一日に一度は、モップやバケツをもった女性が病室に入ってくる。口を開けば、そのまま、言葉が洪水のごとく流れそうな気配もみえる。始まった。自分は5年前に乳がんにかかった。その時の教訓は「センセイだけが頼りです。どうか助けてくださいと、頭をさげた。センセイは『よし、わかった』と返事してくれて、安心したですわ。センセイに頼むのが、いちばんです。忘れちゃだめ」彼女は他の病院での体験談を聞かせてくれた。

 清掃の人の代理に男性がやってきた。動きが早い。あっというまに作業が終了した。翌日やってきた担当の女性の説明によると「働き者でね。ここを5時に終えると、その足で、次の、レストランの仕事にいっている。奥さんも二つ仕事をもっているって。ビルマ人なの」ミャンマーの、スーチンさんの顔が浮かぶ。働き方が違うからね。お金を持って帰り、家を造るって、奥さんと心をひとつにしている。コドモはいない、よく頑張るよ」わたしは黙って聞く。「一日、3時間しか眠らないそうですよ。50歳だって」。切ない話ではない。希望を抱いている夫婦の話だ。それなのに、なぜか、こころがうずく。