シロナガス君1号は、何気に世界最大の深海潜水艇だったりする。
 全長185メートル、胴体幅25メートル、乗員数115名。艇と呼ぶには大きすぎだけど、絶対に戦闘はしない、という誓いから「あえて」潜水艇と呼んでいるとか。もちろん非武装船舶だ。
 ちなみに、実物のシロナガスクジラは全長25メートルくらいなのでこんなにデカくない。

 潜水性能の凄さを測る知識を持ち合わせてないから何とも言えないけど、平均潜行深度は計算上5000メートルだ、とマルセーラちゃんが自慢げに言っていた。未踏破の海底は1ヶ所だけ、とも言ってたし、相当スゲェ性能なんだろうね。

 そんなシロナガス君の内部はとても静かだ。あ、でも、外側は超音波のせいで超うるさい…と感じるのは私だけで、普通の人には聴こえない周波数だから、みんなは外側も静かだと思ってる。

 静かなのは、シロナガス君が「エンジンを積んでいない」から。

 NOエンジンでどうやって進んでるのか、私に質問されたマルセーラちゃんは、クジラだから泳ぐのでござる、とだけ言い、小冊子『乗組員の友』を渡してきた。
 説明が面倒だから自分で読めってことね?そうことにしとけば良いのね?

 シロナガス君は尻尾やヒレを動かして進む。

 問題はヒレを動かす動力なんだけど、その点は、外殻ボディに使われてる「2次元構造物質」とかいう素材がポイントになる。この2次元物質は、3次元空間で状態を維持するため、ナノレベルで常時ウネウネしている。そのウネウネが電気エネルギーに変換できるらしい。1平方メートルあたり約100キロワット相当ってことなので、シロナガス君の表面積全体だと…、数百メガワット級!
 あと、酸素と水の補給は、大きなお口で海水を吸い込むだけでOK。緞帳みたいなヒゲが、溶存酸素と水酸化水素、つまりは「みず」を分離・誘導する「超高性能な8層フィルター」になってるんだって。あ、やべぇ、フィルターに穴開けちゃったじゃん。

 余剰な海水や不要物質は上部排出孔から…、要するに、クジラだから潮を吹くってことね。
 最後にオマケ。乗組員が搭乗するのは口からで、出る時は後ろの円形ハッチから…。そこにリアリティーは要らん!


 全く興味の湧かない『乗組員の友』を斜め読みする視線の隅で、ララの丸っこい背中が楽しそうに動き続ける。かれこれ2時間以上も積木遊びしてるけど飽きないんだねぇ。
 てか、後頭部越しに見える「ぷにほっぺ」が堪らん!カプッてしたい。


「お待たせ~♪」

 耳馴染みの良い声に顔を傾けると、両手に湯気立つマグカップを持った琴美が、重いホールのドアを足で開けていた。笑顔が引きつるくらい大変ならお盆を使おうぜ!


「エスプレッソマシーンの使い方が分かんなくて。」

「通信機つけてんだから呼べば良いじゃん。」

「良いの、良いの。さくらはララちゃんから目が離せないんだから。」

 彼女はララの背中に視線を向けたままテーブルにマグカップを置き、ほっとした顔で私の右隣に腰掛けてから、デカフェだよ、と言った。私の前に置かれた、甘い香りの立ち上がるピンク色のマグを覗くと、可愛らしいラテアートが見えた。


「なにこれー♪カワイィ!カエルくん?」



「…く、くまちゃん、なんだけど…。」

 琴美が超絶不器用なの忘れてた。


「あ、あぁー、ク、クマかぁー、そぅ言われればー…って、どこが!?どう見てもカエルじゃん!脚がピョン!ってするよ、これ!?」

「だよねー。」

 口癖を言いながら頭を掻く琴美と目が合った。それから、どちらともなく笑い出して、2人してお腹を抱えて笑った。母親の笑う姿をララは不思議そうに見つめている。
 琴美と目を合わせるのはとても久しぶりだ。この船で彼女と再会して以来、私は琴美を見るのが怖かった。彼女だけじゃない。家族だろうと誰だろうと、とにかく人間を見るのが怖い。

 私は、頭のどこかで人間を「食料」として見ている。何かの拍子にまた意識を失ったら、私は間違いなく周りの人達を食べるだろう。
 今だって、私は笑いながら琴美の味を想像してやまない。危険極まりないこの生理現象が、ララへの授乳ならぬ「授血」に伴う一時的なものであることを切に願う。


「ララちゃんのお父さんて、どんな人だったの?」

 もしかして、聞いてない?巫女の末裔って重要人物なんじゃねーの?
 うわー、これは何て答えたら良いんだよぉぉぉ。
 親友だから真実伝えちゃって良いの?それとも、黙っといた方が良いの?


「あ…ごめん。亡くなって間もないんだよね…。」

 私の悩む顔を神妙な面持ちと勘違いした琴美は、平ら胸の前で両手を大きく振り、今のナシ!と、ありがた自分勝手に話を切り替えた。今回は自分のブサイク顔に助けられたってことだね。
 てゆーか、前回モールで会ってから数ヶ月で出産したことは気にならないのかしら…?


「あの…えっと…、さくらって、ヴァンパイア?なんだよね?」

「そだょ。私は金毛種で、ブリュンヒルドって不死身の女神!」

 ここぞとばかりに「女神」を主張したのは言うまでもない。


「…産まれつき?それとも…、やっぱり、おじさんか、おばさんから?」
 

 


「………ぷっ!ぷははははっ!違うよぉ。ウチの家族が血ぃ吸ってんの見たことある?」

 琴美の考えている事が分かった途端、思わず笑ってしまった。大笑いされてキョトン顔なのに、彼女はフルメイクの私よりずっと可愛い。
 琴美は定説通りのヴァンパイアをイメージしている。大方、母から「さくらはヴァンパイアだ」と中途半端に事実を聞いたのだろう。だとすれば、彼女は「私がヴァンパイアに噛まれて変化した」と考えているはずだ。噛まれて変わった点は合ってるけど、彼女のイメージしているようなパンデミックは起こらない。

 最初に「産まれつきか」と聞いてきたのは赤ちゃんヴァンパイアのララがいるからで、遺伝の可能性を気にしてのこと。とどのつまり、彼女はこう考えている。

 どうせ噛まれるなら、不気味な私のタイプではなく、可愛らしいマルセーラちゃんのタイプが良い、と。


「うひひひ。あのね、ヴァンパイアって、病気じゃなくて宇宙人なんだよー。」

 いつもの事ながら言葉選びを間違えたと思う。
 琴美の中で「私=宇宙人」になってしまい、誤解を解くのに15分くらい掛かってしまった。
 

 


「さくらやマルセーラちゃんの身体の中には、そのVって宇宙生物がいるってこと?」

「うん。自分ではよく分かんないけど。」

「ララちゃんにも?」

 パンデミックが起こらない理由に、Vマイクロムの「継承性」を説いていた私は言葉に詰まった。
 どう考えてもララの存在はおかしい。私が説明した通りなら、ララは私からVを継承して初めてヴァンパイアになるはずだ。


「うん。…ララは産まれた時からヴァンパイアなんだ。」

 どう説明して良いのか分からなくて、事実を伝える事しかできなかった。


「そっか。ララちゃんはVまで旦那さんの忘れ形見なんだね!」

 そう来たかぁ。琴美のお人好しっぷりには脱帽っすね!
 それって、旦那もヴァンパイアでした~、ララは旦那が死ぬ間際にできた子供です~、旦那が死にました~、旦那のVマイクロムがお腹の中のララに継承されました~、って結論でしょ?
 またもや琴美のありがた自分勝手な思考回路に救われた格好だ。


「あー、それにしても残念だなぁ。私はマルセーラちゃんみたいになれないんだぁ。」

「ヴァンパイアになんか、ならない方が良いよ……。私みたいなデザインになっちゃうかも知れないし。」

「だよねー。」

 人間が食料に見えてくるから、という本心は口に出さずに飲み込んだ。
 てか、そこで「だよねー」は地味に傷つくから!


「それよりさ、巫女ってどんなのか聞いてる?」

「うーんと…兵藤さんは、ヴァンパイアを封じる者?って言ってた。そのために、覚醒?が必要だって。」

「覚醒ねぇ…。」

 私の知る巫女は、最初の戦いで初代ドラキュラと共に蜂起し、超常的な加護の力でドラキュラとヴァンパイアに勝利をもたらした存在。その後も、歴代のドラキュラは初代と同じように、やはり歴代の巫女の加護を受けて神を退けてきたはずだ。いま聞いた話と先のマルセーラちゃんの宣言を参考にすると、巫女はヴァンパイアを封印する力を持っていることになる。これまでに知った伝承と辻褄が合わない。
 それともう1つ。巫女とは関係ないけど、わざわざ詩で語り継がれている女神とは何なのか。一体誰が女神の詩を残したのか…。奇しくも重なる、3人ずつの巫女と女神。考えれば考えるほど、謎が深まっていく。ど真ん中にあるはずの1番重要なピースが丸っと抜け落ちてる感じだ。
 霧島リカ中尉率いるViPの動向も気になる。スポットライトの裏で任務を遂行する彼女達が、私とマルセーラちゃんを追跡してくるのは必至。謎多き銀毛種のデモネス、黒毛種最強のベルセルク、乳が取り柄のルサールカ、彼女達3人の目的は、裏切者の始末と新種の奪取…。

 私とララは、無事に追跡を逃れ、失われたピースを、いや、真実を見つける事ができるのだろうか…と、妄想を楽しんでいる私。


「妄想中のとこ悪いけど、ララちゃんが来たよ。」

 さすが腐れ縁の琴美。彼女曰く、妄想中の私は右眉毛だけピクピク動くらしい。


「なぃないのー?」

 早くも言葉を覚え始めた娘が、私の傍にしっかりと立って言った。親の私ですら信じられない成長速度だ。


「ララ、どうしたの?お腹すいた?」

「なぃなぃのー?」

「ん?なに?」

「なぃのー?」

 娘は、すっかり冷え切ってしまったマグカップを、小さな掌で必死に叩いている。


「あぁ、コーヒーはダメだよ。にがいよぉ~。おノド渇いた?ジュース飲もうか♪」

「いがー?こーぃー。」

「うん、そう。コーヒーは、にがい。はい、ジュース。どうぞ。」

「どぉぞぉ。」

 くせ毛越しのぷにほっぺが、コキュンコキュンと美味しそうに中身を飲み干していく。倒しても溢れにくいベビーマグのハンドルをワシっと掴んだ両手は超丸い…「ドラEもん」みたい。
 ちなみに、中身は搾乳機で搾っておいた「私の母血」だ…、ぼけつ、ぼち、ははけつ、ははち、どんな読み方をしてもイマイチだけど、ここはあえて「ははけつ」で!ジュースと呼んだのは呼びやすいからで、琴美に気を遣ったわけじゃない。


「ごまんごーぃたー。」

「はい。ごちそうさまでした。」


「いがー。こーぃー。なーぃ。」

 新しく覚えた言葉を何度も繰り返しながら、ララはまた積木のところへ戻って行った。ヴァンパイアの赤ちゃんは、身体よりも脳の発育の方が早い印象だ。娘の驚速成長を誰も気にしないのは、やっぱりヴァンパイアの赤ちゃんだからなんだろうか。
 そんなことより、歩くたびに揺れるぷにほっぺは、誰かさんの乳より数万倍ぷるんぷるん♪


 思い通りに行かない積木で試行錯誤するララの小さな後ろ姿を見て思う。娘には自分らしく「歩く人」になって欲しい、と。

 

 世界は、自分も含め、ゲームプレイヤーのように一歩引いた目線でしか物事を捉えられない人達で埋め尽くされてしまった。

 有利な道、楽な道を探す事ばかりに終始して、一番肝心な「歩く事」を忘れてしまった人々が溢れる世界。私自身がそうであるように、いざ道を見つけても、人々は歩く事すらままならない。ちょっと小石につまづいただけなのに、今度は血眼になってリセットボタンを探す。リセットなんて、できやしないのに。
 自分が死ねないと分かってからの私は、いつも、どこかにあるはずの電源ボタンを探していた。リセットボタンじゃなくて、電源ボタン。それは、いざとなったら死んで逃げる、という思考の表れに他ならない。むろんララが生まれた今は違う。世界の覇者に、電源ボタンを押せ、と言われても絶対に押してやるもんか!

 

 死ねない事をリセットと考える人が居るだろうか。残念だけど、それは大間違いだ。

 不死、すなわちそれは、絶対に逃げられない事を意味する。

 

 何度生き返ったって、何度やり直したって、一度味わった恐怖、苦痛、後悔は消えず、他人からの憎悪や蔑み、そして悲しみも永遠に背負う。これがどれほど恐ろしいことか。この事実に気づいた時、不死者は、人生そのものが絶望に変わる。人である以上、大なり小なりみんな同じなのかも知れない。だけど、人ならば、ヴァンパイアならば、死をもって、解放される。

 恐らく娘も不死者である。

 

 逃れられない絶望の中を歩かなければならないのなら、せめて自分の足で人生を歩いて欲しい。

 私が絶望を色濃く感じるのは、他者に漏れず俯瞰視点で物事を捉えていたから。絶望の中を歩く、自分を投影した誰かを作り上げて逃げていた。コントローラーで操作する様に、その誰かを動かしては、進んだつもりだった。その実、自分はその場から一歩も動いていないのに。くそったれな私は、苦痛を感じると必死に電源ボタンを探した。
 だから私は、ララに、例え絶望の中であっても自らの足で大地を蹴る人であれ、と願いを込める。歩き続ければ、絶望からは逃れられなくても包まれる事はない。決して楽な道ではないけれど、絶望に包まれたまま、存在しないボタンを探して足掻くより、ずっと良い人生だ。

 それよりも、絶望を知らない今のうちに消滅させてあげた方が娘のため?…そんな馬鹿げた事、できるわけがない。幸いな事に私も不死。娘と共に、ほぼ永遠を生きられる。今さら立ち上がった私に、娘と同じ速度で歩けるはずがないけれど、背後から彼女に追いすがる絶望は私が1秒でも長く足止めしてやる。



「ん?また妄想してる?てか、ララちゃんとはヴァンパイア語で話すんだ。これってカフェで喋ってた言葉?」

 翻訳機能のおかげで、琴美もヴァンパイア語が理解できるようになった。


「そーそー、あの時の言葉。ララは日本語も少し分かるみたいだけどねー。ヴァンパイア語は端末も操作できるよ。爺、出ておいで!」

 私は彼女の問いかけにヴァンパイア語で答えた。私の声に反応した爺がモゾモゾと顔を出す。ー時的に貧相じゃなくなってる谷間から…。


「姫様!ララ様がお産まれになってから、カッチカチで寝心地が悪いですぞ!出るのも大変だしぃ、早く元に戻してくだされ!」

「…お前は改造されておバカになったのか?入れてあげてんだから、ララが卒…卒乳するまで文句言うな!」

「え…爺?リボン付けてるのに!?」

「…だよねー。」
「…だよねー。」

 琴美の口癖を爺とハモってしまう私だった。



「やっと見つけた!さくら姐さん、探したじゃないっすか!携帯切らないでくださいよ!」

 ホールを通り過ぎた駆け足が戻ってきたなぁと思ってたら、モリノ組の若い衆に声を掛けられた。確かこの人は…


「ジョージさん、でしたっけ?携帯切ってませんけど?

 …おい、爺。お前、勝手に切ったろ?」

 そろそろ搾り時の谷間からスポッと摘み上げられた爺は、本気で寝てました、と携帯にあるまじき言葉を吐いて頭を掻く仕草をみせた。


「自分はジェイクっす!姐さん、船長がお呼びです。1分以内に行ってください。行ってもらわないと、自分がアフロにされます!伝えましたからね!既読送信しましたからね!」

 ジョージさん改め、ジェイクさんは南アフリカ出身の白人で、歳は同じか少し上。細身、長身、金髪、碧眼、整った笑顔に白い歯、外国人属性のイケメンアイテムをフル装備中の彼から迸る、柑橘類を凝縮したような爽やかさはマジ目に染みる。なんだけど、実はスラム育ちらしく、彼の生い立ちは決して穏やかではないと聞いた。
 てゆーか、私の呼び方はいつ「姐さん」に決まったんだぃ?


「それじゃあ、自分は持ち場に戻りますんで!」

 ジェイクさんは爽やかに走り去った。

 

 私の隣りで、琴美が鼻をヒクヒクさせている。
 彼女がそうであるように、私もまた彼女にとは腐れ縁。彼女の仕草を見れば分かる。



「琴美…、ジョージさんに惚れたっしょ?」

 ジェイクさんだから、とちゃっかり訂正しつつ、鼻をヒクヒクさせて何度も頷く琴美。

 彼女は恋多き女。すぐ恋に落ちる。しかし彼女の恋は、恋の女神から見放されてしまった、というか、悲恋の呪いにかかってるんじゃないか、と思えるほど実らない。

 私はこの現象を、密かに「ルックスの無駄使い」と呼んでいる。