#いま気になってること
今気になってる事はダウン症の事です。
私自身、言葉自体は聞いた事はあったのですが、普通に生活してて、特に気にする事も無く意味も知らなかった。
40歳になり平々凡々と普通の生活を送っていた頃
妻が妊娠したという
ビックサプライズがありました。
私の家族は妻と子供が二人の家族構成です。
妻は初妊娠の時に産婦人科の医師から普通分娩で産むのは難しいと言われ
一人目の時から帝王切開で子供を産んでくれました。
私は医療には詳しくないが
医師に
『帝王切開で産むのは三人までにして下さい』
と言われた事を覚えている。
今回の妊娠で三人目なので、これが最後の妊娠になる。
家族がもう一人増える喜びと、いつも心配になるが
妻に万一の事があったらどうしようと思う。
月日は経ち子供が産まれたのだが、産まれる前から色々あり、さらには産まれた直後から
NICU〘新生児集中治療室〙に運ばれてしまった。
どうやら呼吸が弱いらしく体重も未熟児一歩手前だったのが運ばれた理由らしい
私は医師に呼ばれ、子供の事について説明を受けた。
いつもであれば、看護師である妻が横にいて一緒に説明を受けるのだが、妻は出産が終わり病室である。
私は一抹の不安を覚え医師の話に耳を傾けた。
医師は子供の今の症状とこれから先の事について簡潔に述べ、私はその時頷く事しか出来なかった。
子供のベットの隣で医師から話を受けたのだが、
隣にいる子供は産まれたばかりなのに
いっぱいの管に繋がれ
必死に生きようと頑張っている…
その姿を見たら涙が止まらない。
医師の話も頭に入ってこない。
涙を流しながら聞く私に医師は
『大丈夫ですよ。私達は24時間体制であなたの赤ちゃんを守りますので、私達にまかして下さい。』
と言われ最後も頷く事しか出来なかった。
一週間がたった後
私は、また医師から話があると言われ、退院の話と思い込み病院に出向いた。
だが話は違った。
医師から言われた事は、ダウン症の疑いがあるから遺伝子検査をしてみないか、と言われたのだった。
したくないのであれば、しませんとの事だったが
私はしなくてずっとモヤモヤするより
検査をしてこれからの事を考える事を選んだ。
検査の結果、子供はダウン症だった。
なぜ?この子ばっかり産まれたばかりにこんな目にあうのかと世界を憎んだ。
どうしよもないどす黒い気持ちと
深い悲しみに包まれ、
私が変われるのであれば変わってあげたい気持ちでいっぱいになった。
夢と希望をいっぱい持って産まれてきた我が子。
私が絶望して、我が子の未来を閉ざす様な事にならぬ様に
私は落ち込んで泣いてばかりいられない。
私が子供の未来を切り開いて一緒に歩めばいい。
我が子が成人して大人になったとしても
私は命ある限り一緒に歩んで行けばいいのだ。
絶望するヒマなんか、私には無い!
そんな自問自答を繰り返し決心がついた。
色々な事が起きすぎて、自分自身の在り方と、三男のこれからの事を考えながら生活していると
あっと言う間に三男は一歳になった。
一歳になった今でもまだ寝返りしてコロコロ転がる事しかまだ出来ませんが
三男なりのペースで少しづつですが成長しています。
妻はダウン症だからといって、特別何をする事も無く
長男、次男と一緒の様に育ててくれてます。
そんな今だからこそ、TVの特集等でやってるダウン症のことや、SNS等でダウン症ってキーワードがあれば気になって見てしまいます。
まだまだダウン症の事について調べきれていない事がないかアンテナを張って
三男とこれから一緒に歩んで行ける足しにしたいとおもっています。
ダウン症は天使といいますが、本当に私の天使です。
昔と今の自分の価値観

年を取ったのか思う事がある。
今私が持ってる価値観と、昔の自分との価値観の相違が
離れ過ぎてる事に驚いた。
今日は朝から雨が降っていた。
仕事が休みなので、家族と近くのスーパーに
買い物に来ていた。
妻と子供二人と私で買い物に行き、小さい三男は
義理のお母さんに見て貰って
四人で出掛ける事になったのだ。
色んな物を買い物籠に入れ、会計を済まし
後は、スーパーの出先でやっていた焼き鳥屋で
焼き鳥を買うだけだった。
ちなみにこの焼き鳥屋さんから凄くいい匂いが漂って来て、買うつもりはなかったが
まんまと焼き鳥屋の策略にハマったとも言える(笑)
店を出て、先に私は買い物した物を車に積む為に
一人買い物籠を持ち、車に向かい
妻と子供達は焼き鳥屋さんに向かっていた。
雨が降ってるので、足早に車に向かい
即座にトランクに買い物籠を入れ
方向転換しスーパーの店先の焼き鳥屋に足早に向かおうとした。
雨を気にしながら足早に向かっていると
視界の端に、年は70代ぐらいのふくよかな女性が
雨で滑ったのか倒れていた。
その隣に小柄な70代ぐらいの女性が
『大丈夫ですから、自分で立ち上がれますから!』
と、近くにいた女性に言っていた。
あからさまにふくよかな女性は立てそうにない。
私は
『大丈夫ですか?立てないんだったら手伝いましょうか?』
と言ったが、すぐさまに
小柄な女性のほうが
『大丈夫ですから!自分で立てますから!』
と、捲し立てられた。
ただ心配なので、側から離れる事が出来ない。
すると、その状況をちょって離れた所で見てた妻が
『パパどないしたん!?』
と言って、近くに来た。
私は、妻に女性が転倒してしまって、起きれない旨を伝えた。
妻は
『パパと子供達は、焼き鳥屋の方に行っといて。』
と私に力強く言ってきた。
私は妻にいわれるがままに、バトンタッチし、子供達を連れ焼き鳥屋に向かった。
なぜ言われるがままに私は行動したのか不思議に思うと思うが
妻は現役の看護師で整形外科で働いているからだ。
妻は、皆が離れた隙に、小柄な女性に耳打ちしたらしく
《自分が看護師だという事を》
小柄な女性は素直に、妻の言う事を聞く様になった。
しばらくすると、スーパーの店員さんが車椅子を持って来てくれて事無きを得たのだった。
私は、なぜ女性に声をかけたかが、自分でもわからない。
私自身、他人は嫌いだし、人見知りだし、他人と関わる事を極度に嫌うのだ。
妻から言わしたら昔の私は冷酷だし、他人に対しての態度はまるで虫でも見る態度だったと言う。
そんな冷酷無比な私が妻と結婚し、子供が産まれ、慈愛の心を学び、人に優しくする術を、子供達から学ばしてもらった。
昔の私だったら人が転倒してようが、声を掛ける事もなかったと思う。
子供が産まれて、育てる事により、昔の価値観と今の価値観が180度変わって、人に優しくする事を子供達から教えてもらった。
子供の成長も楽しみだが、私の成長も楽しみである。
#春が楽しみです
春といえば、出会いと別れの季節。
人は、出会いと別れを繰り返して自分の人生を紡んでいく。
その中でもより 深く、密接な時間を過ごせる時というのは、学校に通ってるときだ。
そこで出会いと別れを繰り返し大きな花になる。
人の人生は80年というけれど、時間感覚でいえば
20歳で、折り返しとも言う。
そんな濃密な時間の中を過ごしている若者達の出会いと別れを妨げる事象がつい数年前から起こった…
皆、知らない人はいないと思う病気
コロナウィルスである。
2019年に感染拡大しだしたコロナは、若者達の濃密な時間を阻害し、猛威をふるった。
初期段階では、皆一様に他人事だと思ったと思うが
時が過ぎるにつれて、すぐ側まで迫った脅威になってきた。
皆、マスクと手洗いをして、密を避けて、ワクチンを打ちましょう。って、言われていたのも
記憶に新しい。
国からの緊急事態宣言や各都道府県の自粛等も、記憶に新しいと思う。
その中で若者達の濃密な時間は奪われていったのだった。
学校にも行けない日が続き、マスクをするから表情もわからない。リモート授業も始まり、友達と会うことも出来ず、楽しみにしてた学校の行事も無い。
濃密な時間を過ごすはずだった青春の場がコロナのせいで奪われてしまった。
コロナの前は、友達と一緒に受ける授業や、休み時間になると外に遊びに行ったり、色んなお話しをしていた。給食やお弁当の時間は友達と席を引っ付けて、ワイワイいいながら食べたものである。
私の場合は学校に勉強をしに行ってるのでは無く、友達とコミュニケーションを取りに行っていたと言っても、
過言では無い。
そんな友達達と濃密な時間を過ごし、出会いと別れを繰り返し、一生付き合って行く親友が出来る。
それが今の若者達には出来ないということが残念で仕方がない。
このコロナという暗いトンネルの中に光がないのか?と言われたら少し違うと思う。
この3年でコロナに対しての認識は少し変わって来た。
初期みたいにガチガチに感染予防するのでは無く、
コロナと共生して行くという方向に舵がきられて来た。
二類からこの5月に五類に変わるし、マスクも義務から解放されると思う。
この兆しが若者達の光になれば幸いである。
この春からの卒業式、入学式は
皆、出席出来てまた新しい出会いと別れの中で紡がれる若い芽が楽しみである。


