浜松金馬車 女乃城 其乃貮 | お散歩日記

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路地裏、バラック、長屋、昭和の香りがする飲食街、遊郭赤線跡地、廃墟、古い町並み、山奥・・・・そんな場所を訪れては下手糞な写真を撮っております。

浜松の夜っていえば、うなぎを食って精をつけて、特ダシのストリップで鼻血ドバァーになってから、ステッキガールとしっとり一夜を共にする・・・・・(実話と秘録ヨリ)我が関心を惹き付けて止まぬピンクタウン浜松の姿を的確に言い表している一文であります。








扨、此度は「金馬車」、そして其の姉妹店であった「女乃城」の開業当初に打ち出された広告を見て行きませう。下記は何れも昭和三十二~三十三年当時のものであります。当時の広告を眺めていると、「金馬車」は現在知られているようなストリップ劇場としての営業形態ではなく、当初はキャバレー的な色合いが強かったように見受けられます。







「金馬車」の記念すべき開業披露広告であります。昭和三十二年十一月二十六日堂々たるデビュー。「サービス喫茶」と言う表現は我が鼻腔を強烈に刺激します。







酒まつりイベント時の広告であります。「浜松唯一の大人の喫茶店」と謳っております。写真のボーイさんやホステスさんの笑顔が良いですね。






やはり「サービス喫茶」との謳い文句。この当時は正に赤線廃止前夜。浜松にて新たなエロムーブメントの鼓動と息吹をと言わんばかりの生き生きとした宣伝文であります。






豪華ショーにある「小チビのマーチャン」とは所謂見世物的な興行だったのでしょうか。






此方は「女乃城」の広告ですね。「足軽の値段で殿様遊び」、素敵なキャッチフレーズです。






「金馬車」同様にお中元祭りを行っていたようです。







両店で同時開催されていた謎イベント。「南支軍隊まつり」「帝国海軍まつり」











広岡敬一氏の戦後性風俗年表によると、『昭和三十三年七月二十八日東京新宿に「軍国キャバレー」を看板に「だいふく」が店開き。ホステスを慰安婦と呼ぶ』とあります。新宿で火が点いた「軍国キャバレー」方式が業者間で話題になり、各地で模倣する店が存在したのではないでしょうか。これは赤く色付いた御仁衆が反応するようなシロモノに非ずして、風俗業界ではお馴染みのナンセンスなお遊びの一環。今風に言えばコスチュームプレイでありましょう。













「金馬車」の営業は平成四年迄と比較的最近まで行っていたようです。ストリップ時代の「金馬車」の様子を知る方、関係者の方、華やかなりし頃の浜松を知る方、コメントを頂ければ幸いであります。