ここは都内某所にある王国東方騎士団本部の一室。
世界中のどの地図で確認しても、この施設は政府管轄の研究施設、ということになっている。地上8階建てのメインビルが1棟。高さよりも建坪を優先した造りらしく結構広い。部屋に案内される途中の窓からチラ見した感じだと、敷地内にはこのビルの他に見慣れない形の建物がいくつも建っていた。
私は霧島先輩を含む数名の騎士団員と朝からこの部屋にいる。
5分先ほど前にニュース番組でよく見かけるスーツ姿のおじさんが、イカツイお兄さん2人を連れて入って来た。
おじさんは入って来るなりふっかふかの革ソファにドスンと音を立てて腰を下ろし、テレビを点けると無言のまま、こちらには一瞥もくれずに次々とチャンネルを変えていく。
公共教育チャンネル以外、どのチャンネルもほぼ同じ内容を放送している。おじさんの我儘なチャンネル操作は、大物司会者がメインキャスターを務める民放の人気ワイドショーで止まった。
"今日午前0時30分頃、ここ、東京スカイツリーに舞い降りた女神は、神秘的な歌を歌い、忽然と姿を消しました。スカイツリー周辺には女神の痕跡を探そうと朝から多くの人々が詰め掛けています。交通整理に警察が出動するなど、辺りは騒然となっています。"
"女神は我々に何を伝えようとしていたのでしょうか?以上、現場からお伝え…"
中継が終わるのを待たずに、おじさんは咬筋をピクピクさせながらテレビを消した。
「はぁ…どうしますか、この騒ぎ。」
顔のシワ加減とマッチしない黒々しい頭を抱えるおじさんの、少し禿げ上がった頭頂部を見て、私は彼が内閣官房長官だと気づいた。
朝起きたら、日本中、いや世界中が大騒ぎになっていた。
たまたま望遠カメラでスカイツリーを撮影していた人に昨夜の女神姿をパパラッチされ、SNSで拡散されてしまったのだ。
兄と私のおバカさの原因とも言える母は「絶対、女神様のサイン欲しい!」と、テレビに小さく映る娘を指差して、そうとは知らずに大騒ぎしていた。
私は血相を変えて飛び込んできた霧島先輩に「今から朝練だ!」と、パジャマ姿のまま拉致られてここに来た。
そんな険しい表情にならねばならないほどの朝練に、誰が参加するというのか…。あ、1人思い当たるかも。
「申し訳ありませんでした。しかし長官、この方は金毛種であり、騎士団に属しておりません。まだ代わられてから日が浅いことから、歴史等々を学んでおられる最中かと…。」
官房長官に頭を下げているのは、王国騎士団のアウエンミュラー東方大将だ。ロマンスグレーの素敵なおじ様…、嘘つきました。大柄なペラ男よりも更に大きい上に、モミアゲがメッチャ逞しいので、本当はちょっと怖いです。
私は「田中さくら」としてではなく、件の女神として、だだっ広い革ソファの中央に官房長官と向かい合わせで座っている。この場合、官房長官が女神の前を選んだと言える。
ちなみに私の両隣には、まだ日本で野暮用をこなしていたペラ男と、素敵な大将様が座っている。
アウエンミュラー大将が頭を下げたのに合わせて、こちら側の全員がごめんなさいをした。
みんな「申し訳ない顔」がとても巧い。大将の言う通り、騎士団には関係のない騒ぎなので、本来なら彼らが頭を下げる必要はない。
一番申し訳ない顔をしなければならないのは私だ。しかし、女神は全くの無表情。加えて喋れない。表情一つ変えず黙って座っている女神に、官房長官は破裂寸前の怒りを抱いていることだろう。
「属してないったって、同じ仲間でしょう!…何日前からでしたかね、そうなられたのは?その、なんだ、先代からの引き継ぎやら、そういうのはちゃんとやってもらわんと困るんですよ。私は先代の方を存じ上げませんが、長年上手くやって来たでしょう。」
爆発しそうな勢いで話し始めた官房長官だったが、少し間を置いて続けた言葉はしっかりと火種を抑えていた。さすが長年に渡り政権を支えてきただけのことはある。
「今回は不慮の事故による急な世代交代でして、我々も対応に苦慮しておるところです。」
「何百年も生きてきた方が事故で急逝とは、俄かに信じられませんな。」
官房長官の眼鏡がライトを反射して瞬く。
お偉いさん2人の会話に、何やら複雑な事情がありそうだ、と感じながらも部外者の私は見なかったことにした。
「事故です。…原因は調査中ですが、現時点では人間側の落ち度も視野に入れて調査しています。」
大将の身体が仄かに輝いた途端、私は思わず右側の男性に抱きついてしまった。
視線を上げると割れたアゴにじっとりとした汗が溜まっている。アゴの様子から察するに、彼も私のとった行動の意味を理解している。いや、彼だけでなく、官房長官を含むこの場にいる全員が理解しているはずだ。
アウエンミュラー大将の輝きは銀色だった。
問題はその質だ。色の濃さがペラ男や霧島先輩が放つ光とは根本から違う。
左側に感じる圧力はビリビリなどと言う生易しいものではない。ただの光に殺される、私は本気でそう思った。
「…っ、まぁ、今回の件は政府が情報操作しておきますが、そちらも再発防止の徹底を。」
謝罪ムードから一転した大将の圧力が、この件をあっさりと終わらせた。
「日本政府のご理解とご協力に心より感謝いたします。」