夜明け前の吉原へ到着。先ずは吉原神社に参拝を。
今記事は台東区千束四丁目と言うタイトルを付けましたが、厳密に言うと吉原神社は台東区千束三丁目に鎮座されております。
一旦廓内をスルーし、「千束保健センター」の交差点を過ぎると直ぐに見えて参りました。この辺りの道は水道尻通りと呼ばれています。
夜明け前の刻がそうさせてるのか、吉原と言う場所柄の所為か・・・・・妖艶な雰囲気さえ漂う鳥居。
玉垣には吉原の歴史の数々が刻まれておりました。下記は「料亭松葉屋」と刻まれております。吉原大門から五十間通りを抜け、仲之町通りに入る手前にあった料亭。吉原神社の玉垣に関して、コチラのサイト様に詳しく載っております。→ざ・花柳界
どうしても偏った情報で吉原全体を一括りで見てしまいがちではありますが、「花街」としての吉原の姿について大変詳しく載っております。「芸は売っても身を売らず・・・」なるほど・・・。料亭松葉屋について→ざ・花柳界
提灯に記されている「江戸一」「江戸二」「揚屋」「角町」「京一」「京二」の文字は吉原にあった旧町名。これらを総称して吉原六ヶ町と呼びます。「青年部」とあるのは、吉原六ヶ町会青年部のことであると思われます。関連サイト様→吉原狐舞実行委員会公式サイト
読者の皆様が吉原を散策する際、吉原六ヶ町を意識しながら歩くと面白いと思いますよ。
区画は昔のままなのですから。
御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)。開運、商売繁昌、技芸上達などの御神徳。
沿革が掲示されておりました。「遊女や芸者達が持つところの愛別離苦・怨憎会苦の苦しみは弁財天が救って下さるものと強く信じられ信仰されたと云う」の一文が印象的でした。怨憎会苦(おんぞうえく)=仏教用語、憎い相手とも顔を合わせ付き合わねばならない苦しみの意。家庭生活や社会生活に此れを当てて説かれるのが一般的でありますが、「苦界」と呼ばれた遊女の世界に於いての怨憎会苦(おんぞうえく)、更に重たく響きます。