本の中で別の本を見つける。そこから考えがのびていく。詩人は人を連れ歩く。ある日の日記に「寝がけに須賀敦子を読み、ウンベルト・サバの詩の『じぶんの/そとに出て、みなの/人生を生きたいという、/あたりまえの日の/あたりまえの人々と/おなじになりたいという、/のぞみ。』に胸を打たれた」とある。じぶんの外とは、自我から解き放たれることにちがいないと目をあげる。だができないから「のぞみ」となるのか。「ほんとは誰でも自分とつきあうのは大変なのではないか」だから他人のせいにして、上手に自分と出会うのを避けていないかとうながす。たくさんのエッセイと日記で一冊が構成されているが「自分や世界を否定するような考えは、あまりはっきりすると前へ進めなくなる」という一文もあった。60歳をすぎて分かってくることのなかに「考えに結論というものは無いにひとしい」ととらえている。この柔軟さがマンネリズムなどと無縁のところに立たせているにちがいないと読みすすむ。

職業的な観点から読んでしまうところがあるからか、生き方や死について語られるところに線を引きたくなる。暮らしのこまごましたことにとらわれていると「思想も観念も大きくならないし、深まりもしない」。また歓びについては、快楽とも楽しみとも違う、金で買えないもの「いのちの源から湧いてくるもの」だったのだ。「生きることの手ごたえは、やわなものではない」と教えられる。