〜川尻サラ〜
妻のサラは白昼、自動車に轢かれて死んだ。
猛スピードでベビーカーに迫る自動車から息子を救おうと、ベビーカーを押し出した彼女が代わりに犠牲となった。妻のおかげで息子の「今」がある。警察の話では、ブレーキ痕がないことから相手ドライバーは事故時、既に心筋梗塞で絶命していた可能性が高いと言う。
事故の報を受けて俺が駆けつけた時、妻はまだ生きていた。それは、希望ある生ではなく、絶望しかない生だった。
背後が頑丈な壁だったこと、古い自動車で鉄製バンパーだったこと、そして寒い寒い冬だったこと、これらが偶然にも作用して、妻は腹部から下を挟まれたまま奇跡的に生を与えられていた。自動車を退かせば同時に彼女も絶命する。説明されずとも一目で理解できた。
救急隊の方は、機材の故障で自動車を動かすのに時間が掛かると言い、俺達2人をブルーシートで囲った。
「エイスケ…、ケントは?」
「健人は無事や。病院でサラを待ってる。一緒に迎えに行こう、な?」
祈るように力なく垂れる妻の手を握った。降り出した雪よりも冷たかった。
虚ろな瞳で俺を見つめる彼女は、いつまで経っても握り返してこない。
「…わたし…もう…、一生分…愛しちゃったの…かな?」
「なに言うてんねん。まだや。足りるわけないやろ。一生分はもっとたくさんや。もうしゃべらんでいい、すぐに助けてやるから。」
妻の凍える手を改めて強く握り直した。それから、刻々と冷たさを増すその手を温めようと、俺は何度も何度も息を吹きかけ、両手で覆う。俺の願いを他所に、彼女は空を見つめたまま、思い出をごく断片的に、そして無秩序に語り、やがてその手を冷え固まった蝋へと変えた。
一瞬の間をおいて、爪が食い込むほど力で俺の手を握り返してきた妻は、見開いた視線の隅に俺を見つけると最期の「言葉」を残して逝ってしまった。
ありきたりで、短くて、何度も聞いた言葉。妻にとっては挨拶のような言葉。
俺は、この言葉を妻に何回言ってあげられたのだろう。
俺がサラと初めて会ったのは高校2年の時。夏休みにイギリスへ語学留学した際、ホームステイでお世話になったご家族の娘さんがサラだ。彼女は当時まだ10歳だった。
社会人になると、今度は海外転勤の辞令によりイギリス再訪の機会を得る。そして渡英後初めての週末、俺は本当に何気なく、衝動的にふらっと、ロンドンから90キロほど南の港町、ブライトンを目指した。
車窓越しに見る懐かしのブライトンは、10年弱の歳月を経てもほとんど変わらない。ホームステイ先だったポーツレードもきっと変わってないのだろう、と嬉しいような、切ないような複雑な感情を胸に、俺は西行きラインへ足早に乗り換えた。衝動的にと言っておきながら、日本からの土産をリュックサックに忍ばせているのはご愛嬌。
最初に気づいたのはサラの方だ。
空席を探す視線の端に、微笑む若い女性が入り、俺も反射的に笑みを返す。彼女は少し丸みを帯びた目鼻立ちながら、とても可愛らしかった。そばかすも彼女の可愛らしさを引き立てるポイントと言える。
「そばかすか…、サラも多かったな…。」
窓を過ぎる町並みをぼんやりと見つめながら、幼いサラを思う。
はっとして振り返ったが、先ほどまで座っていた席にあの女性の姿はない。ガタガタッと座席を揺らして立ち上がった俺は、背後の席に深々と腰掛けるレディに窘められてしまった。
「Do you mind?」
アメリカ人はもっとダイレクトに言う。とてもイギリス的な文句の言い方だ。
非礼を詫びようと顔を向けた先で、可愛らしい「そばかす顔」が楽しそうに笑っていた。
この時から俺は、妻に恋していたのだと思う。
任期終了を半年後に控えた2年目の冬、思い切ってサラにプロポーズした。頼りの装備は、12本の薔薇の花束と少しだけ豪華な指輪。運命の決戦会場は…
スーパーマーケットの駐車場。
買いすぎたのが失敗だった。家に送ってからと思っていたのに、トランクを開けられて花束登場。なし崩し的に駐車場での決行となってしまった。
大勢の買い物客が見守る中、サラから1本の薔薇を返された時は、まさに人生最高の瞬間。嬉しさのあまり、そばで見守ってくれていた見知らぬ老紳士へ先に抱きついてしまい、さっそく怒られた。
"まもなく、北大路…"
車内アナウンスを合図に、緩めたネクタイの首元から、ペンダントヘッド代わりにしている9号サイズの指輪を取り出して左手に乗せる。体温を帯びる小さな指輪が、薬指の指輪に触れてカチリと鳴った。
「143…」
歳のせいなのか、最近の俺は独り言が多い。