Republic of the Mangos♪ 

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フィリピン、オーストラリアでの留学日記とJOCVになってからの協力隊記録を残します☆


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活動の最後に

心身の体調不良とストレスから、任地での活動を約2週間早く切り上げてマニラに上がることに決めました。

マニラで他の同期隊員が活動を終えて戻ってくるのを待っている予定です。

台風ヨランダの後、任地に戻った後の私の活動はとても順調と言えるものではなくて、辛くて苦しいものでしたが、

そんな中でも新たな出会いがあり、そしてかけがえのない人たちとの絆を強めることができました。

訳あって、任期残りの半年間は、配属先でのその他の活動は中止し、3月に完成した妊婦のための出産待機施設のスタッフの育成と運営に力を注いできました。

施設のスタッフは町の保健ボランティアの人たちの中から一人づつ面接をして選出し、

その4人のケアテーカーたちとは、施設完成前からオリエンテーションを行い、ミーティングを繰り返し、

施設完成後は試行錯誤を繰り返し1からルールを決め、物を揃え、施設として管理運営できるまでに苦楽を共にしてきました。

初めの頃は、妊婦さんが入所するたびに連絡が来て、すっとんで施設に行って一緒にオリエンテーションをしていたけれど、時間の経過ともに次第に私は呼ばれることが無くなり、彼ら自身で妊婦さんの受入が行えるようになりました。

英語の話せないケアテーカーのみんなと一緒に働く中で、わたしの現地語もすこし上達し、またそれ以上に彼らの私の拙いビサヤ語を理解する能力も向上し、ツーカーで通じ合える中になりました。

日々のたくさんのことを話し合って、現地の人々の生活のことをたくさん教えてもらいました。

待機施設での仕事に対し、始めはやや受身だった彼らが、最近では施設のために少ない給料で必死に働いてくれている様子をみるとなんも嬉しい気持ちになりました。

先週の木曜日に行われた最後の定例ミーティングの最後に、

みんなが口々に、「いずみ、私たちのために沢山ありがとう。」と涙を流して言ってくれました。

「サン・イシドロの人たちはみんないずみに沢山感謝している、みんなけして忘れないし、いずみが居なくなっても、出産待機施設はずっと残るよ。私たちがちゃんと管理していくから安心して。」と。

それは

苦しく辛かったことや、色々なわだかまり、ネガティブになりがちだった活動の思い出が一気に浄化されるような言葉でした。

私こそ、精神的に苦しかった活動の後半を支えてくれた彼らに対する感謝で涙が止まりませんでした。

自分の活動が無意味だったんじゃないかって、何度も、何度も思って、

一時は任期を短縮することも考えたけれど、

彼らと、みんなとここにいられて本当に幸せだと思いました。

ここを離れたら、私はここの言葉を忘れてしまうかもしれない。

もう、彼らと今以上に分かり合える瞬間はないかもしれない。

それでも、私も彼らのことを、ここで出会ったみんなのことを、ずっと忘れないで覚えておきたい。

国境、言葉の壁、互の立場、その他にもたくさんのことを乗り越えて、ともに同じ時間を共有できた奇跡のような時間は、

本当にまるで夢のような時間でした。

嫌なことも、辛いことも、苦しいことも山ほどあったけれど、

それでも、私の人生にとって、

ここで過ごした2年間は夢のような時でした。

任期終了まであと3ヶ月弱…


6月中旬から雨季に突入したレイテは毎日、毎日雨ばかりでバランガイ(集落)に行く気も削げてしまう。


妊婦のための待機施設が開設したばかりの4月は、乾季のど真ん中で、

ほとんど利用者が居なかったけれど(道が比較的良いので)、

逆にケアテーカーらに仕事を覚えてもらったり、

勤務の調整やら、なんやらで暇でもちょうどよかったんだけど、

雨季に入ったら増えると思っていた利用者(妊婦さん)が中々来ない。


それには色々と考えられる要因が考えられて、

集落レベルでの周知活動の不足とか、

助産師らが積極的に待機施設入所を勧めていないとか、

でも、一番の理由は医師がなぜか施設利用の決定権を持っていて、簡単に利用許可を下ろさないことだと思う。


あれだけ事前オリエンテーションで決定権は助産師にあるって伝えたのに、


まったく無視されている。


これがフィリピンだ。うんざり半分、あきらめ半分。


色々あって、ここの医師に理解を求めることは諦めてしまったから、

どうにかこうにか利用者を増やすために医師と話し合おう、という気持ちすら起きない。


やる気が本当にでないのだ。


地味にバランガイで配布するポスターをケアテーカーらと作成したりしているけれど、どれだけ意味があるのか。


活動はモチベーション命だ。

へこたれても、へこたれても、諦めない根気の良さが必要で、

でも、それを使い切ってしまって、

その上、現地の人にやる気を失う決定打を受けてしまっては到底立ち直れない。


立ち直れない自分が弱いのだろうか、

協力隊として失格なのだろうか、

私だって、ボランティアである前に一人の弱い人間で、

慣れない環境で、自分を奮い立てなんとか頑張ってきた。


でも、立ち直れないほど打撃を受けてしまったら?

自分の活動の意味すら分からなくなって

大人の対応とか、そんなの分かんなくてひたすら今の状況を維持するしか力が残ってないとしたら?


活動を続けられることは幸せだ。


止まってしまったら、再び走り出すのは難しい。

膝をついてしまったら、起き上がるのはもっと難しい。





2014年3月26日、サン・イシドロ町の新しい施設、Maternity Waiting Homeの完成を祝う式典が行われる予定です。


ちょうど1年前、遠方バランガイで暮らす妊婦のための出産待機施設設置のための計画は、

私と配属先の同僚の二人だけでひっそりとスタートしました。


私とその同僚は、企画書作成のために遠方のバランガイ(集落)までバイクで調査に何度も赴き、時に妊婦と共にボートに乗り、 村でインタビューをして回り、その度に出産待機施設の必要性をひしひしと感じながら、二人で時間をかけて企画書を作り上げました。


今になって、その企画書を読み返してみると、なんだか誤字や文法の誤りも目立つし、もう少し慎重に表現すべき箇所もあったなぁと思うわけだけど、


どうにか他のみんなにも妊婦の現状について考えてもらいたいという、必死の思いは込められていた。


1年間は長いようであっという間だったと思う。


その間、言葉通り、命の危険を感じた経験までしたのだけれど、


あの時、本当に死んでなくてよかった、


また任地に戻ってこれて良かったと思う。


もちろん、これからが本番ではあるのだけど、

達成感を感じるには十分なほど、色々やってきた自信はある。


オープニング前だけれど、すでに出産予定日前の入居者の予約が入っていて、


助産師からも、「こういう条件の妊婦でも待機施設に入れる?」という相談をたくさん受けるようになった。


入居条件や運営についても細かな規則を作ってきたけれど、

これから帰国までの半年間、よりみんなにとって使いやすい施設になれるよう話し合っていけたらと思う。


オープニングを前にして、みんながこの待機施設を利用してくれるといいな、とばかり考えていて、


もうこれって、「妊婦が出産の日を待つための場所」じゃなくて、「


利用者を待ってる施設」だな、なんて思ってしまう。


でも、それでいい気もする。いつでも妊婦さんを温かく迎え入れられるように、


私たちはここで待ってるよと、そんな優しい場所になれたらいい。


2014年3月27日、San Isidro Maternity Waiting Home はOpenします。








最近になり、ようやく車で2時間の小都市Ormocのネットカフェが回復しました。


ブルーシートやテントの簡易の家も少しずつ少なくなっているような気もします。


レイテの復興を感じる今日この頃です。


お礼が遅くなりましたが、レイテ島サン・イシドロ町の被災弱者のための自宅再建支援募金に寄付していただいた方、 本当にありがとうございました。




↑完成した家のお祝い 


FaceBookにも支援活動状況をアップさせていただきましたが、


メールをくださった方には個別に活動報告書を送らせていただいています。


活動の詳細を知りたい方は、こぜひちらに↓ご連絡ください。


E-mail:house.for.sanishidro@gmail.com


現在は山奥に住むシングルマザーの家庭と、沿岸部で一人で住む高齢者の家の再建支援を行っているところです。詳細はまた後日アップしたいと思います。


ところで、

最近は協力隊活動とは別に、この自宅再建支援活動のため、山や海の集落に出かけて忙しい毎日ではありますが、

そんな中も、建設中の出産を待つ妊婦のための待機施設、

San Isidro Maternity Waiting Home」の完成が近づいてきました!





↑ほとんど完成のMaternity Waiting Home


どうにかこうにか(JICAの)年度末決済に間に合うよう建設業者を説得、

昼夜問わず頑張って働いてくれています。

3月11日にJICAによる最終のインスペクションが終了すれば、

Turn-Over Ceremonyを町役場と保健所で盛大にやる予定です。

最近は施設の見学者希望者も増えてきて、みんなが期待でワクワクしているのを感じます。

先週は施設で働く予定のケアテーカーの面接選考も行いました。

また、サン・イシドロ町の全バランガイ(集落)で行っている、待機施設の広報活動兼保健ボランティア向けワークショップも残すところ1か所のみとなりました。



↑Workshop at BHS Busay!


来週末は、セブ日本人会で集めてもらっている待機施設で使用する日用品の寄付を受け取りに行く予定です。

忙しいですが3月は協力隊活動の山場を迎えそうです。

【台風ヨランダの被災弱者への自宅再建支援のための寄付のお願い】


昨年の巨大台風30号(フィリピン名:Yolanda)の件では、みなさまからご心配をいただきありがとうございました。
日本でも大きく報道にありました通り、昨年11月8日にフィリピンを襲った台風30号は、レイテ島をはじめとしサマール島、セブ島北部、パナイ島などフィリピンの広範囲に非常に大きな被害をもたらしました。日本をはじめ世界各国からの迅速な緊急支援により、被災地は少しずつ元の生活を取り戻りつつありますが、災害から2か月を経過した今も損壊した家を修復できずに暮らしている人々が多くいます。
このような状況の中、青年海外協力隊員のひとりが活動をする、レイテ島のサン・イシドロ町で被災弱者への自宅の再建支援活動を行うことにいたしました。また活動にご賛同いただける皆さまからの寄付の受け付けもさせていただきますのでここにお知らせいたします。


★支援地域: フィリピン、レイテ島北西部、サン・イシドロ町
海岸沿いをはじめとするいくつかの集落が壊滅的被害を受けました。幸い事前の住民避難により人的被害は大きくありませんでしたが、多くの人々が住む場所を失いました。


★支援の経緯: 災害の後、壊れた家を再建できるほど経済的に余裕のある家庭は極わずかであり、特に、高齢者や障害者については、町役場が指定する優先被災者に含まれていないため、貧しい彼らが自身の力で自宅を建て直すことは非常に難しい状況にあります。
そこで、現地の建築士やボランティアと共に、家を失った貧しい高齢者世帯や障害者などに対して自宅の再建又は修復をするための資材の購入、労働力の提供等の経済的支援を行うことにしました。


★目標支援世帯数: 労働力を含む全壊した家の再建支援 2 世帯
          資材のみの提供 5 世帯 

★目標募金額: Php166,000 (日本円:約38万円 レート同上)  
※現地の建築士による、資材の運搬及び労働に係る費用を含む見積もりより算出
※募金の集まり次第で援助世帯数を増やすことも今後検討しています。


★募金口座: 
■受取人名  ウエムラ イズミ
■銀行名 住信SBIネット銀行
■金融機関コード 0038 
■預金種目  普通
■支店名:レモン
■支店番号 104  
■口座番号  2939785
※ご寄付頂いたお金については責任を持って活動に使わせて頂きます。皆さまからの温かいご支援・ご協力をどうぞよろしくお願いいたします。


★募金受付期間: 2014年2月28日まで


★連絡先: 
担当:山崎恵
E-mail: house.for.sanishidro@gmail.com ※ご寄付をしていただいた方は上記のアドレスまでご一報をお願いします。つきましては、活動報告をメールにて送らせて頂きます。また、より詳細な活動計画について知りたい方がおられましたらメールにてご連絡ください。

               

                          フィリピン国派遣、青年海外協力隊
                          上村いずみ(レイテ島サン・イシドロ町 助産師)
                          山崎恵(ネグロス島マンフヨッド町 村落開発普及員)
                          勝村智樹(ミンドロ島マグサイサイ町 村落開発普及員)



※なお募金活動の開始にあたりまして、①本募金活動は隊員個人によるものであり、JICAは関与していないこと、②本募金活動に起因する事故等に関する一切の責任は、隊員個人が負うこと、を明記しておきます。