今年は節分の日が日曜日と重なったので、二女のリクエストで久しぶりに家で手作りの巻き寿司を作ってみた

 

 

昨日から干ししいたけを水で戻し、かんぴょうも戻してそれぞれ甘辛く煮て下準備

 

 

今朝は寿司飯を作って、卵焼きを焼いたり、きゅうりやかまぼこを切ったりして具材を切りそろえる

 

 

玄関やリビングにはお雛様も飾って、「いい母・いい主婦」を演じて、若夫婦をもてなした

 

 

相変わらずふたりが来ると会話はクロスオーバーし、にぎやかで笑いが絶えず、しゃべることと食べることを同時にするのはなかなか難しい

 

 

二女は私たち夫婦にあだ名をつけて、夫を「オセロ(オセロが得意なので)」、私のことを「愛情過多」と家で呼んでいるらしい

 

 

二女のお腹もだんだん大きくなってきて、それと比例して夢もふくらむ

 

 

短い「甘い新婚生活」になってしまったけれど、少しずつふたりは親になる心の準備もできてきているようで、今の明るいふたりのままで互いに協力して赤ちゃんを育てていってもらいたいと思う

 

 

初孫の敦史が生まれた時、こんなに愛しくてかわいいものがこの世にあったのかと思った

 

 

先の見えない介護と比べて、赤ちゃんを育てることは大変だけど未来があって、心が弾み希望が見えた

 

 

もし娘たちが遠くに住んでいて私ひとりが夫の介護とその後の父の世話と空き家になった実家の管理を自分だけでやらなければならなかったとしたら、どうだっただろう・・・

 

 

世間は介護される人には気遣いを見せるが、介護する人間には無関心で、私など若かったから、医療スタッフや社協のケアマネさんからも近所の人からも「頑張ってね奥さん!!奥さんは若いから大丈夫!!」と何度も言われ、それが苦しかった

 

 

若いからこそ、今後の私の人生は介護一色でもう希望がないと思って、心の中では絶望していた

 

 

そんな暗闇の中で新たな命の誕生が心に灯りをともしてくれた

 

 

それからは皆さんもご存知のように、今ではある種の「ランナーズハイ」状態で、長女家族、二女夫婦の暮らしを見守りながら手を出し口を出しで、少々ウザイ「愛情過多おばさん」として生きている

 

 

N子ママのお父さんが危篤だ

 

 

新たな命が生まれるとき、一族の誰かが亡くなるというのを聞いたことがある

 

 

N子ママにとっては、悲しいことだろうけど、初夏には新しい小さないのちが生まれるから、あまり悲観しすぎず、現実と向き合ってもらいたいと願う・・・

 

 

私が敦史を得て人生が変わったように、今は大変だろうけど新たな生きがいとして初孫を迎えてやってもらいたい

 

 

午後から結婚式で流す「生い立ちムービー」をつくるからといって、何冊もあるアルバムの中から「これどう?」「やっぱりこっちかな?」と二人は互いの子ども時代の写真を見ながら楽しそうに写真を選んでいた

 

 

Yさんの赤ちゃんの時の写真を私は初めて見た

 

 

そこには若くてきれいなN子ママの姿もあった

 

 

N子さん・・・こんな素敵な息子さんを育ててくださったのですね

 

 

二女にはもったいないほどの人だと思っています

 

 

ありがとうございました

 

 

二人の男の子の子育ては大変だったでしょう・・・

 

 

これからは毎年、節分には手作りの巻寿司を作ろうと思った

 

 

春が来ることを迎える季節の行事としてもそうだけど、私にとっては孫の幸せな未来を祈る行事として

 

 

そして娘たち家族の幸せと私と夫の平安を願う行事として・・・