FINGER FOOD

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Sism
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私は一度心を許したが最後、まともな大人の女の所業とは思えない位凄まじい甘え方や、この世の終わりかという程の泣き方を時々する。
そんな、何のメリットもない面倒くささを抱え込んでまで、夫はどうして私と結婚しているのだろう、と思う時がある。

そもそも、自由恋愛のチャンスを手放してまでどうして人は結婚するのだろう。
妻は年を取っていくし、結婚なんてしない方が、若くて綺麗な女の子と自由に無責任に遊べるのに。

私がもう一緒にいられない、と言わない限り、私から離れることはない、と夫は言う。
喧嘩の末に恐慌をきたして、もう一緒にいられない、と私が言っても、離れないと夫は言う。
何があっても、一緒に乗り越えていける人だと思ったから、何が起きても一生守っていくと決めたから、そういう気持ちで結婚したから。
結婚する、ということは自分にとって、そういう覚悟を決めることだったから。
感情が爆発してぼろぼろ泣く私に、夫は言う。

夫が、メリットの有る無し、という観点からではなく私と一緒にいる、と感じた時、静かな小さい雷が自分の上に落ちたような気分になる。

今日空を見上げると、よく晴れていて、とても温かかった。風が気持ちよくて、どうして私は今ここでこうして無事なのだろう? どうして今日、今、美味しくご飯が食べられて、仕事もあり、家があり、好きな服を着て、家族も健康なのだろう?
そう思う時にも、私の中心に静かな小さい雷が落ちる。
それは、たまたま運がよかったから、とかではない。行いの良さも関係ない。私がいい人だろうが悪い人だろうが、優しかろうが嘘つきだろうが、私はこの瞬間に結晶した奇跡の中を歩いている。
それが次の瞬間には天災や事故や病気によって奪われてしまうとしても、恨めないくらい、恵みに満ちた光の中を。
今まで付き合った人たちが私を「好きじゃなかった」とは思わないけど、それは彼らにとって「今自分が知ってる(落とせそうな)若い女の子の中で1番タイプ」だから好き、なんじゃないかな、とどこかで思っていた。
何も不埒な気持ちで私と付き合っていた訳ではないと思うし、どの人とも結婚話は出た。なのに、遠い未来を想像すると寂しかった。
私が結婚したのは、そんな「時間が止まって欲しい」と痛切に願うような寂しさを私に与えない人だった。
彼と出会って私は「女の子」であることのプレッシャーから卒業できた。

昔うちの実家でアルちゃんという白いマルチーズを飼っていたのだけど、私が小学生の時アルちゃんは死んでしまった。
それ以来両親は二度と犬を飼おうとしなかった。私が大人になってからもうちの居間にはアルちゃんの写真が飾られ続けていて、両親は度々アルちゃんの思い出話をした。
実家の床はフローリングなので、アルちゃんが廊下を通ってみんなのいる居間に来る時、爪が床を弾く「チャッチャッチャッ」という音が近づいてくる。アルちゃんがこの世から消えても、父はしょっちゅう口の中でアルちゃんの爪の音を再現しては家族の頬を緩ませていた。

夫と出会った時、たとえどちらかに将来、別の恋人ができてしまったとしても、互いが互いにとっての「アルちゃん」だった日々は消えないだろう、と思った。
幼い頃は、ニュースで「慰謝料」という言葉を耳にする度、そんな大金を請求するなんて、なんだか人としてがめつい、と思っていた。
でも大人になって、一生忘れられない位決定的に傷つく、という経験もいくつか経て、慰謝料というシステムはよくできているなぁと思う(慰謝料を貰ったり支払った経験はないけれど)。
もうこの先自分は生きる価値も意味もない、という精神状態に追い込まれても、裁判所が相手に慰謝料の支払いを命じた時、自分が傷を負っていることを世間が知り、認めてくれた、と感じる。
相手がお金を支払うことで、自分に対して悪かったと思ってくれている、と思える。
自分は足蹴にされて当たり前の人間なのではなく、謝られてしかるべき存在なのだと気づける。
取り返せないほど大きなものを失い、消沈して生きている今の自分の運命が、仕方のないものではなく、お金というサポートを受けるべき非常事態なのだと思える。
慰謝料というのは、地の底に落ちた自尊心を回復するためにあるのかもしれない。
夫が出張でいない晩、ベッドにひとりで寝ていると、静かな白い灰になったような気持ちがする。
火葬場の炉の中で寝ているような。
家族や友人はこの世のどこかで元気に暮らしているけれど、誰もが自分の人生に没頭していて、今この瞬間、私は誰とも関連していない。
それは死と似ている。
どこかで誰かが私を思ってくれていたとしても、それは生々しく「関わりあっている」のとは違う。
そういうことを思う時、私は別に寂しかったり悲しかったり辛かったりしない。
ただ、静かな白い灰になる身なのに、どうしてご飯は美味しいんだろう? どうして夫と毎日笑って暮らしたりしているんだろう? やりがいのある仕事に燃えたりするんだろう? 私という人間がいた事実も、そう遠くない未来消えてしまうのに。その意味とは? 家の中が静かだとそんなことを考えてしまう。
とても不幸であれば、静かな白い灰になることが苦しみからの解放になるけど、今はそうじゃない。
楽しく生きさせてもらっている今が、身にあまる。
結婚してから、たまに一人で寝る時、そんな風に思う。