「終わりだよ。あんたのナイトは2人とも死んだ。いまなら見逃してあげてもいい。」

 

 人の姿に戻ったルサールカ、井伊知子は、手に持った辛うじて人体の一部だと分かる物体を、まるで指し棒かの如く振った。

 道具と化したレンの脛骨から滴つ体液と肉片が、アゲハの額で小気味良い音を立てる。

 

 

「見逃す代わりに外の奴らに、このふざけたゲームの主催者に伝えて…、もう誰も来させるな!」

 

 声を荒げた知子に合わせ、軽やかに揺れるはずのトレードマークは、チグハグな様に終始した。

 それは当然と言える。アゲハの狙撃によって、知子はトレードマークであるテールを1つ失った。

 

 知子は不意の狙撃に備え、狙撃が成功したと見えるよう、衝撃を感知して爆発するウォーターボムを、ヘアゴム周辺に仕掛けていた。仮に髪が吹き飛んでも、後でVを回収すれば元に戻せる。むしろ派手に吹き飛んでもらわないと困るのだ。

 

 目隠しのために。

 

 知子は、足下に、つまりは地下に、水を集めながら移動していた。武器として利用するためもあるが、目的はむしろ防御用と言っていい。幸いなことに歌舞伎町には3次元的に水道管が張り巡らされており、水の確保は容易だ。万が一、狙撃された場合、集めておいた水が重要な役割を果たす。

 物質を溶かす唾液で体表をコーティングできるルサールカは、狙撃されても致命傷になることはない。だからこそ、狙撃、というイベントをチャンスに変えることが可能である。

 倒れ込む場所に、足下に忍ばせていた水を移動し、すぐさま水たまりを作る。そして、水しぶきが落ち着く前に、水で造形した像と自分が入れ替わる。それに濡れたと思わせれば、身代わりである水像の表面を覆う、微妙な光沢もカモフラージュ可能だ。これが知子の狙いだった。

 水しぶきにより視界を遮られた相手は、一瞬の入れ替えに気づくことなく、水像を屍だと思うだろう。もっともこれは、視野の狭いスコープ越しの相手に対してだからこそ、有効なトリックであり、吹き飛ぶ演出は、スナイパーの視野をさらに狭めるための保険、といえる。

 

 わずかな時間でも、相手に狙撃が成功したと思わせることができれば、作戦は成功と言える。狙撃で特定した位置に移動することはたやすい。ベルセルクやブリュンヒルド級の戦闘力を有さないルサールカにとって、戦力の分からない相手を殲滅するには、隙を突くことが何よりも重要なのだ。

 と、ここまでは読み通りだったものの、予期せぬパルス弾の衝撃により、右の毛髪は、演出などではなく、文字通り派手に吹き飛んだ。後で回収しても、結合剥離してしまったVはすでに死滅しているだろう。少なくとも今の状況は、トレードマークの消失を悲しむよりも、ボムのおかげで本体到達前にパルスを分離できた、不幸中の幸い、を喜ぶべきか。

 

 

「私を撃ったのはあんたでしょ?そのあんたを、あえて見逃してあげるっつてんの!」

 

 知子が人の姿で問いかけたのは、多少なりとも相手の罪悪感を刺激する目的があった。目の前で、バケモノに仲間2人を引きちぎられたのだ、恐怖は十二分だろう。現に面前の少女は恐怖に立ちすくんだままだ。少女にいま必要なのは、逃げ出すキッカケ。

 もっともこれは知子にとってブラフだった。できれば逃げ出してほしい、が本心に近い。

 

 知子の身体はいま、少しずつ結合剥離に侵されつつある。

 原因は、欠損分を補おうと摂取した、レンとケンゴの血液だ。彼らの血は、微量のパルスを帯びていた。おそらくは飲食による影響。ゲーム直前の飲食によるものなのか、日常的な飲食によるものなのか、そこまでは分からない。だが、もし日常食に起因しているならば、ヴァンパイアは今後一気に衰退する。

 対ヴァンパイア世界聖戦下の現在、各国政府からの血液供給は当然行われていない。度重なる戦闘でストックも残り僅か。つまり、一般兵がVマイクロムの栄養源を入手する、残された方法は…。

 

 数世紀前と同じ。

 貴重な栄養源は、穢れてしまったのか。

 

 

 

 液体と肉片の混ざり合った赤茶けた「レンのかけら」が、額から滑り落ちて、アゲハの鼻梁を伝う。
 

 

「…ふふ、ふふふ…ふはは!あはははははっ!」

 

 やがて上唇に達した「かけら」を、艶めかしく舌で舐めると、アゲハは声高らかに笑った。

 

 

「逃げろって?私に?目の前に獲物がいるのに?」

 

 アサルトライフルを持つアゲハの両腕に、血液が巡る。予兆を感じ取った知子は、再びルサールカを鼓舞した。

 

 

「くたばれ!バケモノがぁぁぁ!あぁぁあぁあっ!」

 

 わずか2m足らずの距離から、アサルトライフルがアゲハの叫びをかき消して唸りを上げる。

 自らの面前で起こる殺戮ショーの主役は自分なのだ、と感じた瞬間、アゲハは懐かしい「高揚感」に包まれた。

 

 

『あぁ、これ…、きもちいい…。』

 

 自分は「こういう人間」なんだ、と意識するたび、散らばる薬莢のメカニカルな殺戮音と、弾ける水のランダムな音、それと、相手から迸る何かしらの液体と、銃身から立ち込める湯気が、アゲハの身体を外と中から激しくまさぐる。

 

 残りの弾丸を撃ち尽くし、その場に、へたりと腰くだけたアゲハは、演技ではない、正真正銘のオーガズムを迎えていた。

 

 

「…はぁ、はぁ、はぁ…。い、いっちゃった…。」

 

 この程度の発言で数千万人の視聴者に性癖がバレたとは思えないが、多くの人に見られながら至ったことに、アゲハは先ほどのものとは少し異なる高揚感を覚えた。

 

 

『やっぱ私、変態なのかも…。』

 

 立ち上がろうにも、まったく力が入らない下半身をさすりながら、アゲハは「確定事項」に漫然と思いを巡らす。

 途中から降り出した謎の雨が、いまは火照った身体に心地よい。

 

 

 

「きゃは♪そんなによかった?」

 

 その場違いに明るい声が、アゲハの火照りを芯から冷ました。

 顔を上げずとも分かる。とんとんとん、と水たまりの上を濡れずに歩くその女が、誰なのか。

 

 

「今度はチコの番だね♪こっち見てー♪」

 

 反射的に顔を上げてしまったアゲハは見た。

 女が両手で作ったハートを起点に、空中でたゆる、バレーボール大の汚濁した水の塊を。その塊の中で形を失いつつある、無数の屑は…。

 

 

「せぇーの!ふぅー☆ふぅー☆」

 

 バカっぽくハートに息を吹きかける女は、瑞々しさで言えば、もはやアゲハに劣る。

 

 

「めろめろキス…」

 

 きゅっぽんん♪

 

 

 

「あぁぁぁぁああああぁぁぁぁ…」

 

 断末魔の叫びを最後まで届けることなく、アゲハ視点のカメラの信号は、ブツン…、と途絶えた。

 

 

 ブゥゥゥン…

 

 電気的な音を合図に、歌舞伎町の真っ黒な空が白く発光すると、満天が特大のパブリックビジョンへと変わった。

 

 

"GAME RESULT..."

"いちご狩り DEAD OUT..."

 

 映し出されたのは、ゴシック体で書かれた黒い文字。

 

 

"PRIZE ↑↑..."

"2M - USD"

 

"WHO'S NEXT...?"

 

 

「はは…、2億円相当のボディってか?ふざけろ…。」

 

 屋上に転がる男2人分足らずの屍を、めろめろキスの中に放り込んだ知子は、自分の評価を見るや否や、震える肩を隠すように雨の中へと消えた。

 

 

 

"マジか!いちご狩りがやられた!"

"敵の遠隔攻撃は反則だろ"

"俺の嫁がー"
"ブス死ね!"

"ブス!"

"今までにないタイプだな"

"ブス強えぇ!"

"胸はでかい"

"他にハントできるやついるか?"

"ハントできるやつ?決まってんじゃん"

"お前がいけ"

"だれ?"

 

 天空のディスプレイには、視聴者からたくさんのコメントが寄せられていた。

 


"ミカド"

 

"ふぁ!?生きてんの?"

 

"ミカド!"

"ミカド!"

"ミカド!"

"ミカド!"

"ミカド!"

"ミカド!"

"ミカド!"

 

 歌舞伎町の空は「ミカド」に埋め尽くされて、やがて黒くなった。この珍妙な光景を、ディスプレイ越しに見つめる、白衣の男。

 

 

「…出番だよ。お母さんを助けに行こう。」

 

 そう言って白衣の男が触れたのは、部屋の「隅」を占拠するほど巨大な筒。男の言葉に呼応して、筒が小さく1つ揺れた。

 

 

 

"NEW GAME START..."

"PLAYER IN..."

 

 明転した空に表示されたのは、ゲームスタートの報だった。

 

 

"TEAM NAME..."

"NONE"

 

 この瞬間、日本中が、いや、世界中がにわかに騒ついたという。

 

 

"CHECKING DNA CODE ...01181192112122"

"PLAYER NAME..."

 

 

"ミカド"

"RANKING...1st"

 

 王者の帰還に世界が沸いた。