巨大な球が色を変え始めた。
 金属の輝きを放っていた表面が徐々に薄れ、ガラスのような質感に変わっていく。


 マテリアルトランスフォーマー、通称MTP。
 Vマイクロムの組織を基に造られた複数のマテリアル情報を記憶・再生できる素材、コンダクティブカーボンで作られた製品の総称で、組合せに限界はあるものの、ガラス、石、金属など、同系異種のマテリアルを性質ごと完全再現できる。
 この技術を使うと、ガラス面と金属面につなぎ目のない製品が作れ、製品完成後にマテリアルの組替えも可能になる。
 マルセロの生きていた時代には実験段階にすら至っていない技術だ。


 こちら側半分が完全にガラス化した球は、薄っすらと白く濁る液体で満たされていた。

 中に人影が見える。


「そ、そんな…!まさか!」

 マルセロは膝が揺らぐほど激しく狼狽した。


 球の中に浮かぶ人影。それは、黒い翼を広げた女神。

 女神は何も身につけず、膝を抱えた姿勢で球の中央を漂う。

 

 

 不規則に広がる豊かな金髪が、フォトンバクテリアの光を反射して煌めく。


「准尉!?准尉!返事をしてください!」

 女神は瞳を閉じたままだ。

 よく見ると女神の背中から翼など生えていない。
 黒い翼に見えたのは、背中に接続された無数の黒いケーブル。巨大な球の下に並べられた大量の物体と、その1つ1つから伸びる夥しい数のケーブルが目に入る。

 

 それらの行き着く先が女神の背中なのか。


「クソ!なんだってんだ!」

 マルセロは吐き気を覚えた。彼が騎士団に入る前、スラムでギャング達に囲まれた時も、今と同じ感情、同じ吐き気が湧いてきたのを思い出す。

 その時は、ギャング達を血祭りに上げるまで収まらなかった。

 物体の1つに掴みかかったマルセロが、抜き放ちざまにナイフを当てがい、ケーブルを引き裂こうと力を込めた瞬間、サクアモイが言った。


"それも私です。傷つけてはなりません。"

 それは、今まさに自分が傷つけられる直前とは到底思えない、落ち着き払った母の声。


「ふざけるな!お前はAIだ!准尉じゃねぇ!今すぐ准尉を離せ!このクソ野郎!」

 ケーブルを持つ左腕とナイフを持つ右腕。あとほんの僅か、マルセロがその右腕に力を込めればケーブルは切断される。





"私は…、サクラ・モリノ…。…あなたの妻です。"

 脳に直接響いた囁きに、マルセロの瞳孔が開く。

 両腕とケーブルが同時に最大の緊張を失い、間際にあった「切断」は消えた。

 

 高鳴るマルセロの心音を打ち消すようにサクアモイは言葉を続ける。


"この声は、あなたにしか聞こえないわ。フィーリャにも聞こえない。だから、…お願い。最後まで聞いて…。"

 女神は瞳を閉じたままだ。
 マルセロはケーブルからゆっくりと手を離し、加勢しようと駆け寄ってきたゴリオ達を、その手で制した。


"ありがとう…。私は…、私達は人類歴、西暦2020年2月7日…。マルセロさん、あなたが死んでしまう前日に結ばれた。"

"立会人は東方騎士団のアウエンミュラー大将ご夫妻。たった1日だけの魔法のような時間だったわ。"

 

"今の私は、少佐よ。サクラ・モリノ少佐。"

"サクアモイ?ふふふ。いつの間にか名前が訛ってしまったのね"

"私達には娘もいるのよ。娘は、…ララは、あなたに似て、とても優しい目をしていたわ。動物が大好きな普通の女の子。私達の様な人生は歩まず、遠い場所で普通の人として幸せに生きた。"

"私はララの人生を全て知っているけど、ララと共には生きられなかった。ずっと側に居るって、あなたとの約束を守れなかった。…ごめんなさい。"

"2035年5月17日。"

"神の軍勢から総攻撃を受けて、地球は壊滅した。総攻撃前に地球を脱出した人々を除いて、全ての生き物が一瞬にして消えてしまったわ。安心して、ララも脱出した1人よ。"

 

"2034年初頭から、騎士団は神の居城である宇宙に進軍していた。地球への総攻撃は、騎士団の攻勢を恐れた神の足掻きだったのね。総攻撃から、わずか2年で戦いは決したわ。"

 

 

"騎士団は…、いえ、地球人は、神に勝利した。だけど、母なる地球は、既に死の星…。"

 


"神の殲滅後、騎士団に課せられた使命は、いつか戻ってくる人類の為に地球を再生すること。"

 

 

"地球を再生させるカギは、私…。"

"朽ちかけた地球を元に戻すためには、無尽の再生力を持つ私と、再生の源となるVを、FRIGGに接続して地球そのものを再生させるしかなかった。周りにハコがあるでしょう?その中にVの核が入っているわ。"

"2037年10月12日。"

"ララの17回目の誕生日を1人で祝ったあと、…私は、FRIGGと1つになった。"

 

 

"それからずっと、私は1人…。最初の肉体は1万年と保たずに朽ちてしまったけどね。"

 

 


"それが46万年前のこと…。"



 女神は瞳を閉じたままだ。