「とんとんとんとん♪びげじぃた♪
とんとんとんとん♪こびじぃた♪
とんとんとんとん♪……」
「上手~!ママ、驚いちゃった!ね?パパもそう思うよね?」
柔らかな緑がどこまでも続く草原。そこにポツンと敷かれたレジャーシートの上で、娘が覚えたてのお遊戯を披露してくれた。初夏の陽と風を受けて、天然のポイントメッシュが入った、少しクセのある彼女の髪も、主に負けじと踊る。
娘は私の天使。まだ幼い彼女はチグハグな動きで踊り、デタラメな歌詞を舌ったらずに歌う。褒められると踊るのも忘れて満面の笑みを返してくる。
娘は、私と、愛しい彼の宝物。
「@:>、+#%F=!?」
彼の声はよく聴こえなかった。
空間のほとんどを金属が支配する部屋に並んで座る、お揃いの服を着た男が2人。その背中は酷くダレていた。背中の先には、巨大な筒が、こちらも並んで2つ。筒2つで部屋の1/3を占めるほどに大きい。
「先輩、こいつ、また夢見てますよ。」
「日課だ、気にするな。」
向かって左側に座る、短く刈り上げた髪が爽やかな若々しい背中の言葉に、頭頂部まで禿げ上がった肥満体型の背中はピクリともせず応えた。
「だって、4回目ですよ?」
「初日君にとっては新鮮か。ま、3日後には飽きてるだろうよ。」
肥満体型の背中はゴシップ雑誌に目を落としたまま、冷え切った豆乳ラテを口に運ぶ。
「そういうもんですか。一応波形確認します……、愛?
あれだけ大量の人を食っておいて、愛?こいつ、相当サイコですね。」
「…もう愛か、そろそろ昼飯だな。こいつは決まった時間に、決まった夢を見る。その感情は俺達に向けたものじゃねぇよ、娘がいるからな。」
まだ毛の残る後頭部が雑誌からケータリングランチのメニュー表へと興味を移して間も無く、肥満体型の背中は丸っこい腕を受話器に伸ばす。メニュー表を差し出された若々しい背中は、3行3列で計9つ並んだ写真の右上を遠慮がちに指差し、差した指でそのまま頭を掻いた。
「ご馳走様です。あぁ、こっちの…ですね。相当ヤバイとか?」
「自腹に決まってるだろ。そっちのアレな…、まだ1歳だって話だ。」
「1歳!?アレがですか?どう見たって…」
ギギギギギ…、ギィ…
「おっと!噂をすれば…、ご帰還だ。いいか、何があっても音を出すな。絶対だぞ!」
肥満体型の背中は、雑誌とメニュー表を机の一番下の引き出しに投げ込んで、すぐさま背筋を正した。若々しい背中も、隣りに倣って背筋を正す。若々しい背中の肩は、隣りに比べて5センチほど低い。
姿勢良く座る2人の背後で、この部屋唯一の出入口であるドアが、認証音を鳴らして静かに開いた。
ギギギ、と金属の擦れる音に混じって、ひたひた、と裸足の足音が部屋中を渡る。やがて足音が2人のすぐ後ろまで来ると、いずれの音も止まった。
「オティ?リオェナズ、シィォーダゥ?」
銀の鈴を転がしたような澄んだ声した。少女を思わせる声色ながら、発した言葉に助詞はなく、粗末で乳臭かった。もっとも、発せられた音の稚拙さなど、言語を解さない背筋を伸ばす2人に判断できようもないが。
「オティ?」
ギギギと金属音を鳴らして、鈴の音の君が2人の間に歩み出た。若々しい視界の右側がライトブルーに染まる。
鈴の音の君は、声の印象そのままに「少女」だった。歳の頃は2桁になりたてか。所々メッシュの入ったショートヘアが利発な印象だ。
東洋系の顔は若く見えるからローティーンかも知れない、と少女の身体を舐めるように見た若々しい背中は考えを改めた。そんな年頃の彼女が身に付ける、艶めくライトブルーのドレスは、どちらかといえば露出が高い。ノースリーブに腰まで開いた背中、太腿の前で重なるスカートは膝上丈ながら後ろが長いフィッシュテールになっていて足首まで隠れる。後ろから見れば上半身が、前から見れば下半身が、それぞれ多く露出する。もっとも彼女の背中は、折りたたまれた異形の翼に隠れ、ほとんど見ることはできない。
彼女が動くたび、透き通る絹のような若肌は危うさを増す。しかしそれは、誘うでもなく、隠すでもなく、自然体の結果に思える。
そう、彼女は性に無頓着なのだ。
ポタリ…、ポタ…、ポタリ…
若々しい背中は床を叩く不規則な音に視線を上げ、慌てて口を押さえた。声が出てしまわないよう、必死に指を咬んで堪える。
金属音の正体は彼女が手に持つ旧世代的な武器、ハルバードの柄が床に擦れる音。すなわち鉾は天井を向いている。その鉾先にアクセサリーの如く括られているのは毛髪同士を結ばれ、ひと連なりになった幾つもの人間の首だった。ハルバードの斬れ味が悪いのか、どれも切断面は乱雑で、中には頸椎が残っている首もある。
若々しい背中が声を殺した理由は、無残なアクセサリーだけのせいではない。首の中に見知った顔があったからだ。ちょうどこちらを向いている首の1つが同部屋の男の、それだった。彼とは今朝も連れ小便をしたし、見間違うはずもない。
何度も何度も件の筒に向かい鈴を転がした少女だったが、ついに彼女の求める応答はなかったと見える。彼女は小さくため息をつき、それから外した「アクセサリー」を、連なったまま肥満体型の背中の前に1つずつ順に並べた。
「オティ、シィォーダヘ。」
満面の笑みで鈴を大きく転がした少女は、ギギギと音を鳴らし、今度は若々しい背中の前に立つ。短く刈り上げられた頭に冷たい一瞥をくれた少女は、音もなく男の耳元に口を近づけ、こう言った。
「あなた、だれ?おいしそう…たべていい?」
たどたどしく少女が話したのは英語だった。肌を晒す少女が異性の耳元で囁く言葉としては至極官能的であるものの、彼女が「言葉通り」の意味で言っているのは男にも理解できる。それなのに、間近の少女に対して昂ぶる自分が理解できなかった。誓って男にその気の趣味はない。
いや、昂らない男がいるのだろうか。
それ程までに少女は美しかった。彼女には人種、文化、性別、年齢、それら全てを超越した美しさがある。不思議な事に、先ほどまで東洋系で少し幼い印象だったのに、今は生粋の西洋人に、加えて「十分な」年頃にしか見えない。
彼女の吐息が男の耳元からゆっくりと離れ、静かに頬を撫でる。至近距離で少女の肌を見た男は、絹では例え足りない、と思った。陶磁器のようでありながら、柔らかさと温もりも十二分に感じ取れる。もし触れる事が叶うなら、その手触りはあらゆる生物の皮膚被毛に勝るだろう。
少女が男の頬を舐めた。最初は舌先で、それから、じっくりと味わうように、舌全体で舐めた。不意に男の股間が猛々しく張り上がる。それ気づいた少女は視線を落とすと、妖艶に笑い、男の股間に手を伸ばし、弄り始めた。ズボンのジッパーを摘みながら顔を上げた少女は、男の耳に唇を当ててこう言った。
「おいしそう…。」
少女の吐息が再び男の耳元から離れた。しかし、2度目は頬で止まらず、焦らすようにゆっくりと、上目遣いに男を見つめながら下へ…
カチ…
小さな音がした次の瞬間、前の筒が開き、凄まじい勢いで飛び出してきた拘束具が少女の四肢と腰を捕らえる。細い身体が不自然に捩れるほど締め上げられた少女は、苦悶の表情と声を上げて筒の中に消えていった。
「初日君よ…、どんなビジョンを見せられてたのか知らんが、もう少しでご自慢のナニが無くなるところだったぞ。」
深く息を吐いてから、禿げ頭が、若々しく猛々しい腰辺りを見て言った。
「…え?え!?」
素っ頓狂な声で応え、慌てて股間を探しだす若々しい背中。
「まだ無くなっちゃいねぇよ。」
「アレは人の気配を感じると幻覚を見せてくるからな。動けなくして食うのさ。配属2日目だったか、俺も派手にやられたよ。
もっとも、俺が見た幻覚とお前が見た幻覚が同じとは限らん。とどのつまりアレの見せる幻覚が何かは誰も分からんのさ。
それとな、腹が減ってると幻覚なんざ見せずにいきなり食うから気をつけろ。その、なんだ、今日はラッキーだったな!」
「繰り返すが音は出すな。アミュレットを身につけてる限り、アレに俺達の姿は見えない。
だが、奴は音に敏感でな、僅かな音でも気づかれる。気づかれたら最後、食われるってわけさ。
幻覚に魅せられてたお前には分からんだろうが、生き伸びたければ理解しろ。」
「ああ、そうだ。昼飯を食い終わったら、俺の前に並んでるブツを分析チームに届けといてくれ。
どこから見つけてくるのか知らんが、あいつは決まって変な果物を持って来やがるんだよ。」
ご自慢のナニを無理やりズボンに閉じ込めた若々しい背中は、禿げ頭の前に整然と並べられた色とりどりのフルーツを見つめたまま、口をあんぐりと開けたマヌケ面で何度も、何度も頷いた。