耳をつんざく歓声に、思わず通信機を投げそうになった。
ViPサプライズライブ・イン・キプロスの開演を告げる歓声だ。聴覚のせいだろうけど、10センチ以上離しててもメッチャうるさい。
エルサレム新市街のメインストリート、ヤッフォ通りのお洒落なカフェで、親子3人水入らずのまったりティータイムを楽しんでいた私の顔は、この瞬間、ブサイク道の極み達していたと思う。と言っても、さすがに東洋人のままだと目立つので、オンセット状態でエキゾチックなブサイクママに変装中。
「ライブが始まったでござる。アダムとランチの時間(作戦A開始)だ。拙者達もキスしてくる(接触を開始する)。」
"コピー。お嬢様、くれぐれもお気をつけて。"
「お主もな、にんにんにんでござる!」
エキゾチックブサイクな私が眉間に皺を寄せながら通信機の傍受音声をミュートしたのとほぼ同時に、マルセーラちゃんから作戦開始の号令が下った。代表して応えたのは兵藤さんだ。彼女の語尾は、秘めた感情によりナンチャッテ度が増減する。今のは、みんな聞いてるのに「お嬢様って呼ばれると、やっぱ恥ずかしーぃ!」ってところかな?
「さくら殿、拙者についてきてくだされ。」
通りかかった店員に折り目のない200シェケル紙幣を渡したマルセーラちゃんは、椅子から飛び出した勢いそのままに南へ駆け出した。口の周りをクリームでベタベタにしながら黙々とロールケーキを食べ続けるララを抱き上げて、私も慌ただしく彼女の後を追う。
私は代金を払ってないけどさっきので足りてるんだよね?
琴美を「覚醒」させるため、私達はイスラエルに上陸した。
上陸地点はテルアビブとガザ地区の中間に位置する港湾都市、アシュドッド。国内港湾貨物量の60%以上を扱うイスラエル最大の港だ。エジプトでタンカーに乗り換えた私達は、商船を装って堂々と侵入した。上陸したのは戦える乗組員の約半数にあたる30名ほど。上陸後はそれぞれ数名単位のチームで行動していて、琴美を連れて嘆きの壁の地下に向かう精鋭3名と護衛1名がメイン部隊だ。他のメンバーはエルサレム市内の要所を、3名ずつ監視警戒に当たる。
乗組員達とは別にタクシー風の車でエルサレムを目指した私達親子3人は、ラトゥルンを経由するルートで北西からエルサレムに入った。途中でお土産買ったりしてたから、エルサレム到着は私達が一番最後だと思う。
全ては現地レジスタンスのお陰なんだろうけど、約70キロの旅程は観光旅行さながらに快適だった。
「琴美、そっちはどう?」
"うーん。ドキドキする。"
マルセーラちゃんの背中を見失わないよう気をつけながら、1キロちょっと南東の嘆きの壁にいる琴美と通信機越しの会話を楽しむ。
地下洞窟への入口が男性用区画にあるため、琴美は平ら胸を活用して超正統派ユダヤ教徒の少年に男装している。ヴァンパイアである私やマルセーラちゃんが護衛に参加していないのは、グラマラスすぎる、もしくは子連れ、というぐだぐだな理由による。
ちなみに、琴美達の変装はモミアゲが異常に長い。ヅラがずれてるのかと思ったら、なんと「超正統派ユダヤ教徒」は生まれてから一度もモミアゲを剃らないらしい。メイン部隊は全員モミアゲ。兵藤さんも超モミアゲ。これはもう、モミアゲ部隊。
まぁ、彼女がドキドキしているのは超モミアゲ付き変装のせいではなく、護衛がジェイクさんだからなんだけどね!超モミアゲだけど。
「モミアゲデート楽しんでね~♪」
"そんなんじゃないからー。やめてよー。"
通信機の向こうで頬を染めて鼻をヒクヒクする琴美の顔が浮かぶ。足並みを揃えるため、作戦開始前の通信機がグループ通話モードに設定されているのは言うまでもない。
キプロス共和国の首都、ニコシアでViPのライブが開催されると知ったマルセーラちゃんは、超ラッキー☆でざる♪と、驚く私に白い歯を見せてニンマリした。その場で驚いてたのは、琴美の正体を知らない騎士団に私達の行き先が分かるわけない、と安心しきっていた私だけで、マルセーラちゃんや兵藤さんは1週間以内に動いてくると予測してたようだ。これが2週間前のこと。
てゆーか、マルセーラちゃんて操舵室に居るときは海賊のキャプテンみたいなコートを羽織ってるんだけど、言葉はナンチャッテ忍者じゃん?でも実は魔女っ子じゃん?しかもカボチャじゃん?
…この娘が何キャラを目指してるのか、私にはサッパリ分かりません!
マルセーラちゃんは言った、ViPの出動は「超ラッキー☆」だと。
確かに、少数精鋭かつヴァンパイアのみで構成されるViPが相手なら大規模な戦闘には発展しないだろうし、彼女達のライブ中に作戦を実行すれば、邪魔されることもない。
それに加えて、騎士団にはViPを使う理由、つまり大挙して動けない理由があり、援軍を送ってくる可能性も低い。
騎士団が秘密裏に動く理由、それは、私とルイズさんにある。ガルシアさんがハッキングしたところ、データベース上の「田中さくら」は、いまだ「産休中」かつ「准尉」であり、どこにも手配中とは書かれていない。ルイズさんもデータ上はまだ生きている。つまり、どちらの情報も公になっていないのだ。
しかも、今回のライブ会場は海路で350キロ以上も離れた隣国のキプロス。銀毛種のデモネスがいくら速く動けようとも、350キロの距離を時差なく移動するのは不可能。
要するに「ライブ中は超安全」ってこと!
ちなみにキプロスは、イギリス連邦およびEUに加盟するキプロス共和国と、トルコのみが国家承認する北キプロスが共存する地中海東部の島国。表社会では南北分裂状態にある両キプロスだけど、他の地中海東部諸国と同様、裏社会では両キプロス共に王国騎士団と密月の関係を築いている…。
と偉そうに語る私は、説明されるまでキプロスをお菓子か何かだと思っていた。
"突入します。"
''え!?普通にドアあるんだけどww"
「ゲームじゃないんだから、現実はそういうもん!いってら☆」
特にカギを破壊するような音もなく、琴美達5人は地下洞窟へのドアを越えた。
"オールクリア。量子マッピング開始します。"
"電気も点いてるー!めっちゃ普通の廊下!"
琴美のテンションが違いすぎて、マジメに任務を遂行している部隊の方々が逆にバカっぽい。
"マッピング結果送信。目標地点まで直線距離202、通路長2135、高低差146。"
「螺旋通路…厄介でござるな。ナイフとフォーク(ショックガン)の使用を許可する。ただし!騎士団以外と交戦禁止。これよりグループ通話を解除する。以後は必要に応じて呼べ。」
"コピー。"
古ぼけたパン屋さんの前で足を止めたマルセーラちゃんの声は、通信機を介さず耳に届いた。
「マルセーラちゃん、速過ぎっ!こっちはララが一緒なんだから、もっとゆっくり走って!」
「?ゆっくり走ったつもりでござるよ?」
ララを小脇に抱え、肩で息をする私とは対照的に、ハンドポケットの彼女はとても涼しげだ。
「…今度からは早歩きで!」
マルセーラちゃんが分身するくらい速く動けるの忘れてた。私ごときが彼女を見失わずに追いかけられた時点で相当「ゆっくり」だわ。
「ママ、ちっち、でる。」
「え?いま!?マルセーラちゃん、この辺にトイレある?」
「初めての街故、知らないでござるよ。店で借りたらいい。」
「初めて!?だったら、なおさらゆっく…」
おばさんぽい私の小言は、さっさと店に入ってしまった彼女が鳴らした、歪なドアベルに遮られた。ララのおしっこが心配な私は、それ以上何も言わず彼女に続く。
育児に非協力的な旦那様を持つとこんな感じなんだろうか?
カ…ンカラン…。
佇まいだけでなく、ドアやドアベルからもパン屋さんの歴史をうかがい知ることができた。ドアベルに至っては、割れているのか2つあるベルの片方が鳴らない。
佇まいの割に、店内は食品を扱うだけあって明るく、清潔だった。店先に突き出した大きめの屋根が、中東の強い直射日光を遮りつつも、パンをより美味しく見せる、適度な灯りを演出している。
芳ばしいパンの香りに包まれて、ララの口から条件反射的にバタバタと涎が滴り始める。
「やばい!ララ、先にちっちしようね?…え、えーと、アウトプットのダイアルを…」
「店主を頼む。モリノが来たと伝えてくれ。…それと、アレにトイレをお借りしたい。」
もたもたする私を他所に、マルセーラちゃんが用件を手短に伝えた。そんな事より、実の娘を顎で「アレ」って、ずいぶんアレだな!
私達を笑顔で迎えてくれた太めの女性店員さんは、マルセーラちゃんの言葉を聞くなり、ギョッとした顔で3度大きく頷くと、奥へ、それこそ逃げ出すように走り出した。マルセーラちゃんが店員に話し掛けた言語は、間違いなくヴァンパイア語だった。
数秒の間を置いて再び顔を出した女性は、恐る恐る掌でララを指し、それから自分が入っていったドアとは違う、カウンター越しに見て、逆に位置する木製のドアへと掌を移した。
「トイレはあっちでござるな。拙者の用件は少し時間が掛かる。うんこしたら、そのまま裏口から出て、路地裏で待ってて欲しいなり。」
「分かった。ララ、ちっちはあっちだって。つーか、うんこじゃねーし!」
「ちっち、いく。」
涎をじゅるりと啜り上げたララの背中に手を回し、いそいそと木製のドアに向かう。
「念のため傍受モードにして状況把握を。変化があれば全員に知らせて欲しいでござる。」
美味しそうなパンを守り抜いた私の肩に、マルセーラがキツめ命令口調で言った。敢えての命令口調に、任務とは言えViPのライブを聴かなければならない私の心情を慮る、彼女なりの優しさを感じる。
「はいはーい♪」
笑顔で振り返ったつもりだったけど、いつにも増してブサイクな顔になっていたと思う。
「ちっち、出た?」
「ちっち、でた。つぎ、うんち。」
「うんこ、すんのかいっ!」
便座の両脇に手を着いて、前ギリギリにちょこんと腰掛けるララは、そう言って遥か彼方の宇宙を見るような遠い目をし始めた。娘は、毎食、大人顔負けの量を食べ、羨ましいくらい出す。私は、これからこの個室に充満するであろう臭いに備えて、鼻をつまんだ。
ララの成長は本当に早くて、生後2週間足らずで卒にゅ…卒血した。まだ生後3週間のはずなのに、もうお喋りも上手だし、かなりアクティブに走り回る。成長というか、変化のタイミングは決まっていて睡眠中に変わる。寝て起きると目に見えて大きくなってたり、歯が生え揃ってたり、そんなの当たり前。
身体的にはすでに人間の2歳相当らしく、知能は更に先行していて、3~4歳なんだとか。このままだと某小学生名探偵のコNン君みたいになるんじゃないかと、ちょっと心配。
知能が発達した今でも、お腹が空くと「知らない人を襲おうとする」ので、血の欲求はかなり根深いものなんだと思う。ニトログリセリンのような娘の食欲を満たすため、私のマザーズバッグは、少しの着替え以外、大部分を食料に占拠されている。
ここまで成長が早いって騎士団は知らないだろうから、仮に奪還できたとしても説明に困るだろうねぇ。
「でた♪ふいてー。」
「まだ自分で拭けないのー?」
「とどなない。」
「届かないだよ。そっかー。ララちゃんのお手てはまだちっちゃいもんねー。」
娘の世話をしていると自分が母になったのだと実感する。いつも笑顔でいられる訳じゃないけど、少しでも我が子の支えでありたいと思うだけで、自然と笑顔になれる。
だけど、娘が笑顔を見せるのは稀だ。早熟の知能がそうさせるのか、はたまた、決して平和とは言えない環境のせいか。
「はい、キレイキレイ♪マルセーラちゃんはお仕事だから、お外で待ってようね。」
「まるせーら、しごとー。らら、おそと、いくー。」
裏口を出た私達を風が撫でた。その風は、表通りの賑やかさが虚構であると言わんばかりに、冷たい感情を乗せて流れていく。
去り際の風に、通信機から聴こえる楽しげな音楽もまた虚構である、そう言われた気がして、何故か胸くそが悪くなった。私の頭にキラキラと輝く神河さんが浮かんでは消えた。
「こんにちは。」
風の止んだ路地から幼い声がした。声に反応してララが私のスカートの裾をギュッと掴む。
ゴミ箱の陰から覗く、土だらけの顔が声の主だと知るのにさほど時間は掛からなかった。顔に対する瞳の占める割合から、まだ幼児と呼ばれる年頃だと分かる。
「こんにちは。あなたはこの辺の子?」
私は通信機のアウトプットを「現在地」に合わせて話しかけた。こうすれば、私の声はノイズキャンセルされ、合成された現地言語がスピーカーから出力される。声量や声色はキャンセルした私の声を元にしているので、至近距離でなければ合成音声だと気づかないはずだ。
「ここがおウチ。」
路地裏の幼児は、路の中央に立って両手を大きく広げた。
小さなウサギのぬいぐるみを手に持ち、油っぽい栗毛を結わいた幼児は、彼女だった。
「広いお家で良いね♪パパとママは?」
「パパはアメリカ。ママはおしごと。わたしはエレナ。おばさんたちは?」
軍人の落とし胤なんだろう。家もなく、父もなく、彼女はただひたすらに、この路地裏で母の帰りを待つ毎日を送っているのか。
てゆーか、いま「おばさん」て呼ばれた…。確かに子連れだけど、おばさんは早くね?
「私は、サクラ。こっちは娘のララ。よろしくね。」
「よろしく。サクラ?にほんの人?」
「お祖母ちゃんがね。家はテルアビブだよ。」
まずった。相手が子供だからって本名を言ってしまった。何の為にエキゾチックブサイクに変装してるのか分かったもんじゃない。
イスラエル入りする前、念を押されていた。ここは、地球上で最も「神」の力が強い国だと。特にエルサレムは、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地。そのど真ん中で本名を明かすなど、例え子供相手でもバカ丸出しだ。
「ふーん。わたしはココしかしらない。ララちゃん、あそぼ?」
路地裏の幼女に他意があるはずもないけど、状況が悪化しなかった事に、私は胸を撫で下ろした。今の会話が大通りだったら、正直どうなっていたか分からない。
「いいよ、遊んでおいで。」
クイクイっと裾を引っ張って遊びたいアピールをするララの前にしゃがみ込んだ私は、娘の服を正すふりをして、遊ぶだけ食べちゃダメ、と小声で念を押す。
通信機から聴こえるRICAとLIONの楽しげな歌声が、手を取りはしゃぐ路地裏の2人に重なって、私はひどくイラついた。