日本では終戦記念日を迎え 



どこのテレビ局でも第二次大戦を扱った番組を放送する時期ですね




昨日8月17日は インドネシアでは 「ムルテガ」と呼ばれる日


インドネシアの独立記念日です







日本の終戦と インドネシアの独立が どう関係あるの?


インドネシアと日本の歴史に詳しい方はおわかりでしょうが

とっても深い関係があるんですね





戦時中日本は 「アジア解放」という名目のもと西洋諸国に占領されていた 東南アジアの国々に攻め入り 侵略 占領していきます


オランダの植民地だったインドネシアにも

1942年 侵攻しわずか8日間でオランダ軍を破りました 


当時は「東インド」と呼ばれていた現在のインドネシアを日本の軍政指揮下に置きました 。



ここからは,歴史に訂正が加えられている日本の教科書では教えられていないことですが



日本軍はインドネシアを日本の軍政にしくものの、しかるべきのちにインドネシアを独立させるという方針を打ち出し


これをインドネシア人に対して約束し 協力を仰ぎます



日本軍はインドネシアから石油や食料などの資源を集め インドネシア人を労務者として徴用します



しかしその一方で



日本軍は実際に オランダ占領時代にはほとんど施されることのなかった 教育をインドネシア人に対して積極的に行い 学校を作りました


民族解放運動を行ったことでオランダ軍に逮捕 監禁されていたインドネシアの文化人達を解放し その活動を援助しました


その時に日本軍によって助けられた人物こそ 


インドネシアを独立に導いた英雄 

スカルノ 初代インドネシア共和国大統領です 

(有名なデビィ婦人の旦那様)





しかし戦局は厳しさを増し 


1945年8月15日 日本は連合国軍に降伏をします 


日本軍としての戦争は終わりました





しかしこのままでは

インドネシアに対して誓った 独立を助ける という約束を守ることができません


連合軍(主にオランダ)は当然のこととして インドネシアのオランダ返還を求めてきました



インドネシアの独立の為にはオランダとの戦争が必至だと見た 当時の日本兵達は このとき日本軍の兵士という立場を捨て 


インドネシアに残りインドネシアの独立戦争を共に戦うという
 

決意をするのです



日本人であることを捨て というよりも日本軍であることを捨て 一人の日本人として立ち上がり この独立戦争に参加した元日本軍兵の数は2000人に及びます

 

その一人である宮山滋夫さんが

インドネシア独立戦争に参加するため離隊した際の置手紙
です



  敢えて大命に抗して独自の行動にい出んとす



    言うなかれ敗戦の弱卒 天下に用なしと


    生を期して米英の走狗たらんよりは

    微哀に殉じて火による虫とならん


    天道は正義にあり 歴史の赴くところ正義にあらずして何ぞ


    敢えて不遜の行動に出ずるゆえん 乞うご容赦あらん事を










インドネシアとオランダの独立戦争は4年半に及びました

80万人の命が奪われ 2000人の元日本兵の内1000人が亡くなりました

各国の非難はオランダに集中し 

インドネシアの独立は世界に承認されることとなったのです







その後 戦争を生き残りインドネシアに残留した元日本人兵士は 国籍を取得してインドネシア人となりました  

彼らは感慨と尊敬を込めて「ジャピンド」 と呼ばれています 


戦後の日本はインドネシアの資源という援助で経済的に復興しました


僕はインドネシアを旅しながら いろいろな人に会いました



「日本の占領時代こそ 一番ひどい時代だった。」と話す人もいました

僕が日本人だと知ると 涙を流して「君が代」を歌ってくれた
おじいさんもいました。



戦争はひどい! 戦争は悪い! 当然のことをテレビや教科書は垂れ流しますが

なぜ戦ったのか なぜ戦わざるえなかったのか?

何と戦ったのか?



日本人がそれを知らないことは きっととても残念なこと


日本はアジアと共に生きていく と言われるこの時代

日本人であることを捨て アジアのために生きることのできる人間が必要をされているのだと思います



珍しく真面目なお話しちゃいました

あんまり関係がないようですが 

マジャパヒト号だってそんな両国の背景の上に航海にでてきてるんですもんね 


終戦記念日とインドネシアの独立記念日



そんな歴史に思いを馳せて

僕は 今日もまだ出航の見通しの立たないマジャパヒト号のデッキに 一人寂しくブラシをかけています。





海洋冒険家見習いの航海日誌