こんにちは いずみです
私の母について、今日も語ります。
①では、毒親っぷりのご紹介
②では、虐待っぷりのご紹介
その対処方法と葛藤
を綴りました。
③では、母の実態と生育環境のご紹介
をします。
さぁ、早速
母親の『いのち』はですね、ズバリ修羅。
ぶっこわしのいのち。
全てにおいて育むことは難しく、あちこち叩き壊すのを好みます。
良心の呵責はあまりなく、逆に自分が常に正義だと確信している。
親としてのアイデンティティーは高い一方で、親の権力を絶大なものと誤認していて修正は困難。
子どもを自分の所有物として扱う。子どもの心や体をいたぶることで、自己実現感や高揚感を味わう。
人間関係においては、家族外では物凄くイイ人。
面倒見がいいし、明るく陽気。
でも深い付き合いは長続きできない。
なぜなら、ぶっこわしの本性が出てしまい、遠ざけられてしまう。
母いわく、『去るもの追わず』
そんな私の母は、昭和27年生まれ。
東京都北区で生まれ育ちました。
その両親(おじいちゃん、おばあちゃん)は共働き。おばあちゃんの不貞で生を授かりました。
おじいちゃんはその事実を知った上で、実の子どもとして受け入れて実子として届出。
母が幼いころ、その両親(おじいちゃん、おばあちゃん)は2人とも別々に飲み歩いており、ほぼ家に帰ってこずの日々。
兄姉は、10歳以上も年が離れており物心つく頃には自立していたそうで、一緒に暮らした記憶はないよう。
食事は毎日夕飯だけ出前が届き、幼い子ども1人での孤食。
栄養の偏りが原因か… 精神的な要因か…
砂壁が大好物だったようで、おやつには壁を食べていた。数年で家中の壁を食べつくしたそう。
小学校低学年まで髪の毛はまだらに生えており、近所から『がびちゃん』と呼ばれていた。
母は毎日ひとりで過ごす時間が寂しかった。
唯一行ける場所である麹町の叔母さんの家。
そこまで1人で何時間もかけて歩いた。
ただただ…叔母さんや、いとこと会いたい一心で。
しかし無情。
『ものごい』と間違われ何度も追い返された。
それでも、行くところがないから
また何時間もかけて、会いに行く。。。
その道中が楽しかったと母は笑顔で話す。
今でも麹町は母の自慢であり、実家にちかい感覚なのかもしれない。
この生育環境が母の精神発達や人格形成に影響を及ぼしたのではないかと考察しています。
母の突っぱる生き方をみると
こう強くなければ、生き抜いてこれなかったのではないかと思います。
心の奥底には怒りのエネルギーがマグマだまりにように控えていて、その力が母を支えつづけたのかもしれない。
コミュニケーションが難しいのは
幼少期、圧倒的な会話不足かもしれない。
非力な幼少期につらく悲しく寂しい思いをした
我が母の気持ちに思いを馳せると…
やるせないですね。
よく聞きます。
虐待の連鎖。
まさに、そうなのかもしれません。
わたしに子どもがいたら…
もしかしたら、虐待的な言動をしてたかも。
現に…
自分を律する自制心と
衝動的な怒りのエネルギーの交錯を
自分で感じるときがあるから
強くなりすぎは、、
自分をも破壊していくものですね
わたしは、それでも母を愛しく思います。
それでは