仕事は半年たっても尿検査の助手である。尿の色で病名の一つくらいは言いあてられるようになった。だが自分はそんなことに興味がない。望んでいるものとは何か違う。忘年会で隣に座った総務の男性に、モヤモヤしている気持ちを訴えてみた。「そのなまりは、何をするにしても直したほうがいい」驚いてうつむくと「アナウンス学院」の存在を教えてくれた。「東京はすべてが詰まっている。カード一枚開くと、そこに道がある」。芝居がかったことを言う人だ、こういう人に騙されないようにしなければと用心した。わたしのなまりは、山陰の西の言葉に関西弁をかぶせ、さらに入院中おぼえた東京弁をふりかけたものなのだ。これまで過ごした環境と異なるから、どの世界にも不安がある。しかし、挑戦はしたい。なまり、そんなにひどい?家に帰って聞いてもわからない。だからといって、このまま尿検査を続けるのは望むところではない、身の内からそういう声がする。

 日曜日の午後から、わたしは当時恵比寿にあった学院へ通いはじめた。自分で電話をして交渉し「なまりが直せますか」。いまはこんな質問をする受験者はいないだろう。現役のアナウンサーからプロに進むでもない者にも、きちんとした指導があった。後にここでの経験が身を助けることになろうとは、夢にも思っていない。雑誌にでてくるような東京の女性たちのそばで身を縮めていた。なまりを直せと言った人の名前は忘れて思い出せない。でも感謝している。