子供に罪はないのに、こんな思いをさせてしまった。
この当時のことが気になってしまうのは、
”今”も原発問題などで、子供に不安な思いをさせてしまって
いるからか・・・
防空演習
昭和11年 高1 男子
九月十八日この日こそ伊東を中心とした、伊豆半島全区域
に渡る防空演習を行った日である。
僕は配布された印刷物を繰り返して読んだ。
午後六時半警戒管制のサイレンが物すごく夕方の静けさを
破って鳴り響いた。
伊東の町はたちまち暗黒の魔物の手につかまれた様に沈んで
町の姿は消えてしまった。
空には一面の星のきらきら光るばかり。遠くの航空灯台が時々
ピカリピカリ光る。
犬の遠吠えがかすかに聞こえて来る。
道行く人も家の中の人も話し声はない。
時々パッとマッチの日が見える。煙草の火がチラッと見えたと
思うとすぐ消える。
又七時二十分の非常警報だ。サイレンがすごく牛の泣き声の
ように「ブー」と響く。
消防手の大きな声が時々聞こえる。
暗黒の道を自転車が走る。パッとマッチの光が見えるとたちまち、
消防手の声が暗の中から聞こえる。
飛行機はどこから来るかと空を眺めたが見えない。
たちまち暗をつんざく「ダッ、ダッ」
と物すごい機関銃の音がこだまして物すごい。
家の中の人も外に飛び出した。
「どこだ、どこだ」
と叫ぶ声が聞こえるが飛行機は見えない。子供の泣き叫ぶ声が
聞こえる。又機関銃の音が物すごく響いて来る。
九時三十二分になって演習止めのサイレンが鳴り響く。
たちまち各家の有様が明るく照り出された。
町の街灯も一つ又一つとつけられて平常になった。
往来の人の声もやかましい。
僕は床に這入ってから考えた。もしこれが戦争であったらどんなに
物すごい事であろう。
どんなに悲惨事が起こるだろう。
などと考えてお互いに演習でも真面目に言われたことが大切で
あると思った。
第一次世界大戦が終わって第二次世界大戦が始まる前の
様子が判りました。
この高校一年(尋常小学校高等科)の男の子はこの三年後に
戦争を経験することになったのですね。
辛い思いをしたことでしょう・・・
この作文の一年後昭和十二年の伊東市の大川橋。