消毒薬でコーティングされてるみたいな病室の匂いは好きじゃない。
 思い出したくもない小6の夏休みが蘇ってきて、鬱に入ってしまう。


 どーも、私(さくら)です。

 風邪っぽいな、と思い、軽い気持ちで体調不良を訴えたら、入院騒動に発展してしまった。

 どうやら、ヴァンパイアは「風邪をひかない」らしい。

 入院生活は今日で2日目になる。
 今さっき、精密検査用の生体フェムトボットを体内に取り込んできた所、と言っても、水を飲むだけだったけど…。
 このフェムトボットが私の状態を事細かに調べて、データ送信までしてくれる。取り込んだボットは、終わったら勝手に出てくからー、とめっちゃギャルっぽいお医者さんが興味なさそうに言っていた。
 いつかのアレは、やっぱり普通じゃなかったわけね!


 入院施設は医療棟よりも地下の階層にあって、階層丸ごとが入院施設になっている。はずなんだけど、なぜか自然が豊富で陽当たりも良い。陽当たりって言うのも変だけど、肌に感じる温もりは紛れもなく陽当たりだ。

 

 窓を開けると実物よりもリアルな地上の景色が広がっている。
 部屋に設置されたディスプレイによると、私の病室があるエリアは「19世紀初頭、ドイツのライ麦畑」で、3体のアンドロイドが暮らしているそうな。
 てゆーか、病室のすぐ外にライ麦畑って…、麦角菌対策は万全なんすかね?



《姫様、ニュース、です、じゃ。》

「ホロでよろ。」

 ホログラム表示されたのは文字ニュースだった。


「ゴメン。読みにくいから読み上げて。」



《二階堂姉妹、中央・開発部に転属決定。人事部発表。ViP脱隊か。
 人気アイドルユニット、ViPの二階堂姉妹が……》

 読み上げている途中の爺を、ぐにゅっと掴んで強制終了した私は、入院服のまま、靴も履かずに病室を飛び出した。



 息を切らせて飛び込んだ給湯室は無人だった。

 病室を出てすぐに中尉と少尉にコールしたけど、端末が「人間中」になっていて繋がらない。当然、知子の端末も同じ。
 二階堂姉妹の端末に至っては検索中のまま止まっている。

 今は平日の午後2時。みんなは普通の人間生活を送っている時間帯だ。
 恐らく二階堂姉妹転属のニュースを知ったのは、本人達以外で私が一番早い。

 二階堂姉妹が学校に居るとは思えない。

 どこにいるの?家?本部?
 あの2人に限ってそんな簡単な場所にいるはずがない。

 もうポーターに乗ってしまっている可能性もあるけど、私は唯一思い当たる場所に賭ける事にした。


 私は支給されたっきりロッカーに入れっ放しだった、やたら重たいバトルスーツを取り出し、袖を通した。それなりに開けられたビニール袋が小綺麗な床にグシャグシャと転がるのをそのままに、窓を開け放つ。
 スーツの素材はVアナライザーと似ていて、身体にぴったりフィットする。そのお陰で着てしまうと持った時ほど重くない。

 フルフェイスヘルメットとグローブが認証を始めた。このスーツは無駄に最新型で、私自身が認証キーになる。


"認証完了。初めまして、田中准尉。脳波リンクは良好です。お持ちの固有端末を接続しますか?"

 爺よりもスラスラと喋る、スーツ内蔵のガイドロイドが言った。

 定型文しか話さないAIは総じて滑らかに話す。


「お願い。」

"接続完了。使用するAIを選択してください。…端末AI or 内…"

 端末AI、と答える前に脳波を感知したようだ。ヘルメット内側の表示から「内蔵AI」が消えた。

"端末AIにプロファイルをコピーしています。しばらくお待ちください…"



《姫様!選んで貰えないかと思って、ちょードキドキしましたですじゃ!》

 爺が滑らかに喋った。


「爺、ペラペラじゃん。」

《ユナ嬢…、おほん。これは失敬。スーツの知能を借りて並列処理中ですじゃ。》

「はいはい。スーツのAIはユナちゃんて言うのね。

 相変わらず爺は何でもありだなぁ。それじゃあ、行こっか!

 

 情報を集めて。」


《了解ですじゃ。光学迷彩をONにしますぞ。》

 黒い女神に変身した透明な私は、風を切って給湯室の窓から飛び立ち、目的地を目指す。

 


 目的地は、2人が「今の2人」になった場所。

 8年前に起きたバスの転落事故現場。

 

 

 姉妹はきっと、そこに居る。





ーーーーーーーーーー
 光学迷彩に身を隠していると、物言わぬ私という存在が、本当に消えてしまったのではないか、と嬉しくなる。
 人も、鳥も、木々さえも、すぐ側を通り過ぎる私に気付かない。


《姫様、次のマーカーを左に曲がれば目的地ですぞ。》

 演出された人間味で覆われた機械の声が、私に用件を伝えた。

 その声を聞く度に、自分がまだ「ここに在る」のだと知る。

 たった1片の核さえ残れば、何度でも生き返る私は、果たして生きていると言って良いのだろうか。
 今ここで急降下して崖に突っ込めば、私は死ねる。うまく狙えば、グチャグチャの状態で果てる事も可能だ。だけど、その結果、例え首だけになったとしても、数分後には生き返る。

 再生する度に現れる自分は、本当に再生前と同じ自分なんだろうか。

 

 私は一体、何人目だ?

 声もなく、表情もなく、ただここに在るだけの私は、自分という無駄な存在を消滅させる事すらできない。
 唯一の自決方法は、体内のV濃度を低下させてVマイクロムを死滅させる事。

 なのに私のブリュンヒルドは、日常的な吸血を欲せず、V濃度限界を超えても復活する。

 

 私は確信している、中にいるコレは絶対に死なない、と。

 


 私の存在意義は何なのか。

 

 何のために生かされるのか。

 

 

 死ねない私がたどり着く未来は…、希望か、失望か、それとも、絶望か。



《姫様、見えましたぞ!お2人を捕捉しましたのじゃ!さすが姫様、推測通りですじゃ!》

 爺の明るい声が、いつもの私(さくら)を呼び戻す。
 ビジョンをズームすると、ガードレール脇に蹲る、季節感が真逆な服装の二階堂姉妹が見えた。手にはそれぞれ「ぐりふぉくん」と「きまいらちゃん」、それと赤い花束が握られている。


 姉妹は手に持った端末をガードレールの下に置き、お互いが相手の端末に花束を添えた。

 その花は「ゼラニウム」だとディスプレイが教えてくれた。原産地などの諸情報をアイジェスチャーで飛ばし、花言葉の項を確認する。


『君ありて幸福…?』

 お互いに贈る言葉、と解釈すれば良いんだろうか。ひとまず死ぬ気ではないと分かってちょっと安心した。


「レイ…。悪魔のお迎え…。迎撃する。」

 微かだったけどマリナさんの声が確かに聞こえた。臭いで私の接近に気づいたんだろう。
 ビジョンの中で、半袖姿のマリナさんが黒く輝き、ボアコート着込んだレイナさんにオンセットを促す。

 

 

 妹のオンセット完了を合図に、ロケット弾の一斉発射が始まった…。

 ディスプレイの情報によると、リアライズされたのは30mmチェインガン1基、19発仕様の70mmロケットポッド4基。

 冗談のつもりでリアライズする代物ではない。

 

 先ほどからロックオンアラームが鳴り止まない。

 見えないはずの私がターゲットとして捕捉されていることから、ロックオン対象は十中八九、熱源だ。

 ロケット弾の着弾まで残り5秒を切った。
 私は光学迷彩を切り、腰に装着された加速用ガスバーニアと反重力装置にエネルギーを割り当てる。

 切り離したバーニアを上空に投げるとロックオンアラームが消え、ロケット弾はより高温の熱源目掛けて急上昇していった。


「さくにゃん、やるねぇ。」

 このレイナさんの発言は行動を伴っていない。
 後方からロケット弾の爆風を受けて加速する私を、今度はチェインガンが襲う。

 

 チェインガンを起動し、掃射しているのは他でもないレイナさんだ。
 しかし、1200発にも及ぶ弾丸は、ただの1発も私に着弾する事はなかった。

 弾切れを起こし、虚しく空回りするチェインガンの音が響く中、私は彼女達の背後に降り立ち変身を解いた。


「さすが…。」

 ヘルメットを脱いだ私に向かって、マリナさんが拍手をする。


「さすが…。じゃないですよ!迎撃ってなんですか!しかもガチだし!」

 よく見るとバトルスーツはあちこち破れていた。いくつかの弾は掠っていたようだ。
 ちなみに、私の声マネはかなり似てない。


「うしし♪不死身なんだからケチ臭いこというなよぉ。でさ、最後のどうやって避けたの?」

「避けてません。マニュアル通り反重力で落としたんです。」

 私がマニュアル通りだと言った時、口に手を当てて笑うレイナさんのゴールドアクセが僅かに鳴った気がする。


「そんなことより!ニュース読みました!いきなりすぎてワケ分かんないです!」

 一歩踏み出した私を避けるように、マリナさんは端末の側にしゃがみ込み、爆風で吹き飛んでしまった花束の代りに金属製の赤いゼラニウムを2本リアライズした。


「さっきの迎撃…。ボク…、本気だった。」

 マリナさんがゼラニウムを地面に突き刺しながら言った。


「本気だったのに…。簡単に、突破された…。」

 白い手はゼラニウムを離さずにいる。それから、黒のネイルが花弁の外側を滑るように撫で、やがて空気を掴んだ。


「ねえ!ボク達は必要なの!?」

 振り返った彼女は、すぐにそっぽを向いて頬を膨らませた。空を見上げ、まばたきをしない彼女の瞳が、薄い桜色に染まる。
 これは私が好きな彼女の表情とは違う。


「少尉と新人ちゃんのスパーリング観て思ったんだ…」

 私がマリナさんに手を伸ばすのを見越していたかのように、レイナさんが言葉を重ねた。


「絶対に勝てないって。」

「勝つ必要なん…」
 
「あるよ。」

 再び私を遮ったレイナさんの語気は強かった。


「私達は軍人だよ。半人前だからって、ずっと守られてきた。ずっと助けられてきた。

 南米の時だってそう!入ったばっかのさくらに助けられて…。もう足手纏いは嫌だっ!」

 叫びは大粒の涙を引き連れる。


「だからって…。ViPを辞めるんですか?好きじゃないんですか?」

 彼女達の苦しみを知らない私にできる、唯一の反論だった。


「忍者の加入は…、上の決定。…意味わかる?」

 そう言ったマリナさんの瞳は、薄い桜色。


「マリナさんの怪我が治るまでの…、助っ人…、です…。」

 自分で言って違和感があった。

 そもそもマリナさんが怪我をしているのは公知の事であり、彼女の療養期間中に5人体制を維持する必要はない。復帰を待てばそれで済む。
 それならば、なぜ、彼女が怪我をしたタイミングで新人の加入を認めたのか。


 違う…、逆だ。

 あえて、このタイミングを選んだ…。

 この瞬間、頭の中の情報が物凄いスピードで整理されていった。それはまるで、何万ピースものパズルが次々と埋まっていくような、不思議な感覚。



「…ViPは、アイドルじゃなぃ…?」

「さくらは…、賢い…。」

 脳内パズルの完成と共に私から漏れた呟きが、微笑んだマリナさんから涙を押し出した。


 ワールドツアーを除いて、ViPは交戦地域や準交戦地域に赴く事がとても多い。主な活動が激励や慰問なのだから、私はそれが普通なんだと思っていた。
 だけど、よく考えれば危険極まりない。先日の南米が良い例だ。
 騎士団内においてヴァンパイアの絶対数は少なく、とても貴重な人材といえる。そんな貴重な人材を、下着同然の格好で交戦地域に立たせるなんて、正気の沙汰ではない。


 こんな噂話を聞いた事がある。

「霧島リカは突然、東方に現れた。」

 実際に彼女の前歴は不明な点が多く、ViPのリーダーであるという以外、詳しく公表されていない。
 先日中尉になったばかりなのに、以前から東方大将を知っていたり、中央の大佐から直接指令を受けていたりと、「数少ない銀毛種だから」という理由だけでは到底説明がつかないコネクションを持っている。

 彼女は恐らく中央騎士団の人間。
 階級も偽りの可能性さえある。なんせ、メール1つで書き替わるような階級だ。

 ViPがライブを隠れ蓑に、表沙汰にできない任務を遂行しているとしたらどうだろう。
 規制や監視が緩い東方に拠点を置いているのも、最新技術を導入しやすいから、と考えれば納得できる。

 現に、私がいま着ている4G光学迷彩搭載のバトルスーツは、特殊部隊ですら正式採用は来年のはず。
 誰の権限で、こんな無用の長物をアイドルに支給したのか。


 先日の南米ライブも、裏に本当の任務があったとしたら…。

 

 その任務は、敵襲を未然に防ぐ内容だったのではないか。
 つまり彼女達は任務に失敗し、南方騎士団に甚大な被害をもたらしてしまった。

 レイナさんの言葉通りならば、姉妹は以前にも失敗している。
 上層部からしてみれば、マリナさんの負傷は、ViPという安全柵に守られた不出来な姉妹を交代させる、又とないチャンスなのだ。

 そして、本人にその意思があるかは別として、ミュータントであるマルセーラ・モリノ三等兵が、引導を渡す役として選ばれた。
 二階堂姉妹にとって、ミュータントは勝てる要素が1つも見当たらない完璧な対抗馬だ。



「分かったなら…、ほっといて…。」

 真っ赤なビックスクーターをリアライズしたマリナさんは、他言無用、と涙を拭いながら冷たく言ったのを最後に、レイナさんと共に行ってしまった。


 私は姉妹が残していった端末を拾い上げ胸に抱いた。

 

 この端末は、姉妹と特2のつながり、そのもの。
 だけど、主を失った端末は、どんなに呼びかけても、ただの「ぬいぐるみ」でしかない。

 

 もう戻ってくる事はないのだと思うと、悔しくて、やるせなくて、涙が止まらなかった。

 私は、ごめんね、と泣きながら、主を待つぬいぐるみを何度も抱きしめ、その度に涙を重ねた。

 


 姉妹を乗せた快音は、山向こうの雑音に紛れ、やがて消えた。