「ララ…、ママに顔を見せて…。」
「本当に可愛い子…。ママの子じゃないみたい。
いい?これからどんな音が聴こえても振り返ってはダメ。戻ってきてもダメ。真っ直ぐ翔んで、そのまま海に。光のゲートを通りなさい。」
「大丈夫。ママは不死身の女神様なんだから!」
「さあ、行って!」
ひとしきりきつく抱きしめてから、ぎゅっと結ばれた大きな猫目の、小さな背中を押す。
もう一度抱きしめたい、と半拍遅れて伸ばした手が濁った空気を掴む。閉じる寸前まで不安を湛えていた娘の瞳に、煤けた私はどう映ったのだろう。
「ママが…、終わらせるから…。」
娘はもう、彼方に霞む。握りつぶした言葉は吹き荒む風に乗って消えた。
「琴美…、私は思うの。私達が出会ったのは誰かが定めた運命なんかじゃないって。
私達はお互いの意志で出会った。だから、今度も私の意志。
…私が神を止める。琴美やララに、爪の先すら触れさせやしない!
琴美ぃ、ほんとに、本当に大好きだょ…。」
荒れ果てた大地に膝をつき、私は1人呟いた。穢れた手に握られた琴美の首飾りは曇ったままだった。だけど、キスをした一瞬だけキラリと応えてくれた気がする。
巨大戦艦が大気圏に突入する爆発音に続き、神の軍勢が次々と満天を燃やした。
「あああああああっ!」
私は、言葉にならない雄叫びをあげて、燃える空を睨みつける。脳裏をよぎるのは、命を賭した、みんなの顔。
やっとみんなに「言葉」で想いを伝えられる。
「最後までグズな私でごめんなさい。だけど、ありがとう…。」
それから私は、詩を詠んだ。
『きけ、開闢の翼よ。
我はうたう。
還ろう、ともに彼の地葦原へ。
きけ、原罪の楔よ。
我はうたう。
許そう、星々の謬錯を。
我は、ときを巡るもの。
我は、えにしを創るもの。
我は…
我こそは…
淵源のゆりかご。
ーはじまりの歌ー』
パキン…!
鎖と人類への呪縛は完全に断ち切られた。
この瞬間から、鎖を持つヴァンパイアは皆、人類と等しくなり、鎖を持たないヴァンパイアも今の代で終わる。きっと娘も、もう輝くことはない。
これから人類の時代が始まる。そして人類は、「自由」の果てに儚くも価値ある叡智をいくつも学ぶだろう。
女神として、母として願う。
人類が、神ですら成し得なかった、真に愛溢れる世界を自らの手で築き上げていくことを。
黄金の翼を取り戻した私は天を昇る。たくさんの想いが詰まったランスを携え、一直線に。
目指すは、神の座。
神の身体を貫くまで、たとえ何度引き裂かれようと、生き返ってやる。
この命が消えるまで、何度でも、何度でも。
「さよなら、みんな…」
この日から7日間、地球の空は赤く燃え続けたという。だけど私は、そのことも、その先の歴史も知らない。
ーーーーー
あの日からずっと、私はママを待ち続けていた。
けれど、船のゲートが光ったことはない。
ママはとても綺麗な人だった。
手を繋いで歩くと、行き交う人々が皆、足を止めて見惚れているのが分かった。幼い私はそれがとても誇らしくて、私まで隣りで胸を張って歩いた。
見られる度、ブサイクだから、と目を伏せていたけれど、満開を誇る桜のように凛として咲く姿は、あの今際の淵でも変わらず美しかった。
この生命のかけらもない大地に、数年ぶりに立ち、やっと踏ん切りがついた。
ママはもう戻らない。桜は散ってしまったのだ、と。
ママと別れてから今日まで、実の子と同じ愛情を注いでくれた、マリナさんとドラキュラさんに感謝は尽きない。あの日、あの時、2人がゲートから飛び出して抱きしめてくれなければ、私は未だにこの場所でママを待ち続けていたと思う。
二度と咲くことのない桜を、文字通り、永遠に。
私は今年で10歳になる。
急激な成長は3年前に止まり、鏡の中には記憶の中のお母さんによく似た自分がいる。
「出立の準備が整った。」
「おじさん…。
寄り道してゴメン。それじゃあ、行こう!」
声をかけてきた山のような男に、羽織っていた穴だらけの船長服を渡す。
この船長服は、「お母さん」の形見。
「全速力だ!」
「笑止!我と競うか!」
広げた翼を見た男は、嬉しそうに右手を大きく回し、数百隻の船に「全速力」の合図を送った。
黄金に輝くこの異形の翼もまた…、「ママ」の形見。
「大気圏外まで一気に!」
私は、ララ・モリノ。
私は、神の再臨を阻止した「悪魔」の娘。
私は、この「地球」で生まれた初の純血にして、鎖を持つ最後のヴァンパイア。
そして、人類の希望。
ーおわりー
第1話は、こちら。