パチパチパチパチパチパチ…

 背後からバラの香りのする拍手が聞こえた。
 振り返ると今さっき殺したばかりのルイズさんが立っていた。

 今度は私が慌てて槍先を見る。
 いつの間にか人の顔に戻っていたが、槍先には目の前のルイズさんと同じ顔が確かにある。
 

「驚きました?それ、私の皮ですの。蛇が脱皮するのをご存知なくて?」

 もう1人のルイズさんは楽しそうにくすくすと笑いながら言った。
 彼女の笑顔を見た途端、身体中に冷たい汗が流れる。この汗は理解できない状況のせいではなく、記憶のせいなのだと右半身の痛みが言う。


「それにしても素晴らしいわ。皮でも20%程度の力はありますのよ。」

 困惑する私を無視して彼女は言葉を続ける。

 ルイズさんの一族イメージの1つであるラミアは、定期的に脱皮を行う。
 脱皮した皮は自然にリアライズされるため、一族は皮を影武者として使う習慣を持っている。新しい皮を脱皮すると、古い皮のリアライズ効果が消え、古い皮はその時点で消失する。
 本体と皮のヴァンパイアとしての性能差は平均10:2。皮でも一般的な黒毛種を上回る。
 知能など人間的な性能差はないが、性格だけは欲望に対して素直になる。
 本体と皮の間で意識共有機能はないが、例外的に皮の見ているビジョンだけは、アクセスすれば本体も見られる。

 以上が彼女の説明だ。
 つまり、新たに現れた本体と思しきルイズさんも、少なからず皮と同じ趣向を持っている事になる。
 私は槍先に刺さったままの皮の頭を振り飛ばし、本体に向かってランスを構えた。


「うふふ。私は、皮ほど下品ではなくってよ。」

 ルイズさんは人の姿のまま一瞬で間合いを詰めると、槍先を掴んで私からランスを奪って軽々と放り投げた。
 一連の動きはティッシュペーパーを取るような軽やかさだったのに、ランスは遥か上の天井に深々と突き刺さっている。
 10:2の能力差が真実であると、まざまざと見せつけられた私は、オンセットを解き、彼女に戦う意思がないことを示した。


「賢明ね。平和が一番ですもの。」

 本題に入る、と前置きしてルイズさんがパチンと指を鳴らした。
 繋ぎ目のない床から診察台に代わって2脚の椅子が出てきた瞬間、私は思わず安堵のため息をついてしまった。
 そんな私を見た彼女は、笑いながら、どうぞ、と椅子を勧める。本体のルイズさんに殺意がないのは本当だと思う。


「あなた、大尉の血を飲みましたわね?」

「たいい?」

 椅子に座るなり、ルイズさんが目を輝かせて質問してきた。


「アレクセイ・エフシコフ大尉よ。ヤノーシュ大佐と一緒にいたでしょう?」

「超絶イケメンのアレクセイさん!」

 そうね、素敵な方ね、と彼女は関心なさそうに相槌を打つ。


「彼の一族イメージはレイヴン。黒翼の大鴉よ。」

『黒い…翼』

 ルイズさんは沈黙する私を見てフワッと笑った。


「今回リアライズされたあなたの右翼は、間違いなく大尉の血の影響を受けているわ。だって、フェザーバレットは大尉の技ですもの。」


 ルイズさんの論はこうだ。

 両親が共に宿主だった場合、稀に2種のVマイクロムに対する共生適正を持つハイブリッド宿主が生まれる。ルイズさんがこれに該当し、遺伝に起因するものと考えられている。このケースでは両親のVマイクロムにしか適正を示さない。
 ここでポイントになるのは、1人の宿主内に2種、あるいは2種以上のVマイクロムが共生できる点だ。各種Vマイクロムの遺伝子誤差は1万分の1しかない事から、体内で分化可能な基礎生物への適正があれば、理屈では不可能ではないという。
 私の両親の遺伝子に適正因子は全くなかったらしく、私は突然変異、または超隔世遺伝による適正因子獲得者という事になる。恐らくは超隔世遺伝だと彼女は推測している。私の遠い先祖の親に適正者がいたが、宿主の長寿化の影響で親から子にVマイクロムが世襲されなかったケースだ。
 私の先祖の誰かが適正因子を有していた可能性は高い。全人間が因子持ちになってしまう様に思えるが、適正因子の遺伝率は子供で15%、孫で8%、ひ孫で1%程度と低いため、殆どの人間に因子は受け継がれていない。
 余談だが、孫として育てられていても、本当は宿主の実子というケースは少なくないらしい。
 話を戻すと、私のケースと彼女のケースでは、決定的な違いがあると言う。
 ルイズさんは2種が同時にオンセットする。一方で私は、1種がオンセットした状態に2種目がオプション的にオンセットされる。
 この現象について彼女は、2種目のVマイクロムが宿主ではなく、主となるVマイクロム、私なら金毛種に、寄生して、或いは寄生させられているのではないか、と考えている。

 あくまでも仮定だが、私のケースならこうなる。
 初結合の暴走時に私の中に取り込まれたアレクセイ大尉の血液は、結合の栄養分に使用された後、血液に含まれていた大尉のVマイクロムが消滅前に金毛種自体と寄生関係を作り、金毛種の治癒能力を享受することで黒毛種は生存を続けた。

 むしろ仮説においては、金毛種によって絶対数をコントロールされていた、と言う方が正しい。
 今回、皮のルイズさんに濃度を下げられた事と、基宿主である私の脳波をキッカケに、金毛種が体内の黒毛種を急速培養し、黒毛種を失った分の補完に充てた。その結果、黒翼のリアライズに至った。



 怖くないルイズさんのよく分からない話が終わった。


「あの…私は大丈夫なんですか?副作用?とかないんですか?」

 私はまだ16歳だ。
 今日を切り抜けた代わりに明日死ぬ、なんて事態はご遠慮願いたい。


「ごめんなさい。初めてのケースだから私にも分からないわ。あなたがVマイクロムを無尽蔵に取り込めるかも分からないの。」


 ルイズさんの推測が正しければ、私の体内には金毛種以外に3種のVマイクロムがいる、かも知れない。