『てえーい!てぇぇぇーい!フリじゃねぇ、っつーの!私は何をしている?なぜ、大切にとっておいた乙女のファーストキスを同僚に捧げた?』


 知子は最初、突然の出来事に目を見開いて身体を強張らせていたが、ゆっくりと瞼を閉じ、私に身を委ねた。
 ジュレのような彼女の唇が、少しカサついた私の唇を潤していく。

 再び無言になった待機室が、さっきよりも暖かく感じられる。


『なんだこの展開は!私が自分の意志とは無関係に動いている気がする!これは私?それとも…?』


「痛っ!」

 そう言って、私の手から離れた知子の下唇からベリーソースのような血が一滴、零れ落ちた。


「知子の血…お守りだね。」

 私は知子の方を向いたまま、笑顔で一歩二歩と後ろに下がり、彼女の可愛らしい爪の射程範囲から逃れる。


「さくらっ!」

 伸ばされた知子の手は遠かった。
 私は、バイバイと手を振って、今度こそ部屋を後にした。



『さっぱり意味がわからない…。キスする必要なくね?少年とエレベーター2人きりなのにお互いに声掛けづらいじゃん!』

 少年兵の後ろ姿が「僕は何も見ていませんオーラ」に包まれていたので、私は彼の年齢を聞くのを止めた。



「足元にお気をつけください。」

 エレベーターの終着点は、フロアではなく小さな階段の上。
 先にエレベーターを降りた少年兵が、私の手を取って階段下までエスコートしてくれた。

 …私はちゃんと女子のようです。



 世界最大のA101EAXゲートへと続く道は、超軟性特殊強化ガラスのチューブで出来ている。
 チューブの入口が生体ナノフィルム独特の色味を帯びていることから、チューブの中と外は隔離状態にある。

 少年兵は、自分はここで失礼します、と言って、チューブの左右に整列している兵士達の、右列の一番奥に合流し、私に敬礼した。
 チューブの左右には、急遽接続準備をしてくれたA101ポートの皆さんが並んでいる。
 全員が私に向かって敬礼をしているのは、私が何の目的で、どこに飛ぶのか、理解しているのだろう。


「爺、起きてる?」

《はい、ですじゃ。姫様、なんです、かな?》

 私はAIを起動して「まみぃちゃん」を床に赤ちゃん座りさせた。



「設定変更。スタンドアロン…ON。私に何かあったら、爺だけでも帰国して。」

 私は、ふぅ、と息を吐いてから、ぬいぐるみに声をかけた。


《姫様…、設定完了…。》


 ウィィン…キュルル…ウィン、ウィン……

 まみぃちゃんから沢山のモーターが動き始める音がして、座ったままのまみちゃんから、ピララララン♪と☆KimoKawa☆シリーズ独特の起動音が鳴った。
 ほどなくして「まみぃちゃん」の目が青色に輝き、赤ちゃん座りしたまま周囲を見渡し始める。


「爺、上だよ。」

 まみぃちゃんの青い目が私を見上げる。
 所有者を認識したまみぃちゃんは、前に手をついて重たそうなおしりを上げると短い脚で器用に「たっち」した。

 それから、可愛らしくお辞儀をしてヨチヨチと歩き始めた。


《姫様、ご機嫌、いかがです、かな?》

 可愛らしいけど、中身は爺のままだった。


《爺、が、お守り、します、ぞ!》

 ポフポフッと気持ち良さそうな音を立てて胸を叩く、頼りないナイトが言う。


「頼りにしてるよ。」

 私は爺を肩に乗せ、私を送り出してくれる皆さんに敬礼を返した後、後ろを振り返って待機室を見上げた。
 窓に手をついて座り込む知子の姿が霞んで見える。

 

 私は彼女に敬礼をしながら女神へと姿を変えた。

 再び前を見据える。
 チューブは7色に光るゲートに向かって真っ直ぐ伸びている。
 

 


 ナノフィルムをくぐると、中は全くの無音だった。

 

 無音の世界は想像を絶するほど恐ろしい。

 

 

 恐怖に支配されてしまう前に、と私は無音の中を最高速で駆け抜けた…。






ーーーーーーーーーー
 宇宙はとても騒がしい。

 耳を澄ますと、地上の何千倍、いや、何万倍もの生命の息吹が聴こえてくる。



『いつか…宇宙人の友達が…できるのかな…。』

 少しずつ凍っていく意識の中で、私はそんなことを考えていた。