床に転がったボロ翼から、生命の躍動する音が聴こえてきた。
 もう少しで2人のリプロダクションが完了する。


"初めての割には、とってもお上手だったわよ。"

『初めてじゃなくて最後だょ、クソババア。』


 疲れた…。
 呼吸するのをやめよう。

 私は冷たい床の上で瞼を閉じた。





「じゅい?」

 フィの声がした。


 成功したんだ。よかった。

 ごめんね。もう目を開ける元気もないの。


「じゅい?」

 頬に瑞々しい手が触れた。懐かしかった。

 

 私も手を重ねてあげたいけど、腕がなくなってしまったみたいだ。まるで感覚がない。


「じゅいのほっぺは冷たいね。フィの手はあったかい?」

 とっても暖かいよ。


 私の声はフィに届いただろうか。



「フィーリャ、ジュイ様はお疲れです。寝かせてあげなさい。」 

 ミヤタさんの綺麗な声がした。

 

 ありがとう。本音を言うと、これから私に起こる現象をフィに見られたくなかったんだ。


「ミャタポ?じゅいは寝ないよ?」

 フィはたぶん知っている。

 

 彼には聴こえてるから。



「じゅいは死んじゃうんだよ!ドクドクが小さくなってるもの!」

 やっぱり聴こえてたんだ。

 ごめんね。一緒に水辺のお家に帰る約束、守れなかったね。



「ミャタポ!このままで良いの!?」

「フィーリャ…。」

 ミヤタさんの声が曇った。



「ミャタポも見たでしょ!ミャタポのバカ!」

「フィーリャ…。ミャタポには何が正しいのか分からない。」

 フィがミヤタさんに悪態をつくのは初めてだ。

 

 彼らは何を見たのか。



「じゅいは…、じゅいはサクアモイ様なんだよ!?サクアモイ様はみんなを助けてくれるんだよ!?ッタタ爺もミャタポも言ってたじゃない!」

「フィーリャ…、サクアモイ様は居なかったの…。」


「うそつき!じゅいはサクアモイ様だもん!金色の娘だもん!いまは…、力が無くなってるだけだもん!」

 2人が何を理由に言い争っているのか、私には皆目見当がつかない。



「サクアモイ様は死んじゃダメなんだよ…。小さな太陽が落ちてきても、サクアモイ様が…、じゅいがみんなを助けてくれるんでしょ…?」

 黒く塗りつぶされていたサクラの記憶が、1つ開示された。

 未来の地球に月はない。
 代わりに太陽が2つある。

 2つ目の太陽。

 その正体は地球へと飛来する、千を超える巨大船団の灯りだ。
 46万年前に地球を旅立った人類が、太陽にも勝る光明を灯し、地球に帰還しつつある。


 おそらく2人は、狭間の世界に行った。
 そこで2つ目の太陽の真実を知った可能性が高い。

 フィに限っては、確証を得たのだと思う。
 彼の聴力は、耳に優れた水の民の中でも特に秀でていて、金毛種の私を超える。
 雨の日に茫然と空を見上げるフィを、道中で何度も見かけた。

 

 彼は小さな太陽が徐々に迫るのを「感じて」いたのだろう。



「フィは知ってる!サクアモイ様は、サクアモイ様は…っ!」

"フィーリャ!やめなさい!"

 最後の力を振り絞って身体を動かしたのはサクラだった。
 起き上がった拍子に、左肩がプラスチックみたいにバキッと折れて、砕け散る。



「サクアモイ様が…みんなの血で…強く、金色に光るの…フィは知ってる…。」

 瞳の色は「赤と青」どっちだろう、とそんな事を考えてしまった。


「サクアモイ様…みんなを助けるって…、約束して…。…ゴー…リォ……大…き……だ……ょ…」

 私(サクラ)の手が届くよりも早く、フィは渦巻く水刃を自らの首に当てた。

 

 

 泣きはらしたフィの顔が、勢い良く飛ぶ。


 彼の眼に、最後に映った私の瞳は、何色だったのだろう。


 水は流る。
 願わくば空を写した水のような、鮮やかな青であって欲しい。



 私の背中から、黒に侵食される寸前の金色の糸が、つまりは、血に反応したVマイクロムが、自らの生存を賭けて自発的に現れ、赤に染まるフィを取り囲んだ。


"違う!エサじゃない!現れたのならフィーリャを直ちに修復しなさい!"

 しかし、血に飢えたVマイクロムに、サクラの声が届く事はなかった。
 蛇のように様子を伺っていたVマイクロムは、落ちてきた頭部を「誰か」が食べたのをキッカケに、我先に、とフィーリャの身体を貪り始める。

 少年の亡骸を護ろうと、渦中に飛び込んだミャタポの悲痛な叫びは、すぐに消えた。


"違う!違う!違う!私が望んだのはこんな結末じゃない!"

 紅蓮色の男は、叫ぶサクラに背を向け、竜に姿を変えた。
 

"ドラキュラ様!どうして!あなたなら救えたはず!"

 竜はこちらに背を向けたまま、天に預けていた星を受け取ると、音もなく星の中へと消えた。

 

 

 竜の居た場所に、ミャタポとフィーリャの姿はなく、ただ、ゴーリオが横たわっているだけだった。



 蠢いていたVマイクロムが散ると、半同化状態にあった私達は引き離され、私は私として、サクラはサクラとして、それぞれが輝きを取り戻し、手を伸ばした格好のまま2人同時に女神へと姿を変えた。
 サクラは青い瞳の白い女神に変わり、私は…、赤い瞳のヒビ割れた黒い女神に…。

 自由を得た黒い私は、必死にフィとミヤタさんの痕跡を探したけれど、2人の痕跡は僅かな一粒すら見つからなかった。


 全ては、真夏のアスファルトに一滴の水を落としたような、一瞬の出来事だった。