活動の最後に
心身の体調不良とストレスから、任地での活動を約2週間早く切り上げてマニラに上がることに決めました。
マニラで他の同期隊員が活動を終えて戻ってくるのを待っている予定です。
台風ヨランダの後、任地に戻った後の私の活動はとても順調と言えるものではなくて、辛くて苦しいものでしたが、
そんな中でも新たな出会いがあり、そしてかけがえのない人たちとの絆を強めることができました。
訳あって、任期残りの半年間は、配属先でのその他の活動は中止し、3月に完成した妊婦のための出産待機施設のスタッフの育成と運営に力を注いできました。
施設のスタッフは町の保健ボランティアの人たちの中から一人づつ面接をして選出し、
その4人のケアテーカーたちとは、施設完成前からオリエンテーションを行い、ミーティングを繰り返し、
施設完成後は試行錯誤を繰り返し1からルールを決め、物を揃え、施設として管理運営できるまでに苦楽を共にしてきました。
初めの頃は、妊婦さんが入所するたびに連絡が来て、すっとんで施設に行って一緒にオリエンテーションをしていたけれど、時間の経過ともに次第に私は呼ばれることが無くなり、彼ら自身で妊婦さんの受入が行えるようになりました。
英語の話せないケアテーカーのみんなと一緒に働く中で、わたしの現地語もすこし上達し、またそれ以上に彼らの私の拙いビサヤ語を理解する能力も向上し、ツーカーで通じ合える中になりました。
日々のたくさんのことを話し合って、現地の人々の生活のことをたくさん教えてもらいました。
待機施設での仕事に対し、始めはやや受身だった彼らが、最近では施設のために少ない給料で必死に働いてくれている様子をみるとなんも嬉しい気持ちになりました。
先週の木曜日に行われた最後の定例ミーティングの最後に、
みんなが口々に、「いずみ、私たちのために沢山ありがとう。」と涙を流して言ってくれました。
「サン・イシドロの人たちはみんないずみに沢山感謝している、みんなけして忘れないし、いずみが居なくなっても、出産待機施設はずっと残るよ。私たちがちゃんと管理していくから安心して。」と。
それは
苦しく辛かったことや、色々なわだかまり、ネガティブになりがちだった活動の思い出が一気に浄化されるような言葉でした。
私こそ、精神的に苦しかった活動の後半を支えてくれた彼らに対する感謝で涙が止まりませんでした。
自分の活動が無意味だったんじゃないかって、何度も、何度も思って、
一時は任期を短縮することも考えたけれど、
彼らと、みんなとここにいられて本当に幸せだと思いました。
ここを離れたら、私はここの言葉を忘れてしまうかもしれない。
もう、彼らと今以上に分かり合える瞬間はないかもしれない。
それでも、私も彼らのことを、ここで出会ったみんなのことを、ずっと忘れないで覚えておきたい。
国境、言葉の壁、互の立場、その他にもたくさんのことを乗り越えて、ともに同じ時間を共有できた奇跡のような時間は、
本当にまるで夢のような時間でした。
嫌なことも、辛いことも、苦しいことも山ほどあったけれど、
それでも、私の人生にとって、
ここで過ごした2年間は夢のような時でした。





