「中学生のうちにタイトルを取りたい」と宣言して丸4年。13歳11カ月の中学生棋士、仲邑菫三段が〝公約〟を守った。6日に行われた囲碁の第26期女流棋聖戦三番勝負の最終第3局で、3連覇を狙ったプロ7年目の上野愛咲美女流棋聖(21)=女流立葵杯=を破り、初のタイトルを獲得。藤沢里菜女流本因坊(24)=女流名人=が平成26年、トーナメント戦の会津中央病院杯で優勝した15歳9カ月を、1年10カ月若く塗り替えた。

■英才枠採用の逸材

「(昨年7月の)扇興杯決勝で負けたときに、もうチャンスはこないかなと思ったけど、頑張っていれば結果は出るんだな、と。他の女流棋戦や一般棋戦でも活躍できる棋士になりたい」。仲邑三段は念願のタイトル初奪取後、報道陣に静かな声で話した。

史上最年少(当時)の10歳0カ月で入段した仲邑三段は常に活躍を期待され、勝利を求められてきた。

国際大会で勝つには、強豪国になった中国や韓国のように若年者育成の必要がある-との判断で平成31年、日本棋院に新設された「英才特別採用推薦棋士」枠。将来有望な小学生をプロにする制度は現在まで、仲邑三段が唯一の例だ。導入当初は「早すぎるプロ入りは、才能をつぶす危険もある」と懐疑的な見方もあった。しかし副理事長時代に提案した小林覚理事長は「若いうちから国内外の強い棋士と対戦することほど、勉強になることはない」と、仲邑三段の成長を見守ってきた。

■第一人者も驚く急成長

早くから実力の一端を感じ取っていたのが、第一人者の藤沢女流本因坊だ。仲邑三段が入段4カ月後の令和元年8月、イベントの公開対局で対戦。「序盤は私の方が明らかに押されていた。碁盤全体を見る力は、とても10歳とは思えない確かな打ちぶり。2、3年後どころか、もっと早くタイトル戦に登場してくるのでは」と予見していたのだ。仲邑三段が初めて挑戦してきた昨春の女流名人戦三番勝負こそ、藤沢が勝利し防衛を果たしているが、7月の扇興杯トーナメント準決勝、12月の女流棋聖戦挑戦者決定戦では敗れている。急速に力をつけてきたのだ。

藤沢や上野、仲邑もメンバーであるナショナルチームの監督を務める高尾紳路九段が「すごみが出てきた。切り込むべきところで、鋭く踏み込めるようになった」と指摘するように、ここぞという勝負どころの重要さを身につけたようだ。

■実力養成にAIも活用

強くなる環境が整備されてきたことも味方につけた。週に1、2日設定されることが多い対局時以外、棋士は各自、囲碁研究にいそしむ。インターネットを介して国内外の棋士と練習対局したり、最近ではAI(人工知能)搭載ソフトと戦うことも。新型コロナウイルスの影響でやや下火になったとはいえ、主流は数十人が参加することもある研究会と呼ばれる集まり。対局したり、公式戦で出現した手順の善悪について参加者が意見を言い合ったりするもの。
 

「研究会で女流棋士は、自分の考えを言いにくい雰囲気があった。大御所の方がいると、ジロッと見られ〝黙って聞いてろ〟というような…」と話すのは第1局で立会人を務めた知念かおり六段。女流本因坊3連覇、女流棋聖通算5期の実力者は「最近の研究会は女性でも年下でも、フランクに発言できる環境になっている」という。

■切磋琢磨の環境求め

仲邑三段は中学生になるのを機に令和3年1月、関西総本部から東京本院に移籍、住居も移した。「東京のほうが棋士は多く、勉強できる環境にある。みんなにかわいがられる素直な性格も利点」と史上初の5冠保持者である張栩(ちょう・う)九段が指摘するように、複数の研究会に参加、さまざまなタイプの棋士と練習することで力を伸ばしてきた。

 

5歳のとき、仲邑三段は未就学児を対象としたキッズカップに出場するも敗退。悔しさから「絶対優勝する」と誓って翌年、同大会で全国優勝を果たしている。昨春の女流名人戦で藤沢に敗れた際、「2局とも内容がよくなかった。勉強して、タイトル戦で活躍できるようになりたい」と雪辱を期し、その後の重要対局で藤沢女流本因坊に連勝した。優勝目前までいきながら、牛栄子(にゅう・えいこ)四段に逆転負けを食らった昨年7月の扇興杯女流最強トーナメント決勝。4カ月後の女流棋聖戦2回戦では牛四段を破り、挑戦権獲得へつなげた。やられたらやり返す。持ち前の負けず嫌いに技術とタフな精神力が加わり、戴冠に結びついた。

 

 

敗れた上野は「中盤に形勢がよさそうで(逆に)動揺してしまい、何手もひどい手を打って急に負けにしてしまった。(仲邑三段は)勝負どころで強い。(復位に向け)たくさんの先生方と打てるよう頑張ります」と、いつもの笑顔を浮かべて話した。