アパートに入居したきっかけは、田舎の中学で一学年下だった知人の昌子さんが神戸にいたからである。親戚で、下宿をしているという情報が入り、ふたりで共同生活をするならと、親から許可がでた。生活用品を整える、ふたりの夕食メニューを考えるときなどの手際のよいこと。彼女は迷いなく値段の安さと栄養のバランスを基準に小銭を並べた。お金を給料日までやりくりすることを念頭におく。「だめ、それは贅沢」と果物屋の前で袖を引く。太って力持ちなので、引っ張られると倒れそうになる。彼女は鶏のガラを10円で手にいれてくる。スープをつくり、いろんな料理をうみだした。

 わたしたちは将来の話をする余裕がなかった。でも「子どもは二人ほしいなあ。花火大会に連れて行く。いつのことやら」といっていたがすぐ眠った。わたしはいずれ入院するとわかっていた。肺結核を完治させず、こんな暮らしをしていていいのだろうか。不安だが、普通の生活がしてみたい。もし今を逃せば、一生、普通の生活を知らず、郊外の病院で過ごすことになるのではないか。そんな危惧が消えない。光明は見えないが、普通に暮らす安定を味わいたい。一人でいれば人生の黄昏が気になってしかたがなかったが、詮索することのない昌子の、食欲を見ていればよかった。短期間だがわたしは小さな会社へ通った。「うん、気いつけて」やっと起き出した彼女は、髪を束ねながら、わたしの顔色を見た。保護者の目で。自然体で逞しく生きる同居人は、生きる恐怖を半減してくれた。