金属製の攻撃的な爪が、琥珀色の苦臭い液体と氷の入ったグラスを気だるくサイドテーブルに置いた。
 グラスの縁で揺れていた1滴が表面を音もなく伝い落ちて、机上に象った歪な輪を僅かに広げる。

「悪いけど大人しくしてもらえますー?仕事増えるんでー。手術終わったばっかだしー。」

 えんじ色の手術着に身を包んだ、ギャルギャルしいお医者さんが日本語で言った。


「ごめんなさい。」

 二階堂姉妹が消えた後、私は捜索隊に保護された。
 入院患者の脱走は、毎週2通以上の『この人を見かけたら医療センターへ』が配信されるので珍しくない。ただ、脱走者がヴァンパイアだった場合、Vマイクロムの暴走が疑われるため、特別警戒が発令され、特殊部隊並みに武装した捜索隊が出動する。
 発見次第、直ちに鎮静剤を投与するのが手順になっているはずだけど、保護後に配信される『無事見つかりました。』の添付画像では手足がなくなってるなんて当たり前。

 ヴァンパイアである私も例に漏れず、お迎えは過剰武装した捜索隊だった。
 そして、こっちが両手を挙げているにも関わらず、30本くらい鎮静剤を撃ち込まれた。ライフルで…。
 これって、保護じゃなくて捕獲って言うんじゃない?


「それとー、また無理されるとメンドイから言っとくー。田中さんねー、ガチで妊娠してるよー。今は6週目ー。ヴァンパイアの中絶は禁止だからー。」

 それからギャル医者は、心の篭っていない祝福を言ってから、攻撃的な爪で「ヴァージンワランティ」と「マザーズバングル」を突き出してきた。

 こういう時、私の口が1文字を言うのと、グラスの中で氷が崩れるタイミングは、マジでドラマティックに重なる。





ーーーーーーーーーー
 赤いシンクロクオーツが、赤ちゃんの鼓動と同調して明滅を繰り返す。

 何度確認しても明滅が止まることはない。私のお腹に赤ちゃんが息づいている証拠だ。

 マザーズバングルは、胎児と母体をモニタリングする装置で、バングル中央のシンクロクオーツが胎児の状態を教えてくれる。何事もなければ、今のように胎児の心拍と同調してクオーツが明滅を続ける。
 バングルは、管轄医療センターに母子の健康状態を自動送信する役割も担っていて、個人端末とリンクすれば、母親自らが詳細確認する事もでき、不明点はすぐにチャットで相談できちゃう優れもの。
 ちなみに、これをつけていると「妊婦優待」ってやつで食事や娯楽施設がタダに、さらには、例え総司令官からの指示であっても拒否できる「絶対任務拒否権」まで付いてくる!

 爺は私の妊娠がかなり嬉しいようで、5分おきに赤ちゃんを見せろと催促する。
 その程度の喜び方で留めておけば良かったのに、頼んでもいない『姫様、ご懐妊!』メッセージを、数少ない知人に一斉送信されてしまった。

 メッセージを受け取った特2のメンバーと南米でお世話になった方々、そして、家族から、説明を求めるメッセージが大騒ぎ状態で届き続けているけど、まずは、私自身と大騒ぎ加減が半端ない家族に向けて、ギャル医者から状況説明をしてもらう事にした。

 そろそろ母が到着する頃だ。
 状況が掴めたら、嫌だけどルイズさんに改めて相談しようと思う。



「さくらちゃん、入るわよ。」

 母は、控えめにノックをしてからドアを開けた。部屋に入るなり、建物の中に自然があるなんて素敵ねぇ、と目を輝かせた。


「ママ、急にごめんね。いま先生を呼ぶから。」

 ドクターコールを押す瞬間、気だるそうなギャル医者の顔が、おもむろに脳裏をよぎる。



「まみぃ爺ちゃんからメールもらってビックリしたわよ。で、お相手は誰なの?兵隊さん?」

 10代で、しかも学生の身分で、妊娠した事は気にならないのだろうか。
 よくよく考えてみたら、母は19歳で兄を、20歳で私を出産していた。


「ごめん。分からないんだ。てか、身に覚えがない。」

 身に覚え以前に、妄想世界ですら「した」経験がない…。
 ところが、私の言葉を犯罪に巻き込まれたと勘違いした母は、尋常ではない怒りを見せ、到着したてのギャル医者のネクタイを掴んで、今すぐMPを呼びなさい!といきり立った。


「お母様ですかー?お嬢さんは処女ですー。レイプされてないですー。私は主治医の緑川ですー。専門は小児脳神経ですけどー、よろしくお願いしますー。」

 緑川と名乗ったギャル医者は、白衣の胸ポケットに掲げた医師専用のIDタグを指差しながら飄々と言った。
 さっきまでタグを付けていなかったから、らしくないと自分でも分かっているようだ。

 10秒ほどタグを凝視していた母だったが、やがてヴァンパイア語であることに気づき、端末をかざしてタグに書かれている内容の確認を始める。
 ギャルとタグを繰り返し交互に確認した母は、一応の謝罪を見せてから、納得のいかない顔でソファにドスンと腰掛けた。


「えー、田中さ…お嬢さんは処女ですー。さっきも言ったかー。これ見てくださいー。」

 引っ張られてだらしなく伸びたネクタイを直すでもなく、緑川医師がポケットから取り出したサージカルテープを千切ってディスプレイに貼り付けると、ディスプレイから病室の中央に向かって鮮明なホログラムが投影された。

 

 まさかのテープ型端末登場…。千切っても使えて、しかも貼れる!どんな構造だ!?


「んー?また大きくなって…、ま、いいやー。お嬢さんの状態についてご説明しますー。」

 緑川医師の説明は、酷い言葉遣いながら、とても分かりやすかった。
 ルックスからも言葉遣いからも想像できないけど、たまに使う専門用語が医者っぽい。

 彼女の説明を要約するまでもなく、私は「処女懐胎」をした。

 

 それは、某宗教における某氏のような神託者を、神の超常パワーで宿したわけではなく、Vマイクロムによる懐胎だった。
 赤ちゃんは私の子宮内膜ではなく、Vマイクロムが私の子宮に沿ってリアライズした子宮の内膜に着床している。
 変な言い方だけど、Vマイクロムがご懐妊されたわけだ。

 問題は「誰の遺伝子」か。

 1つは、私の遺伝子で間違いないと断言され、もう1つの遺伝子保有者を、緑川医師がホログラムで表示した。


「この方は…、男性なんですか?…それとも、元…、男性?」

 ホログラムを見た母が、眉毛をあべこべにして言った。


「まさかー、ずっと女性ですー。男の娘でもないですー。」

 もう1つの遺伝子保有者は、1つ上の男スタイルで顔の半分を隠した女性。それは、どこからどう見ても、特2に配属されたばかりの「マルセーラちゃん」だった。

 医師によると、万能細胞から精子を作れば、同性同士で、なおかつ、双方処女のまま妊娠する事も可能だという。
 しかしマルセーラちゃんは配属されて間もないため、それらを準備する時間を持ち得ない。
 それに仮にマルセーラちゃんの意思だとしても、わざわざ子供を作る「そこまでの理由」が不明である。

 ぼんやりながら、私には今回の妊娠に至った過程が想像できる。

 アクティブキュアでマルセーラちゃんを再生した時、彼女は下半身がなかった。
 つまり私は、彼女の「生殖機能」も再生している。そして、アクティブキュアのメカニズムを考えれば、リアライズ初期段階にある細胞が万能細胞である可能性は高い。

 それにあの時…、私は、した事ないくせにエッチな夢を見た。…まだ仮説レベルだ。

 生殖機能の再生で100%妊娠するのか、特定の相手に限って妊娠するのかは、分からない。
 緑川医師に話してもムカつく反応をされそうなので、後でルイズさんに聞こう。


「ちょっと待ってください!私の孫は、両親共に母親なんですか!?」

 若い頃、おっとりさん日本代表候補に選ばれた事があると豪語していた母が、ソファから勢いよく立ち上がって叫んだ。
 ネクタイを掴んだり、叫んだり、今日の母はおっとりさんを忘れてきてしまったようだ。


 緑川医師は母の質問に答える代わりに、気だるい顔で説明用と思われるホログラムを表示した。
 数字や記号が沢山浮かんでいるホログラムを彼女が摘んで操作すると、良く見るDNA風のホログラムに切り替わった。そこに更に2つ、似たホログラムを持ってきて並べる。

 病室のド真ん中に3つのDNA風ホログラムが並ぶ。


「これはDNAですー。こっちのが解析進んでるんでー、人間界の図式と少し違いますー。

 でー、これがお嬢さんですー。こっちがもう1人のお母さんですー。真ん中が赤ちゃんですー。

 赤ちゃんのDNAにー、それぞれのお母さんから受け継いだとこに色をつけますー。ほらー、完璧に両親ですー。

 ところでー、赤ちゃんの違いわかりますかー?」

 最後に、向かって左、右、真ん中、と順に指差してから緑川医師が質問してきた。


「真ん中のだけ…、螺旋が多い…。」

 私の呟きを拾った緑川医師が乾いた拍手をくれた。
 その爪で拍手できるの尊敬するわ!


「ヴァンパイアさんは1本が折り返す3重螺旋の裏表構造でー、有効数は6本ですー。変身すると螺旋が2倍になって12本にー。これが超能力の源ですー。でー、問題の赤ちゃんはー、なぜか2本とも折り返してますー。」

「4重…?」

 攻撃的な爪がビシッと音を立てて私を指差した。
 身を乗り出してたら刺さってましたよね?


「しかもー、生まれる前から螺旋が2倍ですー。有効数は16本ー。」

 そう言って彼女は、真ん中のホログラムに4重螺旋をもう1つ追加した。



「ま、孫は人間なんですか…?」

 母の問いに緑川医師は、不便そうな爪で頭を掻いてから例のテープを私の腹部に貼り、赤ちゃんのホログラムを投影した。


「5~10倍速で成長していますが、人間です。2ヶ月以内に産まれるでしょう。」

 ネクタイを直しながら普通の口調でそう言った緑川医師は、医者の顔をしていた。
 Vマイクロムの妊娠は史上初の症例らしく、出産に万全を期すため、中央騎士団の先進医療研究所に応援を要請した、と言い残して彼女は部屋を後にした。

 先進医療と聞いて、ふと、バラの香りが鼻の奥に蘇った気がする。


「まさか、30代で孫ができるなんてねぇ。とにかく赤ちゃんのためにも栄養をつけなきゃ!」

 母は私をギュッと抱きしめてから、買い出しに行ってくるね、と笑顔をくれた。ドアの隙間から見えた、去り際の母の横顔が、ピンクのチーク越しなのに青白く見えたのは、照明のせいだと思いたい。


 この後、中央が発表する「Vマイクロム妊娠のニュース」は、瞬く間に世界中を駆け巡り、私は時の人となる。
 二階堂姉妹転属のニュースは、謀らずも妊娠騒動にかき消される格好となり、たった数時間で過去のニュースに埋もれていった。





ーーーーーーーーーー
 1週間が経った。

 報道陣の面会を全てシャットアウトしている中、私の病室を訪れるのは、残ったViPの3人と家族だけだ。再生完了後に検査入院していた、もう1人の母であるマルセーラちゃんは、病院を脱走したっきり行方知れずになっているという。
 行方知れずは本当らしく、マルセーラちゃんの脱走を知らせる通知番号20ー1899の『この人を見かけたら医療センターへ』は、配信された後、更新されていない。

 ちなみに、面会に来るViPの3人が、二階堂姉妹の話題を口にする事はない。姉妹が転属に至った事情を彼女達は知っているのだろう。


「経過は順調か?」

「はい。13週相当に入りました。」

 霧島中尉の問いに、私はまだ薄っぺらいお腹にクリームを塗りながら答えた。
 マリナさんと話して以来、霧島中尉の目を見るのが怖くて、まともに話せないでいる。彼女もそれを感じたのか、2回目以降の面会は、少尉か知子を連れ立って来るようになった。


「チビさくらは変身するようになった?」

 病室の中央に投影されている赤ちゃんのホログラムをツンツンしながら知子が言った。
 くるくると回るホログラムに、昨日までなかった「指」がハッキリと確認できる。


「うん、昨日から。見たら惚れるよ。勘が良くて、ホログラム触られただけでも分かるみたい。」

 言った側から赤ちゃんが変身した。
 ホログラムの赤ちゃんを撫でていた知子の顔が紅色に染まる。


「か…可愛い!」

「でしょ?」

 変身した赤ちゃんは「女神」だった。
 色までは分からないけど、女神の象徴である翼を生やし、できたばかりの指でしっかりと、全長数ミリの棒状の何かを握っている。

 私は母として願う。
 娘が、私のような黒い女神ではなく、颯爽と人々を救った、あの白い女神であって欲しいと。


「田中さん、南方から面会の方がいらっしゃってます。どうされますか?」

 ホログラムの赤ちゃん女神と遊ぶ知子を微笑ましく眺めていると、数少ない人間ナースのトゥエンさんが開けっ放しにしてあったドアをノックした。


「モントリーヴォ少佐ですか?」

「モントリーヴォ少佐ともお知り合いなんですか!?じゃなくて、今日来られた方は違います。お2人です。」

 思い当たる人が居なかったのでエントランスの映像を見せてもらうと、撮られてるとは思っていないおマヌケな顔をした見知った2人が並んでいた。


「ベアトリスさんとリカルドさんだ!お2人共、知ってる方です。通してください。」

「分かりました♪すぐにお呼びします。」

 気を遣ったのか、中尉と知子も軽く手を上げて、トゥエンさんと一緒に部屋を後にする。
 遊ぶ相手が居なくなってしまった赤ちゃんは、くるくると回りなから変身を解き、こちらを向いて伸びをした。

 心がじんわりと温かくなった。

 


 芽生え始めた幼稚な母性が、終末の幕開けになるなど、今の私に知る由もない…。

 

 そんな妄想を楽しんでいるのは内緒にしておこう。