いたのだ



威嚇射撃を受けて 船は没収 

というソマリア政府の素敵な歓迎式典を受けた山本船長は


ソマリアの拘置所に招待され

何日にもわたる入念な取り調べを受け
所持金のUSドルをほとんど進呈した後に 解放された… 


山本船長は

「連行されるときに 広大なアフリカの大地と 野生のキリンを見たんだ
  そん時に初めて インド洋を渡ってアフリカまで来たって実感したな」

と語る



意外な結末に なったものの 

山本船長は「単独インド洋横断航海」を本当に成し遂げた。



ソマリアの拘置所から解放された後 3ヶ月ぶりに鏡を見たら

今まで黒かった自分の髪の毛が全部 きれいに真っ白になっていた
ことには 本当に驚いたそうだ







山本船長の口癖は 

「海の上ならな 人間そんな簡単には死んだりはしないよ!」

僕とトウル君は山本船長のその言葉を信じているけれど
まだその本当の意味はわからない





海洋冒険家 山本良行 

我らが船長 38歳の頃の話。




その後 山本船長は 様々な海洋冒険や活動をサポートし 

自身もアジアの海洋文化や歴史を世界に広めるため 


2007年 「サンデック号 黒潮航海」 等で
何度か 日本~インドネシアの航海を成功させている



未だ衰えを知らない 61歳の海洋冒険家に 

「今までの航海で一番思い出深いのはどれですか?」 

と聞いてみた



山本船長は


「 それは Next one だ! 
    次の航海がきっと一番思い出深いものになるよ。」



「 そんな感じの有名な探検家のセリフがあってさ 
                一回言ってみたかったんだよ !」


と笑った。






海洋冒険家見習いの航海日誌