言葉というのは扱いづらいものだとつくづく思う。
この1行を書くのに、1時間かかったのか、1分かかったのか、10秒で書き上げたのか、なんて読んでる側は関係ない。
結局は読んでる側の状況であり、心境がモノを言う。
文章じゃなく、会話でもそう。
会話は話し手の温度が伝わる分、わかりやすいけどやっぱり、受け取る側の姿勢がウェイトを占めるんじゃなかろうか。
お腹が痛くてそれどころじゃないのよ、とか、あなたの話は分かりづらいから最初から半分くらいしか聞いてないのよ、とか。
それでもやっぱり、会話は温度があるからいい。会話というか口から発せられた言葉。
難しいのは温度のわからない文章や文字。
誰がどんな風に読むんだろう?とかどこでこれを読むんだろう?とか考えながら、本当は言葉をつないでいかないといけないんだろう。
第一にその言葉の意味を知らないとだめなんだろう…。
言葉を大事にしなければならない業界で、言葉が蔑ろにされてないだろうか
表面上の耳触りのいい言葉だけを選んでいるのではないんだろうか
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さて、昨日は「H道ステーション」を拝見しましたが、どうもしっくりこない所があったんだ。
予算委員会の質問答弁しているやつ。右に与党が座り、左に野党が座っているやつ。
どこがしっくりこなかったのかというと、与党・民主党が野党・自民党に質問(意見)をぶつけられ、答えるのに苦労している(ように見えた)姿。
そこで私は思った、予算委員会っていつも野党→与党だけなのか?と。
ニュース番組で放送されているのはいつも野党→与党の画。(な気がする)
だから、民主党が野党で自民党が与党の時は民主が自民を攻撃していた。(ように見えた)
そして、しどろもどろに自民党が回答していた(ように見えた)
「ふむ、与党になったら野党から質問をぶつけられるだけぶつけられて、しどろもどろになっているところをメディアにフィーチャーされて放送されてしまうのか。そして与党は野党に質問しないのか?というか協議をしないのか?」と家の者に言ってみた。
ら、おとうさんの回答は「与党も野党に質問している。が、こういう番組では放送していないだけ」とのこと。
うーん、そんな映像観たことなかったし、そんなのやってるなんて知らなかった。
こういう時。
大衆メディアに向けて考えてしまう。
自分もそういった世界のすごい隅っこにいるから、余計に考えてしまう。
時々、マス・コミュニケーションではなく、マスを扇動・洗脳しているのではないかと思ってしまう。
そう、これは一種の暴力だと思う。マスに対する自分たちの耳触りのいい見栄えのいい言葉を、映像を提供する暴力。
ただ、受ける側は暴力だとかは思ってないけど。
確かに、スクープとか正しいことはあるかもしれない。(もちろん不義を正す役割してると思うけど)
けれども、それが過剰に煽ったり、偏ったりしてるのではないかと思う。
数多くのニュース番組はニュース番組ではないとも言えるから、仕方のないことなのかも知れない。
時間が限られていて、全てを知らせることは無理なのかもしれない。
一部分だけを切り取って、貼り付けて、扇動する。
自民党はだめだと扇動する。民主党はだめだと扇動する。
地球に何かが起こっていると毎年言う。
白を黒だともっともらしく言えば、多くの人は黒だと思ってしまう。(そしてエクスキューズはしっかりと用意する。企業なら当たり前かもしれないが)
所詮、大衆メディアはその張本人ではない。
たとえば、取り上げられこそしないが国民のために励む政治家。
地球温暖化のせいで苦労を強いられる農家、漁師の人々。
いじめに悩む学生。いじめを解決したい教師。
張本人から取り上げた「事実」をあたかも「真実」のように見せているだけ。
力があるからこそ、公平な目で、不偏の姿勢で私たちに「事実」をつげてほしい。