新しいパソコンに多くの知人、友人が嘆いている。
もちろん、わたしもその道の業者に頼んだが。電話の向こうの相手にも、当りはずれがある。そんな言い方はないものだが、言わせてもらおう。
当りは、聞き手が疲れないような話し方ができること。
はずれは、緊張して、マニュアル用語しか口にできない人のことである。
はすれの場合、訊ねた問いに、相手はマニュアルを説明するが、それ以外のことは、話さない。聞きながら、口にしそうになる。
「あなた、ロボットではないわね」
こちらの注文を察してくれることはない。想像もできない。マニュアルにないのだ。これ以上固まりようがないほど、コチコチになっている。相手がどうであれ、こちらは、とにかく、やってきたブランコに飛び乗るような敏捷さがいる。すぐ揺れや、スピードにあわさなければついていけない。相手はマニュアルにないことには答えない。余計なことは聞かないでほしい、といった空気が伝わる。
「お願いがあるのですが」
と言ってみた。途中で想定外の発言をする客にとまどっているのがわかったから。
「少し、ゆっくり話してくれませんか。声はよく通る、いい声ですが」
「わかりました」と返事があった。「らくに話してくれると、伝わりやすいのだけれど」ともつたえた。
つくづく思った。人間を知る努力をするのは、教養を身に着けるのと同じこと。教養があれば、それほど恐れを持たずに生きていける。はじめは、人に慣れることからでしょうね。