長い黒髪をCMのように踊らせて、大人びた少女が東方騎士団本部のA棟を早足に進んでいく。窓を通り過ぎるたび、差し込む朝陽が黒髪を神々しく照らしては儚く消える。
 給湯室の俗称で知られる部屋の前で足を止めた彼女に少し遅れて、黒髪が重力に従った。ドアノブに手をかけ、ふぅと短い息を吐いた彼女の顔は、拵えたようなシンメトリーなのに、右側が僅かに均整を崩しているのは秘めた感情の表れか。
 ここ数日、給湯室の空気が重い。理由は、相次ぐメンバーの脱退だと、黒髪の少女も分かっている。


「みんな、おはよう!」

 完璧な笑顔を繕って給湯室に飛び込んだ彼女の顔が、再び均整を失った。


「やっと来たか。リカ、おはよう。」

 その声は、当たり前の挨拶だけでトップアイドルである少女に最上級の敬礼を強いた。


「侯爵様!これは、大変失礼いたしました!おはようございます!」

 侯爵と呼ばれたその男性は、いかにも老人といった風貌で、頭髪の100%を占める白髪と、顔に刻まれた深い皺が、彼が老人にカテゴリーされて短くない事を物語る。しかし、彼の眼光は壮年期を思わせるほどに満ち満ちて、体型も眼光と同様、未だ向上を望めると言わんばかりである。


「相変わらず糞真面目じゃの…。誰か居るわけでもあるまいし、挨拶くらい普通でよかろう。」

「いえ。それはできません!」

 初冬の朝だと言うのに、敬礼したまま前を見て話す霧島リカ中尉の額に汗が滲む。 


「……お祖父ちゃんなのに?」

「おじ…、侯爵様!…ここは東方本部です。ご容赦を…。」

 老人は彼女の反応を楽しんでいるように見える。


「それでは、命令じゃ。今はおじいちゃんと呼べ。敬語も禁止。」

 世界中から愛される彼女の顔が三度均整を失い、酷く歪んだ。


「お…、おじいちゃん!な、なぜ日本に居るのですか!?大将はご存知でしょうね?」

「…ですか、は敬語に入るじゃろ?」

「普段からこの言葉遣いです…。」

「真面目じゃのぉ。」

 つまらなそうに口を曲げてから立ち上がった老人を、リカは顎を45度持ち上げて見上げる。
 記憶にあるよりも大きい、と喉を鳴らして唾を飲み込んだ彼女の額に、再び嫌な汗が滲んだ。


「アウエンミュラーの小僧には言っとらん。護衛、護衛と、うるさいからの。ワシより弱い護衛など要らんわ。」

「そういう問題では…」

「そーゆー問題じゃ!日本に来た方法はどうあれ、来た理由は分かっておろう?」

 老人から問われる度、リカは無意識のうちに死を感じる。

 彼女は、自分ではない誰かが返答次第で跡形も消え去るのを、過去に何度となく見てきた。幼い頃は手品だと思って楽しかった。けれども歳を重ね、実際に消滅したのだと理解できるようになってからは、自分が対象になる事は「ごく稀」だと分かっていても、老人の問いに形容しがたい恐怖を感じてしまう。


「…ルイズ様の件で。」

「そうじゃ。ルイズが食われた。簡単に獲られる小娘ではないが、ワシも一部始終を観た。あれは間違いなく本体じゃ。

 これから言う事は他言無用。」



「…殺ったのは、例の金毛が産んだ赤子。食らったのは、母親じゃ。

 2人とも取り逃したようじゃがの。」

 険しい表情のまま、肝が冷えきるのに十分な間を置いて言った老人の眼に、静かな怒りが宿るのを見て、リカの肝は凍り果てた。


「時を同じくして東の巫女も消え、レジスタンスどもが俄かに騒ぎ出した。」

 老人は眼光を消すことなく、しかし淡々と話し続ける。

 マルセーラがレジスタンスを率いていること、さくらがレジスタンスに落ちたこと、さくらの幼馴染みが巫女の末裔であること、巫女の力を覚醒させるためエルサレムを目指すであろうこと。

 その他にも、渦中のリカですら知り得なかった事実が次々と輪郭を帯びていった。

 

 ただ1つ、田中さくらが何者なのか、を除いて。

 リカの意識がさくらの正体に向いた一瞬、老人が彼女の喉を掴み、それから、まるで子猫をそうするかの如く持ち上げた。
 不意を突かれていなくても、老人の動きを見切れなかった事は、リカ自身が一番理解している。現に、ただ掴まれているだけなのに、リカの意識は現世を離れる寸前にある。


「今回の一件は大目に見よう…。だが、孫といえど、役立たずは要らぬ。」
「隊を率いてエルサレムに向かえ。嘆きの壁の下に隠された、巫女の秘密を先んじて破壊するだけじゃ。万一の時は刺し違えてでも全うせぇ。」

 辛うじて現世を見つめる瞳でリカが応答したのと同時に、給湯室のドアが開いた。


「遅くなって申し訳ありま…せ……貴様っ!刺客か!今すぐ中尉を離せぇぇっ!」

 状況をありのままに捉えた神河リオンは、変身するやいなや老人に飛びかかる。
 しかし、獲った、と確信したリオンの爪は、老人の腕を引き裂くどころか、壁にぶつかったトマトの如く爆ぜた。狙ったのは上腕の内側、人体の中でも比較的柔らかい部位である。


「ほぅ。ベルセルクにしてはやりよる。黒5人…、いや6人分か。」

 爆ぜた右手で躊躇なく目潰しを繰り出したリオンに、目尻を下げた老人は、冥現の境に立つリカを投げ捨て、嬉々とリオンの心意気に応じた。



 ゴゴゴゴゴ…

"A棟で高質量反応を検知。施設内の団員は直ちにシェルターに避難してください。繰り返します。A棟で…"

 地鳴りのような音に続いて、東方騎士団全域に緊急アナウンスが流れた。検知された反応は、言わずもがな老人とリオンの交錯によるものである。
 人々が慌ただしく避難し始める中、リオンは身に掛かる現実を理解できないでいた。

 自分の連撃を、老人は指を弾く動作、所謂デコピンだけで防いでいる。弾かれた手足に残る感覚は、むしろ、指に押されていると言っていい。


「良い動きじゃ。獣よ、お主の名は?」

「刺客に教えてやるほど、安い名ではない!」

「小童が言いおるわ。」

 満面を更に皺くちゃにして笑った老人が拳を握ると、老体から沸き出した圧がリオンを壁際まで吹き飛ばした。
 壁を背にする当のリオンは自覚している。吹き飛ばされたのではなく、気圧されて自ら退いた、ということを。それは明らかに彼女の意思と無関係であり、言うなればVマイクロムによる反射だった。


「Vを信じるか、己を信じるか、さて、どちらが正解かのぉ?」

 部下であると同時に、掛け替えのない友である、神河リオンに向けられた老人の問いが、まだ朧げなリカの視界に残酷な記憶を重ねる。
 リオンが退く事はない。つまりそれは、彼女の「消滅」に等しい。


「私は戦士だ!」

「…良い輝きじゃ。リカの部下では役不足よ。」

 リカの危惧した結末が訪れようとしている。
 壁を蹴って駆け出したリオンは、これまでにリカが遭遇したどの黒毛種よりも、黒く、雄々しく輝いていた。その輝きの強さは、Vマイクロムの性能に頼りきり、研鑽を忘れた並の銀毛種達を凌駕する。すなわちそれは、老人との実力差は埋まらずとも、先ほどまで老人が見せていた手加減を期待できないということ。
 迎える結末を変えようと、リカが自らも火中に飛び込む覚悟を決めたのに反して、空を裂くリオンの一撃をふわりと躱した老人が見せた次の動きは、リオンの肩を撫でるに終わった。とは言え、撫でられた当のリオンは、顔面から床に倒れるほどの衝撃を受けたようである。
 リカを目で制した老人は、撫でたリオンの肩から剥ぎ取ったネームタグを右手に満足げだ。


「どれどれ…ライオン?なるほど、百獣の王か。勇ましきかな。」

「私は女だ。」

 タグに書かれた名前を見て再び目尻を下げた老人に向かって、立ち上がったリオンが睨みつけながら鋭く釘を刺す。


「なんと!童ではなかったか!これは失礼した。」
「女性名ならば、リオンか…。

 リオンよ、ワシの元へ来い。お主なら3年でワシに追いつけるじゃろう。

 …それでは、ワシは小僧が来る前に消えるかの。」

 驚いたのも束の間、老人は俄に輝く球体となり、言葉だけを残して空の彼方へ消えた。入れ替わりに、アウエンミュラーが給湯室のドアを蹴破る。


「侯爵様の波形をキャッチした!ここにおいでか!?」

「今さっきまで…。大将の気配をお感じになって帰られました。」

 顔に合わない嗄れ声で言ったリカは、おぼつかない足取りながら立ち上がり、大将に敬礼が遅れた事を詫びた。


「リカ!大丈夫か!すまない。刺客を取り逃…エッ!?コウシャク??誰が?」

「さっきのご老人だ。バルト海全域を統べる侯爵…、元老院の1人であり、私の祖父だ。母方のな。」


 ヘタッと音を鳴らして座り込んだリオンの顔色が、しでかした事のトンデモなさ、を物語る。





ーーーーーーーーーー
「船長、こっちは準備OKだ。変身してくれ。」

「かしこまった♪」

 ガルシアさんの呼びかけに両手をぐるぐる回して応えたマルセーラちゃんが、エロ可愛らしいカボチャ魔女に変身した。私の隣りで琴美が魔女に羨望の眼差しを送っている。幼い頃、彼女が魔女っ子変身アニメにドハマリしていたのを思い出した。
 てゆーか、同じヴァンパイアなのに、なんで私のブリュンヒルドはあんなにも不気味なのか…。


「…っおし!アナライズ成功だ。いま読み上げるから待ってな。」

 ぶっちゃけて言うと、ガルシアさんが喋るとすげぇ臭い。ララのうんこのがまだ耐えられる。
 そんな全身ヤバ臭いガルシアさんが、Vアナライザーの技術をチョチョっと弄ったら、高位・高性能のヴァンパイアも測定できるようになって、ついでに総合評価もできるようになった、らしい。

 ヴァンパイアに縁のある、私達花香る乙女は、不幸にも、このガルシア謹製「ハンディVスキャナー」のテストに駆り出されてしまった。



「船長のウィッチは…」

 アサルト:C11
 プロテクト:D8
 ベロシティ:C12
 サイキック:S35
 リアライズ:C15
 キュア:C11

 

 Vランク:B


「今まで振り切れてたサイキックが数値化されたぜ。」

「拙者、弱っ!」

 マルセーラちゃんはショックを受けているようだけど、そこまで弱いわけではないという。
 今日のためにわざわざ作ったっぽいレジュメによると、各能力は測定された数値を従来のE~Aの5段階に、S・SS・Xの3つを加えた全8段階で評価され、最後に総合評価的な感じで「Vランク」が表示される、らしい。
 抜粋すると『E評価:1~5(人間級、トップアスリートでも5は稀)』に始まり、『D評価:6~10(超人~ヒーロー級)』と、A評価までは測定値5毎に評価が1つ上がる感じになっている。…ヒーロー級ってなんだ?

 

 一般的な黒毛種がオールC評価で、Vランクも「C」なので、Bのウィッチは高性能、と言える。
 ちなみに、S評価以降は10毎の評価になっていて、SS評価の45が上限。仮に46以上が測定されると数値なしで「X評価」になり、逆に全く測定できないと「N評価」になる、と捕捉されていた。

 落ち込むマルセーラちゃんのため、ガルシアさんは琴美をスキャンした。

「船長、見てみろ。巫女さんはこれだぜ?…」

 アサルト:E1
 プロテクト:E1
 ベロシティ:E2
 サイキック:E1
 リアライズ:N
 キュア:E1

 

 Vランク:E

「普通の人間はこんなもんだ。俺や兵藤さんを測ってもE評価は変わらねぇよ。」

 人間の琴美に物体の具現化なんぞできるはずがないので、リアライズは当然「N」だ。
 これでも納得が行かないマルセーラちゃんは、私をスキャンしろと催促する。ガルシアさんに頭を下げられた私は、琴美に、目を瞑ってて、と念を押してから黒汁が噴き出す本気モードに変身した。
 って…、琴美、いきなり白眼剥いて気絶してんじゃん!目を瞑れって言ったよね!?


「ほら、ねえさんだってそんなに高く…うお、マジか!改良版でもリアライズが測れねぇ!」

 アサルト:D9
 プロテクト:D6
 ベロシティ:D6
 サイキック:A22
 リアライズ:X46h
 キュア:N

 

 Vランク:C


「キュアN?…死なねぇのに?」

 確かに「死なねぇ私」のキュアがN評価なのは謎…。てか、私のどこが「ねえさん」なんでしょうか?イントネーション的に「姉」じゃなくて「姐」の方でしょ、それ?

 私よりも戦闘能力が高いと分かったマルセーラちゃんは、例のオリジナル忍者ソングを歌いながらニンマリとこちらを見ている。

 なにその顔、まじムカつくんですけど!ところで、出産したら体質が変わりました…、ってのはヴァンパイアでも起こるのかしら?妊娠前はもう少し戦える性能だった気がするんだけど?

 今は見るからに「後方支援型」っぽい。

 私の変身と共鳴したのか「黙々と積木で遊ぶ女神(オムツ付き)」に変わったララを見たガルシアさんは、すかさずスキャンした。


「どれどれ、ララちゃんはどうだ?…」

 アサルト:D6
 プロテクト:D6
 ベロシティ:D6
 サイキック:N
 リアライズ:N
 キュア:N

 

 Vランク:D

 

「へ?肉体強化だけ?なんつうか…、底辺だな。」


 私はまだ、誰にも話していない。
 ヴァンパイア界のレジェンド、ルイズ・バートリ三世を死に追いやったのが、底辺と揶揄されたララだという事を。ルイズさんは死ぬ前に言っていた。産まれたばかりの娘に「子供扱い」されたと…。
 D評価とN評価が並ぶ娘のどこに、ハイブリッドヴァンパイアを子供扱いできる力があるというのか。



「ねぇ、さくら…この後、少しだけ話せる?」

 知らぬ間に復活した琴美が背後に立っていた。


「ひ、ひぃぃっ!ごめんなさい!な、何でもないです!た、食べないでっ!」

 振り返っただけなのに、この反応…。気絶しなくなっただけマシ?


「がおー。食べちゃうぞぉー♪てゆーか、人は食べないから!私のこれ、何気に女神だから!ヴァンパイア的には!」

 とか言って、自分で茶化してるけど、怖がられすぎて自分が可哀想になる。怖がったプチリベンジってことで、変身を解いた後、琴美の小ぶりな額をデコピンしてやった。
 いつものブサイクさんに戻った私を見て安心したのか、彼女は、まだ慣れなくてごめん、と舌を出して笑う。

 本当に食べてしまいたいくらい、琴美は可愛い。

 


 私は、琴美に嘘をついた。


 私は…、人を食べたい、と思っている。