仄暗いホテルシェーナの屋上で、アゲハはスコープサイトの中で動くピンク色に侮蔑の眼差しを向ける。
不意に暗む視界に顔を上げたアゲハは、原因を知るなり、その表情にまで侮蔑を露わにした。
「ケンゴぉ、遅ぇ。」
「うっせぇ。こっちは道渡んだから大目に見ろ。レン、合流したぞ。どうする?」
一呼吸おいて、レンからの通信が入る。
「2人とも、例のやつを装着してくれ。残弾はどれくらいある?」
ごく普通に会話しているが、衣服の擦れる音と風音が絶え間なく続いていることから、レンは目下移動中なのだろう。
「俺はフル60発。」
「私は9発撃った。」
律儀に弾倉を確認したケンゴとは対象的に、アゲハはスコープを覗いたまま言った。
「100発あれば、大丈夫だな。アゲハ、どう思う?」
「たぶんねー。あいつ、とろいし。」
レンからの再びの問いにも、アゲハはスコープを覗いたまま。
「装着したら、待機しててくれ。」
「りょ。」
「OK。」
通信を終えた後、やっとスコープから目を離したアゲハに、ケンゴは、ほらよ、と「例のもの」を渡した。
「あんがと。」
「お前さ、今日香水きつくねぇ?」
例のもの、「パルス・アプライ」を銃口に取り付けながら、ケンゴが言う。
「いつもと変わんないけど。」
ケンゴに一瞥もくれることなく、パルス・アプライを取り付けるアゲハに、ケンゴは、態度もいつもと変わってねぇ、と心の中で相槌を打つ。
パルス・アプライは、発射する弾丸にパルス性能を付与する新型装置である。
弾丸が銃口のアプライを通過するたび、弾丸自体に微量のパルスコーティングを施す。
アプライ1つでコーティングできる弾数は、標準弾倉10個分相当の、おおよそ300発。
弾丸1発あたりが帯びるパルスは微量であるものの、結合剥離効果により、特に狙わずとも対ヴァンパイアの殺傷能力は飛躍的に向上する。
SCUM/HUNTの公式サイトには、各ゲーム毎に最低4つ、最高8つのパルス・アプライを設置、と明記される。
なお、外見的には一般的な消音装置と変わらず、取り付け方法も概ね同じである。
「ところでよ。シェーナって屋上まで水が来てんのな。」
「んー?あー。そうねー。」
壊れた配管の先から細く落ちる水を、耳だけで認めたアゲハは、瞳をスコープサイトの先に戻して、そう応えた。
ーーーーー
ゲームが始まって25分。
スコープ越しに追い続けたアゲハなら、ターゲットの速度はモノにしただろう。アゲハの動体視力と順応性は並じゃない。
ケンゴもさすがだ。
ホテル街を縦横無尽に移動できる奴は、あいつ以外に居ない。高い捜索能力は、ケンゴの柔軟性と姿勢制御がなせる芸。
パルスは2つ確保した。
スナイパーのウォーミングアップもOK。
最後に俺が合流すれば、準備は完了する。
「モディの上に着いたぞ。これから、そっちに移る。」
ここからEXITまでの要所には、足場を作っておいた。
シェーナからこっちへも難所と言えるが、飛び移れる8階までロープでバイパスすればいい。
チームの退路を作るのは、跳躍と平衡感覚の優れる、俺にしかできない仕事だ。
「おっ、早いな。今日のはマジでとろいぜ?」
「ケンゴ、相手はヴァンパイアだ。油断するな。」
「OKOK!」
万が一、ここで撃ち漏らしたとしても俺達が死ぬことはない。
…ッ、タタタ…ッ…!
俺が屋上に手をかけたその時、通信機からくぐもった発射音が聴こえた。
「おい!どうした!?」
言ったのが先か、登り切ったのが先か。
「レン、ごめん…。我慢できなくて、ヘッドショットしちゃった…、へへへ。」
スコープから目を離したアゲハが、舌を出して笑う。
「おいおいおい!まじで?即死かよー!?」
俺に手を差し出していたケンゴが、俺から顔を背ける格好で叫んだ。
駆け寄る俺達に、アゲハはジェスチャーを交えて、こう言った。
「間違いないって。バァーン!て、脳みそハデに吹き出してたし。見てみ?」
スコープで確認した先には、全身ピンク色の、ツインテールだったらしい、少女の亡骸が確かに横たわっている。
頭部の損傷具合から、発射された3発全てが直撃したのだろう。
ヴァンパイア達は、パルスで受けた傷を修復できないと聞いた。
今回はそれを頭に3発だ。
アゲハの言う通り、即死と考えて間違いない。
「あぁ…、これは間違いない、な…。」
「ね?今日は楽勝だったじゃーん♪今日は私の半取りねー。」
「んー、まー。今日のレンはイイとこなしだったな!こーゆー日もある!仕方ない!」
ケンゴのいう通りだ。全て俺の取り越し苦労だった、それで良いじゃないか。
視聴者は満足できないかも知れないが、最後にシェーナの屋上でいつもの通り円陣を組んで終わろう。
「ン?雨?」
エアコンの室外機から飛び降りたアゲハが、真っ黒な空を見上げて言った。
俺の背中に悪寒が走る。
ここはSCUM/HUNTフィールド、全てが謎の黒壁に覆われた世界。循環システムを経由した無機質な風以外の自然現象など、起こるはずもない。
「ケンゴ!ターゲットだ!すぐに確認するぞ!」
「え?お、おい!さっき殺ったろ?」
「バッカ!フィールドで雨が降るか!」
半拍遅れたケンゴを踏み台に室外機に飛び乗った俺は、先ほどの屍体を探した。
「屍体が…、ある…。」
ごく自然に横たわる、ピンク色の少女。
「な?フィールド設定が変わったんだって……!」
ドン…ッ!
俺の腰をポンポンと叩く、ケンゴの手が止まらない。
「イヤーーーーーッ!ケンゴーーーッ!」
これまで1度も聞いたことがない、アゲハの叫び声。
振り返ると、俺を叩くケンゴに、頭はなかった。
「リ、パルスゥ?…ギィニメット、ルゥアヌォレ、ジィグルュイ!(パルスだと?…人間ども、ヴァンパイアなめるなよ!)」
ホテルシェーナの屋上に、雨音を伴って突如現れた、水「の」滴る、いい女。