杉原だけでないユダヤ人救済
満州河豚(ふぐ)計画
鮎川義介他 ユダヤ人 入植計画
満州国とユダヤ人の関係は、鮎川義介(日産コンチェルン)などにより、満州国内のある一定区画をユダヤ人に開放し大幅な自治、自由をもたせる「満州河豚計画」を推進しようとしていた。(アメリカとの戦争を避けようとして、ユダヤの人、企業、金が満州国に流れ入れるのを優遇する計画)ユダヤ人迫害を推進するドイツのナチ党との友好を深めるにつれて形骸化した
1938年 オトポール事件 樋口季一郎、
(杉原の命のビザより以前の話)
ソ連はユダヤ難民の受け入れを拒否していたので、難民100余名は満州国への入国を求める。
しかし、満州国は日本とドイツの関係を気にして入国ビザの発給を拒否。このときハルビン 特務機関長 樋口季一郎少将は、極東ユダヤ人協会の会長、アブラハム・カウフマンから難民の救済を訴えられた。樋口は「人道上の問題」としてユダヤ難民の受け入れを独断で決め満州鉄道総裁の松岡洋右(後の外相)に特別列車の要請をした。
松岡はそれを了承
オトポール事件以後、このルートは樋口ルートとよばれ、4000人以上の命を救った。
「杉原のビザを持っていてもそれだけでは日本に入国させるな」という外務省通達に反発
ウラジオストク駐在総領事 根井三郎
「杉原のビザは日本国が有効として発行した限りはユダヤ人を日本に来さすなということはできない」と外務省通達を無視。おまけに、ビザを持っていなかった難民にもこれを発給し、日本行きの乗船許可証も取り付け、難民の救済にあたった。
1938年 オトポール事件 樋口季一郎、
ソ連はユダヤ難民の受け入れを拒否していたので、難民100余名は満州国への入国を求める。
しかし、満州国は日本とドイツの関係を気にして入国ビザの発給を拒否。このときハルビン 特務機関長 樋口季一郎少将は、極東ユダヤ人協会の会長、アブラハム・カウフマンから難民の救済を訴えられた。樋口は「人道上の問題」としてユダヤ難民の受け入れを独断で決め満州鉄道総裁の松岡洋右(後の外相)に特別列車の要請をした。
オトポール事件以後、このルートは樋口ルートとよばれ、4000人以上の命を救った。
