皆様、こんばんは。

名古屋中村区本陣のウォ-キング専門スタジオARU=KAの代表IZUMIです。

今日は体育の日でしたね。70歳代の体力は、過去最高。

しかし、働きざかりの30代は低下傾向。

週に3日の運動を、と言われても、スポーツクラブ等へ行ける70代と

そんな時間のない30代だからが、理由だろうか・・・・。


なんでも、痛くなったり、失ってから気づくもの。

若いときは、健康のありがたさが、どうしてもわからなかったりしますね。

70代になれば、60代ごろから、急に衰えてきた自分の体に

何かをしようと、運動をはじめ、その結果、昔よりも

若い体を手に入れたのではないかしら・・・・。


だったら、60過ぎてから、やれば良いじゃーん、


てな声が聞こえてきそう・・・・。


この、成功された方々は、ほんの一部で、もしくは、

過去に、運動が好きだった方が多いのですよ。


ずっと、何もしたことがなく、70を前に、焦らないように、やはり


筋肉の貯金という貯筋をはじめていきましょうね。




話は変わります、



息子の、3回目の心臓手術は、4歳です。


人口心肺装置の可動ぎりぎりまで、まわし、

手術は、14~15時間にも及ぶ手術でした。


心臓を切り開いている間、血液を人口心肺装置のなかをくぐり


全身に送り届けながら・・・・。


朝8時に見送りをして、

夜の10時過ぎにICUに呼ばれました。


お母さん、成功しましたよ。

先生、ありがとうございます。


おびただしい数の医療機器に囲まれ、

人口呼吸器をつけ、何本もの管につながれ、


裸の上には白いバスタオルがかけてありました。


めくるとぱっくり切り開かれた胸から管が何本も刺さり


ラップのようなもの(詳しくはなんというかわかりません)でピタッと


貼られ、これで生きているという状態そのものが、凄すぎて、



何も声は出ませんでした。



手術は無事終了。



しかし、その後、たった4歳息子は、ICUで、1人戦い続けます。


朝と夕の二回だけの面談でしか、

私の声は聴けず、



1人でじっと耐えているかと思うと

ICUでの2週間は、人生ではじめて一睡もしない

2週間でした。


今、大地震が起こってしまったら、この子はどうなるのだろう・・・。




病院の外からICUのある階を眺め、


あまりの苦しさに、胸は同じように切り開かれたかのように痛く、

頭はハンマーで殴られたかと思うほど、ぎゅうぎゅう痛く


あんまり、辛く、苦しいと人は息もしなくなるんだ・・・・。


もちろんしているわけですが、

通常の無意識ではできなくなりました。


朝と夕の2回の面談で、

名前を呼ぶと

腕を動かし、体を起こそうとしだし、

息子の閉じられた目からは涙がでていました。


ちゃんと聞こえてる、ちゃんと生きている。

これ以上呼びたくても、人口呼吸器や管が外れそうで、

呼びたくても、声を殺して横にそっといたりしました。

息子の大切にしているぬいぐるみを持って行き、

呼びかけてしまった。


すると、一瞬目をぱっと開け、体中をばたつかさせてしまった。

落ち着かせ、鎮めるのに大変になってしまった。


このICUを経て、病室に運ばれ、やっと息子とずっと一緒にいられるという

喜びはつかのま、

今度は絶食との戦いが始まりました。





今日、一口でも食べれたなら、しあわせです。

しかも歩ける。


この歩くこと自体が、喜びでいっぱいの方にブログを


通じて出会いました。


食べれる・しかも歩ける



たくさんの方が忘れそうになっているのではないでしょうか・・・・・


ハルミさんの明るさはいったいどこからくるのかしら。

ポールウォ-キングは、運動をされていらっしゃったかたなら、

習わずともできます。

ハルミさんは、ダンスもされてこられたお方。

体のことは、今は痛くて辛いですが、

ポールウォ-キングのことを、

凄くお調べになり、

今自分の体にはこれだ、という思いで、

歩き始められました。


線維筋痛症という痛みと戦っておられます。

しかも、楽しく。


体を動かしたら、痛いと思い込んでいたのに、


ウォ-キングをした方が痛みが減ることなんだ、
と書かれています。



線維筋痛症の痛みとポールウォ-キングでの筋肉痛とは

違うとも書かれています。


歩けた、

歩いた幸せがたくさん伝わってくるブログです。

ハルミさんをそんなに明るくしているのは


いったい何か、私も

読んで行きたいです。


明るいハルミさんのブログです




今月のポールウォ-キング開催地です


今月のポールウォ-キングイベントです

IZUMI