気まぐれブログ

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公務員に始まり、受付事務、保険営業、大学秘書、アパレル起業、飲食店厨房と、様々な職業を経験。

誰かの幸せへの扉を開けるお手伝いが出来ればと婚活カウンセラーになる。

また、撫子座オリジナル商品の開発に奮闘中。

日々の在るがままを記録したブログ。

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久しぶりです。
2016年も早3月を迎えました。

書きたかったことは沢山あるのだけど、忙しさを言い訳に書けずにいます。

今日はどうしても書いておきたいと思い、今書いています。


「東京家族」ってゆう映画がテレビで放映されていました。とても感慨深い内容で久しぶりに号泣して観ていました。


私の母は52歳の時に食堂癌でこの世を去りました。痛みを堪え、医者にも行かず、手遅れで(泣)わかった時には胃や内臓のあちこちに転移していて、手の施しようがありませんでした。


検査の前に私に電話してきた母に対して私は「胃カメラなんてたいしたことない、大丈夫や」って素っ気なく応対してしまいました。


しかし結果は、癌。


本人には伝えず、近所の友人から知らせがきました。

当時離婚をして生活に大変だった私は、仕事の休みに高速バスで母の病院に通いました。

今考えてみると、どうして仕事を長期休業、又は退職してでも、母の看病をしてやれなかったのか!と、後悔の念で一杯です。

他界して24年の歳月が流れてもその後悔の念は消えません。

 
母が亡くなった年齢の52歳を迎えた私は、後悔の念が増すばかりです。


今日、「東京家族」の映画を観ていて何ともいたたまれない気持ちになりました。


親を思う気持ちはあっても、自分たちの生活に精一杯で、葬儀の後にさっさと帰ってしまう子供達。


母親が亡くなっても、こんなものなのか?

老いた父親一人、残って暮らす生活は大丈夫なのか?


子供達は心配はしているのだけど、さっさと自分たちの生活に戻ってしまう。
何と冷たいことか?

悲しくて、寂しいものだと、号泣していました。

私にもいつか終わりの日が来る。

子供達に看取られて死にたいとかは一切思わないけど、


せめて


母が出来なかったこと。

子供達三人の孫達と会いたいし、一緒に笑いたい。

母は、私の子供達と会ったのは病院のロビー。

細い身体で息子と娘にミカンをくれた。


息子は覚えてないけど、かすかに娘が覚えてくれていた。

受け継がれていく命。

せめてもう5年、生きていて欲しかった。
孫達に色々教えてもらいたかった。
残念で無念で、24年経っても悲しくて悲しくて(泣)


私は生きていたい。

孫達と楽しく笑って一緒の時間を過ごしたい。

絶対母の分まで長生きしたいと映画を観ていて、改めて強く思った。