「すげー。このサイズで垂れないって…、これが普通?」
「…チコ、偽乳疑惑。…明日のヘッドライン。」
「私だって若いころは、これくらいぷりんぷりんだったさ!あんたを産んでからと言うもの、見るも無残な…ううううぅ。」
「知らな……お!?」
「起きた!」
騒がしくも平和な声と、しゃらん、という心地よい音が、知子の眠りの扉を開いた。視界に入る全てが、聞こえてきた声と同じく眩しい。あの暗く、陰鬱とした歌舞伎町は夢だったのだろうか。いや、あれは紛れもなく現実。全身にズシリとのし掛かる重さが何よりの証拠だ。
明るさに慣れた知子を覗き込んでいたのは、見知った顔を含む4人の女性達。頭の上の知らない顔から、時計回りに知った顔が1つ、その反対側にも知った顔が並んで2つ続く。
「マリリン…?レイナっち…?ここは?」
知子の問いに、マリナは微笑んだまま何も言わず、レイナもまた口に左手を当てて、うしし、と笑うだけだった。
「おほん!…ここは!拙者の船でござる!ようこそ!井伊軍曹殿!」
2人の代わりに、猫目の少女が知子の後頭部に答えを投げつけた。少女が少しむくれたように見えるのは、目が合っていたのに無視されたせいであろう。
「…やっぱ、見間違いじゃなかったのかぁー。あっちに立ってるの…、マルセーラ…、だよね?」
口にしながら知子は、なぜか「さくら」の顔を思い浮かべていた。それくらい不細工な顔、と再び問うた知子の表情を形容しよう。レイナに、自分で確かめればー?、と意地悪く躱された知子は、さくらがよくする薄ら笑いのまま、向こうを、つまり「あっち」を向いた。
「…えーと。その節は色々と…」
「拙者、すぎたことは気にしないでござるよ。」
もごもごと動く知子の口に、人差し指を当ててから、猫目の少女、マルセーラがニヤリと笑った。しかし知子は知っている。口を押さえているマルセーラの指が、第一関節まで鼻の穴に入っていることを!
「あの…、指…。鼻に…、ずっぽり…。
てめぇ!わざとやってんだろ!」
いつもの調子を聞いて、マルセーラは、大丈夫そうでござるな、と満足げだ。
「レイナ、井伊おっぱいさんに状況を説明してくれ、でござる。」
鼻にずっぽり入っていた指でレイナを指名したマルセーラは、少しだけその指の臭いを嗅ぐと、大慌てでポケットにしまった。臭くねえし!良いおっぱいとか、わざとだろ!と騒ぐ知子に、マルセーラはしたり顔でまたニヤリと白い歯を見せる。
「おーけー。それでは!私、二階堂レイナが代表して、良いおっぱいさんに説明します!
ここは南米系レジスタンス、モリノ組の母船。マルセーラは、レジスタンスのボスで私達姉妹のボス。ほら、私達の家もヤクザじゃん?で、こっちのエロいおばさんが、先代のボスで、マルセーラのママ。ヴァンパイアとしては死んだようなもんだけど、実は生きてました!
なにその顔?分かりづらかった?もっと簡単に言うと、ここにいる私達全員がレジスタンスってこと。うしし、驚いた?」
しゃらんしゃらん、と目まぐるしく動くレイナの派手な説明も、ただ口をあんぐりと開けている知子には恐らく届いていまい。無駄話の多いレイナの話を、足りない部分やこの先も含めて解説すると、このようになる。
なによりもまず、ここに至った経緯を説明すべきか。
知子が逃げながら打っていた布石は、降らせていた「雨」そのものだった。雨を降らせる方法は単純だ。水道管から確保した水を四方の壁際まで走らせ、壁伝いに上へ。水が薄っすらと天井を満たしたら、操作をやめる。制御を失った天井の水は、ひとりでに落ちて雨になる。その後も、落ちてきた雨を再び壁際まで走らせて上へ、を繰り返せば、知子の操作が続く限り雨は降り続ける。布石はここからだ。身体を濡らす雨に、知子はコツコツと少しずつ唾液を染み込ませた。水に唾液を壁まで運ばせるため。地を走り、壁を伝い、水が天井から落ちる頃になると、唾液はスッカリなくなってしまうけれど、これで歌舞伎町を囲う壁を満遍なく脆くできる。この作戦を実行するにあたり、知子の脳裏に浮かんでいたのは、神河リオンだった。ベルセルクのバカげた一撃なら、脆くなった壁をきっと破れる。そう信じていた。むろん大量の水を連続操作するのは、それだけでかなりのVを消費するが、逃亡のため、背に腹はかえられなかった。
結果として壁を越えてきたのは、神河リオンではなく二階堂姉妹だったわけだが、Vマイクロム製の重火器を扱える姉妹だからこそ越えられた、と言える。姉妹は黒壁の「天辺ど真ん中」を突き破った。姉妹がど真ん中を狙った理由は、マリナ曰く…
「知子の弱点は、中心。…かっこ、さくら談、かっことじる。」
だそうだ。その後は、ボルシチとピロシキの活躍により、フードの相手から見事知子を救出。もともと合流する予定だったこの母船まで、助けたついでに知子を連れてきた、がことの顛末である。ボルシチとピロシキについては、後ほど姉妹から説明してもらおう。
なお、いちご狩りと黒壁を失ったSCUM/HUNTは、その日のうちにサービスを停止した。
二階堂姉妹の生家は、二階堂組と呼ばれる小さなヤクザを営んでおり、南米にまで分派を持つ巨大ヤクザ、モリノ組がその本家筋に当たる。それは表向きの話。モリノ組は、マルセーラの母レメディオスによって「レジスタンス」に生まれ変わり、二階堂組も同様にレジスタンスとなった。姉妹が東方騎士団に入ったのも、もともとは潜入捜査のため。姉妹が潜入した当時のレジスタンスのボスは、レメディオスだった。
しかし、姉妹がViPのメンバーに選ばれたことで状況は一変する。姉妹から得ていた情報が不定期、あるいは、不十分になってしまい、レジスタンスの動きが極端に制限されてしまった。姉妹の代替として潜入してきたのが、クーデターでレジスタンスの実権を握ったマルセーラだ。とはいえ、彼女の潜入はクーデター前から決まっていたようだが。
レメディオスの問いに、レイナは、うしし♪と片手のピースサインで、マリナは、黙って両手のピースサインで応える。
ヴィーストとは、ミュータントの「ヴィーストテイマー」が持つ固有能力で、Vマイクロムが本来の姿のままリアライズされた状態を指す。レイナ曰く、マリナのヴィーストが「ボルシチ」、レイナのヴィーストが「ピロシキ」、なのだとか。
ヴィーストと似た状態に、Vの自己意思で現れる脆弱なドッペルゲンガーがあるが、宿変えが目的のドッペルゲンガーとは根本が異なり、ヴィーストとなって現れても宿主との関係は継続する。ヴィーストがその活動に宿主の血を消費する特性から、宿主とVの信頼関係が強いヴィーストほど、強靭とされる。なお、ヴァンパイア界におけるヴィーストの認知度は、この上なく低い。
ヴァンパイア界最大を誇る騎士団のデータベース上、姉妹のVマイクロムは「赤のヤマネコ」と呼ばれる黒毛種で、データベースに初登録されたのは姉妹の入団と同時。このVは、例の雪山事故でヴィーストテイマーが2人に分化された際に生まれた特殊形態であり、ヴィーストテイマーの持つリアライズ能力だけを強く残した。
二階堂姉妹に作戦失敗が多かったのは、同時に2つの組織の指令をこなしていたことと、Vが本来の姿ではなかったこと、が理由として挙げられる。
「移ったなんてレベルじゃないから!2人とも戻った!」
「…2倍。」
「コレオス姉さん、まじスゲーから!」
両手のピースサインを、そのまま、ずいと突き出して4倍に見える相づちを打ったのはマリナだ。
レイナの言う「コレオス姉さん」とは、ロンドンに住んでいた金毛種のこと。もうすぐ200歳のはずだが、レイナは、まじ20歳、と彼女の美貌と若々しさを称賛する。
この世に並ぶ者なしと謳われる、ロンドンの金毛種、コレオス。東京の先代金毛種、玉藻前とロンドンのコレオスは、陰陽の関係にあったという。確信はなかったものの、彼女の能力が噂通りならば琴美の昏睡を解ける、と睨んだマルセーラは、中央騎士団に保護された彼女への接触を姉妹に命じた。そのたった1度の接触で、姉妹は本来の輝きを取り戻す。しかも2人同時に。この深夜の通販番組さながらのサービスは、コレオスが率先してやったのだという。
そして彼女は、力の満ちた姉妹にこう言った。
「みどもを攫うてたもれ。」
「それで?たもれたでござるか?」
終わりそうにないコレオス姉さんの素晴らしさ解説に辟易したマルセーラは、レイナの息つぎを狙って唐突に言った。
「えぼ…んんと、たもれてない!えぼ…」
「…黒幕はヤノーシュ。警備厳重。」
言いかけた言葉を飲み込み切れないレイナの代わりに続けたのはマリナ。
「ヤノーシュ。あのアゴ野郎か。」
応じたのは胸のハリが気になって仕方がないレメディオス。
「そうそう、アゴの人!あいつの狙いは、さくらの力だよ!」
「…ちな、玉藻を殺ったのも、アゴ。」
「アゴが人類をコントロールするつもり、ってとこまでは掴めたんだけど、肝心のゴールはまだ。」
「…たぶん、アゴの裏に神。…という、私達の直感。」
「とにかく!コレオス姉さんがさくらと鉢合わせしたら、地球はヤバイことになるって!」
「…という、私達の直感。」
「それと、マルセーラが気にしてた『フェアリーテイル』、騎士団にも調べてる奴らがいるみたい!状況はかなりひっ迫してるのかも!」
「…という、私達の直感。」
レイナとマリナのコンビネーション報告を聞いたマルセーラは、立てた船長服の襟越しに刃物のような眼光を覗かせる。
「レメディオス、2人に未来視を使え。断片的でも構わない、アゴの真意を!
拙者はこれとコレオスの救出に向かうゆえ、船は任せる。…裏切るなよ?」
娘のキツイ一言に母は、カラカラと笑い、豊かな胸をドンと叩いて応じた。
このとき、マルセーラは雪解けを感じていた。コレオスの能力とヤノーシュの野望。袋小路の中でやっと見つけた、この二筋の光明に。そして、生まれて初めて母を頼った自分に。
「これ、と言われましても…。
えーと、私…、その…、敵なんだけど?」
聞きたくもない話を聞かされた挙句、作戦に指名されてしまった良いおっぱいさんの運命やいかに!