宇宙はとても騒がしい。
耳を澄ますと、地上の何千倍、いや、何万倍もの生命の息吹が聴こえてくる。
『サクラ、宇宙には本当に沢山の生命がいるね。』
赤い瞳の黒い身体を得た後も、私の声は失われたままだったけど、なぜかサクラとはテレパシーで会話できる。
「良い奴ばかりとは限らないけどね。」
青い瞳の白い女神が、私の隣りに立って言った。
フィとミヤタさんを文字通り骨肉に至るまで吸収した私達は、不本意ながらそれぞれの身体を得た。
彼女が最初に望んだ未来は、半分果たされたことになる。マルセロさんと共に生きる、という残りの半分は諦めたらしい。
これから先は彼女自身が決める。
気を失っていたマルセロさんは、私が少し触ったらすぐ元気になった。
呪いのお陰もあって致命傷は免れていたんだと思うけど、もしかしたら、黒い女神の能力によるものかも知れない。
まぁ、女神姿が入れ替わった事を説明する間に、私は5発も撃たれたけど…。
ナグルファルの運転音が止まった。
サクラは、そろそろね、と言って、あくまでも計算上の注意事項をご丁寧に説明してくれた。あくまでも計算上…。
私達は、時空転送で「元の時間軸」に戻る。
これは嘘らしい。
以前居た同軸線上に戻るのは不可能だ、とキッパリ言われ、ついでに、消えた同一時間に戻れる保証もない、と捕捉された。
時のループを防ぐためとかで、私の場合、HCマインによるエンドレスタイムトラベルが該当する。
サクラのせいで「HCマインと白い女神の田中さくら」の組み合わせは、各時間軸から消滅する可能性が高い。
私達がこれから戻る時間軸は、元いた軸とも、今いる軸とも異なる。
簡単に言うと、別のパラレルワールドに行ってしまうわけだ。
パラレルワールドに行っても記憶が書き換わるので、不自由なく生活できるらしい。
パラレルな自分とばったり遭遇ってのは、あり得ない、と言っていた。
サクラの話を聞く限り、何人もいる過去の「私達」の中から、たまたま「私」が選ばれた、って事になる。
それって厳密に言うと、私とサクラは同一人物じゃなかったりするんじゃね?
ナンノコッチャ分からないけど、サクラは納得してるので私が納得したフリをすれば、この場は丸く治まる。
最後に、軸違いでも未来から過去に移動すると未来で得た記憶は全て失われる、とサクラは言った。
これらは全て、時の公平性を維持するための「謎の力」なのだという。
私は、サクラの事も、ゴリオの事も、ミヤタさんとフィの事も忘れてしまう…。
「いま説明した事も忘れてしまうから、あんまり意味がないけどね。」
サクラの長ったらしい説明に、私は、だいたい分かった、とだけ伝え、転送前に気になっている事を聞いた。
『これからどうするの?』
少しだけ間をおいてから、サクラが穏やかに答えた。
「…戦うわ。地球はフィ達のもの。今になってノコノコ戻ってくる人類なんかに渡してやるもんですか。それに、あなたのブリュンヒルド…、単体の戦闘力は残念なくらい低いけど、対集団なら私のブリュンヒルドより勝算があるわ。」
穏やかな口調だったけど、秘められた意思は強い。
彼女は、サクアモイとして、フィの願いを聞き届けるつもりだ。
"時空転送システム、起動。…転送対象、ロックオン。…転送開始まで、残り180秒…。周囲の非対象者は退避してください。"
ガイドロイドが無情の別れを告げた。
色々あった私とサクラが、簡単な別れの言葉を交わしただけでお互い背を向けた一方で、マルセロさんとゴリオは、暑苦しい程の抱擁を交わしている。
ゴリオが私にしてくれたハグはあっさり系だったのでちょっと悔しい。
サクラは、マルセロさんが復活して以来、入れ替わりの説明以外に言葉を交わしていない。
説明している最中も、努めて彼を見ないようにしていた。
彼女はこのまま別れるつもりだろうか。
時空転送が始まった。
前方から数字のたくさん書かれた光がやってきて私とマルセロさんを包む。
EAX転送と違って、時空転送の光は赤紫色の1色だけだ。
光の中は何もなくて、視覚から得られる外の情報は遮断される。
私は、マルセロさんの大きな手をギュッと掴んだ。
力強く握り返してきた彼の手は、力強くて優しかった。
マルセロさんの手はとても大きい。
「マルセロさん!」
泣きそうなサクラの声が聴こえた。
振り返っても彼女の姿は見えない。だけど、たぶんすぐ側にいる。
握ったままの手を引き寄せてマルセロさんを見つめると、彼の視線が遠慮がちに光の向こうへ移った。
「サクラ!いろいろあったけど、ありがとう…。俺…、俺…」
「マルセロさん!…ずっと……」
サクラの想いは彼に届いただろうか。
『ずっと、忘れないから。』
私の声は音にならなかった。
"転送完了。地球へ帰還しま…"
「サクアモイ様!…我々、山の民は、風と水の民と共に、草を払い、あなたの道を拓きましょう。」
ガイドロイドの声を遮るように、ゴーリオが床に拳をついて力強く宣言した。
サクアモイと呼ばれた白い女神は、彼に背を向けたまま、壊れた巨大な球を見上げている。
「期待しています…、竜の子よ。」
壊れたFRIGGを見上げる女神の瞳から、言えなかった言葉が零れた。
ーーーーーーーーーー
「ちょっと、さくら?聞いてんの?」
顔の前に乳が迫っていた。
私の手には、今日発売されたばかりの、巨大さがウリの新作ドーナツが握られている。
「え?あ、すみません。なんの話でしたっけ?」
ここままだと窒息死させられそうなので、とりあえず、自慢の黒いランスで中心を押してやった。
けしからん乳をピンポイント攻撃された知子は、変な声を出して床を転がる。
あの感触…。
知子のブラは確実にズレた!
「Vに名前をつける話だょ。さくにゃんが言い出しっぺじゃん。」
レイナさんが邪魔そうなゴールドアクセを鳴らして言った。
「ボク達のは……、ボルシチ…、でいい…。今日のランチだったから…。」
「なにそれ!?なんで1人でボルシチ食べに行ってんの?」
マリナさんの言葉にレイナさんが飛びかかると、ゴールドアクセがジャラジャラと一層うざく鳴った。
Vの名前をボルシチにされたことよりも、ボルシチを食べたことが問題らしい。
「ボク、ケガ人…、止めるべし。」
マリナさんに右脚の生体義足を見せびらかされたレイナさんは、ジャラジャラ鳴らしてぶぅぶぅ言った。
「それにしても、あの白い女神様は誰だったんだろうね?データにないらしいょ!」
乳ランスのダメージから復活した知子が、ズレたブラジャーを直しながら言った。
「さくにゃんと息ピッタリだったもんねぇ。」
「ボクも…助けてもらった。」
「自分と中尉が到着した時、すでに戦局は決していた。」
「モントリーヴォ少佐は、准尉の働きを賞賛していたぞ。現地兵との連携も素晴らしかったと。」
「えへへ。」
みんなが南米基地での私の活躍を褒めてくれた。
私は自分勝手に飛んだ後、なんだかんだと現地兵と協力して作戦を実行することになり、突如現れた「隻眼の」白い女神様の力が大きいけど、結果として多くの人々を救うことができた。
彼女は、豊かな金髪をなびかせて、何も言わず、淡々と人々を救出していった。
モントリーヴォ少佐が勝鬨をあげた時、彼女の姿はどこにもなかった。
彼女の行方は、誰も知らない。
「どことなく、さくらのブリュンヒルドに似ていたな。」
「えぇー!?どこが?さくらのは戦う前からガサガサのボロボロで真っ黒じゃん!」
神河少尉の言葉を、知子が全身…、ではなく、主に乳で、否定した。
「それより、早く名前。ボク…、そろそろ、診察。」
マリナさんが両腕につけた時計を交互に見ながら言った。
彼女のそわそわっぷりはとても分かりやすい。
「マリぃ、病院嫌いじゃなかったけ~?」
レイナさんが言うまでもなく、東方騎士団内はマリナさんの噂で持ちきりだ。
マリナさんが、自分を「ボク」と呼ばないお医者さんがいる。
「あらら~?弾入ってないでしょ~?」
真っ赤な顔でライフルを構えたマリナさんを、レイナさんがジャラジャラと茶化した。
「別に良いじゃないか。特2は恋愛自由だ。では、私から…、そうだな。デモネスは…」
「ミヤタさん…、かな。次、リオン。」
「ミヤタさん!?なんで?おばさん臭い!三十路いってそう!ぐはっ!」
余計な事を言った知子が、再び床に転がる。
「…。…。」
「…ゴリオ。次、軍曹。」
「ゴ、ゴリオ!?オスなの?オスなのっ!?特2の上官、センスなさすぎ!うごぇっ!」
知子が床と一体化した。
「わ、私のルサールカはねぇ~。」
「フィ☆きらりん♪ラストは、さくら!」
床が言った。
「みんな、決めるの早いですよ!私のはぁ…、えーと…、うーん。」
「あっ!…マ…ふへほ!」
言いながら頬張った巨大な新作ドーナツは、とても大きくて、とても…、とても甘かった。
いつまでも食べていたい、そう思った。
ー第3章・完ー
※第4章からは毎週土曜日更新です。