今日も生きてます -7ページ目

今日も生きてます

長女が退院したのが
2023年6月

GHの生活を始めたが
嫌だと言って・・
完全に家での生活に戻ったのが
2024年8月

2020年10月から
2年8カ月の入院後
再び一緒に住み始めて・・半年ほど・・

長女の生活を綴りたいと思います。
(2025年1月)

「わしは、中学の時にいじめられて精神患ってる」

 

「あの子は、学生の時のいじめで・・おかしくなった」

その子は、見えない相手と話をしてるのか・・大声で怒ってるところを見たことがある。

 

障碍者の就労継続支援に通いだして・・聞いた情報見た情報・・・

いじめられると・・人間は精神をやられてしまう・・・

 

昔、メル友から、私は泣けないんです。ときいたことがあった。

この方は、親の虐待と言えるようなことを受けてた。

 

一度精神を患うと、なかなか治らない。

 

私の娘も・・・精神科入院中、

小学時のいじめ・・・

それに加えて、家庭環境も問題ありだったのか?

いじめられて不登校になり・・小学時に施設の生活をさせた。

これを、捨てられたと思ってるところもあるようで・・。

 

 

養護学校卒業後、手帳枠にて一般就労してたのに

2年足らずで続かなくなった原因は、私にもあるが

今、そこに目を向けることで・・何が変わる?と言うのは、自分擁護の発言か?

 

A社スタッフに言ったことがある、

自分が幸せでなければ、子供を幸せにできないと・・

そしたら、お母さんの幸せって何ですか?

 

私は、自分が満足な生活ができていなければ

周りの人と仲良くできていなければ、子供を守れないと思ってた。

私は、自分が周りからどのように見られてるか、思われてるか

結構気にしてたから・・・それがよろしくなかったか?

 

不登校になったとき、

家にいてもいいんだよと言う気持ちはあったし

子供の居場所は作っておかないと・・そう思ってたが・・・

 

子供との過ごし方をわかっていなかったのか?

話してわかる子ではないと、逃げてたところがあったのか?

 

現在・・・精神科入院からグループホームへ 家には帰れない道を作るのが 一番いい方法になりそうです。

 

入院から一か月・・

一般病棟は、4人部屋だと聞く、

何とかそこで、服薬もしてるそうです。

 

まだ・・退院からGHと言う話はできないが・・・

 

最善の道を考えていきたいと思います。

 

 

 

 

 

今の仕事は、就労継続支援B型と言う

精神、知的、身体の障害を持った方が通う

就労施設です。

 

就労継続支援にはA型、B型と分けられてるが

 

A型は、雇用型なので・・利用者には最低賃金が保証されます。

当然、スタッフも最低賃金は頂けます。

どうかすると、同じ時給で 検品や数量確認をすることになる場合もあるのが、雇用型の作業所です。

 

今 私が勤務するのは、B型・・非雇用型です。

ここの利用者の方は、最低賃金が保証されていません、

工賃と呼ばれるもので、最低賃金に比べたら、・・・

安い、田舎県の時給に比べても、3分の1もありません。

 

スタッフは、検品と数の確認を余分にするだけで・・

倍以上の給料があるのかと思ってる利用者がいるかもしれないです。

 

スタッフは、利用者の送迎をするのは当然で・・

もちろん、歩いてくる人、自転車や車で来る人もいますが

大半は、送迎付きです。

 

利用者は、昼食が無料だが、

スタッフが、レトルトをあっためて、スープを作っているのに食事の補助はまったくありません。

 

だから、それは良いことかも知れないですね。

福祉の作業所だから、スタッフの給料は税金ですし。

 

それにしても、今の会社は・・経費を使いたくない会社で・・

消耗品すら、予備がない。

 

食堂の洗剤、調味料(スープ類を作るだけに必要)

事務所は、付箋や封筒など・・言わなきゃ出して頂けない。コピー用紙も・・

 

救急箱のバンドエイドも・・言わなきゃ出して頂けない

 

そして・・毎日困るのが・・トイレットペーパー

なくなったら、芯を持って行って1つもらう、

予備に1つ置いておくってことを 基本やらないんだって・・。

こう言う作業所だから、

あるだけ、使ってしまう子がいるとか・・

 

色々やりにくいと思うことがある会社です。

 

疲れます。疲れなくていいことで疲れてる気がします。

 

 

 

 

娘が10月22日に入院しました。

A社の介入で・・病院まで連れて行っていただいたわけだが・・・

 

精神科は、携帯の持ち込み禁止

通信の自由はあるが

電話は外からかけたものはつないでいただけない・・・

公衆電話からかけるのはOK

 

退院後は、家に戻らずに・・・GHの生活をする。

そのための支援に、行政の助言も借りながら・・A社が入る。

私はタッチしない、できない。

私が介入したら、また元の木阿弥・・

家で荒れることになるし、GHには、入りたくないと言うだろう・・。

そしたら、親なき後・・どうする?

中高年になっても、引きこもりつづけるかも?

 

それを打破するための入院です。

 

 

22日の朝10時過ぎ・・

とにかく、診察を受けようと言うことで・・車に乗って着いたのが精神科の病院

私と一緒に診察室に入り・・

親の私の一言・・「医療保護入院をお願いします」

これで・・・連れていかれた、保護病棟。

もちろん、その前に資料は見ていただいてる。

 

娘には、何の前触れもなく・・

A社には、直前まで普通にしててくださいと言われてたから・・

 

ある日急にやってきた・・・知らない人達

その人たちに連れられて・・知らない病院へ来て・・

 

嫌だ嫌だと言いながら・・鍵がかかる病棟へ連れて行かれてから・・

一か月弱。

 

仕事帰りの時間を気にせず・・

休みの日も自由に過ごせる今・・

 

ぱっとしないのは、

転職した仕事がぱっとしない。

 

以前の仕事を辞めたかったが・・

今の仕事に 早く決めなければよかったと・・・後悔する日々です。

 

娘が入院していなかったら、コロナで入院が難しかったら・・

一緒に病気になっていくのかなと思ってたが

 

娘が入院した後だが・・

嫌だ嫌だと思いながら 続けていく仕事・・

 

また転職するといい?私は、もうすぐ還暦です。

 

 

 

 

 

 

今夜は、自分のことを書いてみます。

今年の6月に、職場で命じられた

高圧洗浄の仕事を・・嫌だと伝えたことから

勤務時間を減らされてしまいました。

 

それで、別の仕事を探し始めて・・

最初はボランティアと言うことで

午前中その会社で過ごし

12時から出勤してました。

 

ようは、事務所の横にある社長本宅の庭の石の高圧洗浄をやらないかわりに

障碍者就労継続支援で内職仕事の手伝いをやったあと

出勤してました。

 

このころは、いつ入院できるかわからない娘が家にいて・・・

いつも通りに家を出て・・4時前には家に戻ってました。

 

高圧洗浄も嫌だし、

勤務時間が短くなったのも嫌で・・

 

そして・・・今

障碍者就労継続支援B型(非行型)の作業所にて

平日4時間半の勤務だけになりました。

土曜日は、2時間半です。

 

内職仕事をするかと思いきや・・

事務員と、サービス管理者の仕事の手伝い

これがメインになり・・

食堂の人が休めばそちらに入り

送迎の人が手の離せない仕事があれば

利用者の方の送迎もやり・・

 

何でもやで・・良いように使われてるなと思いつつ

 

ここから逃げたいと思うが

ぎりぎりのスタッフで回していることもわかるし

 

利用者は、難しい人もいる

幻聴が聞こえてるのか?

急に大声で怒りだす人

何かのきっかけで怒りだす人・・

 

嫌だと言って怒って帰っていく人・・

 

こう言う人達との接触・・・

これは難しい人もいます。

でも、普通に話せる人もいるし・・

 

人との接触は一番難しいことだが

一番楽しいことかも知れない

 

ここに通ってくる人達が・・これからどうしていくか

それも大事かと思うが

 

毎日、作業所へ通い、楽しい時間を過ごされたら

それが私の望みです。

 

何ら資格がない私だが

 

娘は、こう言った就労継続支援に通ってたし

退院したら、またこう言った施設に通うのかなと思うと

いろんな情報を入れたいと思ったことのほか

 

内職仕事なら還暦直前の私にも

できるんじゃないかなと希望した仕事だったが・・

 

何かぱっとしない仕事時間を過ごしてます。

 

着の身着のまま・・病院へ行き

その日のうちに、着替えなど

入院に必要なものを持って行きました。

 

物には困らないが・・

 

もう、帰れない・・

その精神苦痛をどうしたらいいのか。

 

病院と言う、精神も身体も守られる場所と言うものの

 

ずっと頼ってた身内から

何の前触れもなく引き裂かれた・・

 

今後のことを、私はまだ娘に伝えてない。

 

家には帰って来れないよ

退院したら、GHの生活をしよう

家に戻ってきたら、また同じこと

思うように行かないことを大声で怒り

物を壊し・・食べるものを捨てて・・

それを繰り返したくない。

 

これを手紙で伝えることになってるが

それは、まだ終わってない。

 

 

 

28日には、閉鎖病棟から 一般病棟へ移りました。

携帯は持って行けないが、私の携帯番号を娘は暗記してる

何度も、公衆電話からかけてきます。

今日も着信がありました。

 

通信の自由があるから・・・

 

私にかけるのではなく、A社スタッフにかけないと・・

A社の担当者の連絡先は伝えてある。

10月31日に1度だけかけて、話をしたと言う連絡が届いてます。

着いてから10分ほど待ったでしょうか?

医師の診察を受けなきゃいけない。

 

待合室や、廊下で時間をつぶして・・

診察室へ入りました。

椅子が2つ並べてあり

私と娘用に・・

 

なかなか座れない、座らない娘で・・

ずっと医師に背中を向けてました。

 

若い医師か看護師か介護士か?

白いマスクをつけて、黒いジャンバーを着た人たちが(全員男性)

診察室で数人立ってました。

 

暴れたときとか、逃げだそうとしたときに

力で止める人たちだなと思いつつ・・

 

やっと向きを変えて、医師の方を見た娘に

「こんにちは、どうしましたか」と発した医師でした。

 

A社が提出したビデオや

入院が必要と言う書類(私は見てないが)に

目を通して頂いてて

入院は決まってたが・・

 

娘の前で

 

最近困ってることを私が話し始めました。

 

朝は嫌でも5時に起きて 外を走らなきゃいけないこと

鍵を何度も確認すること

手洗いうがいの回数が多いことなど

強迫性症状があることを伝えました。

 

何も言わない娘でした。ずっと黙っていました。

 

そして・・A社から言われてたように

「医療保護入院をお願いします」と発したら

「はい、わかりました」と医師が・・

 

娘は、この黒いジャンバーの男性たちに連れて行かれました。

A社の女性にも、途中まで来てくださいと・・

「嫌だ」と言う声は

聞こえてた・・。

 

B病院では、療養室と呼ばれる、閉鎖病棟へ入院しました。

 

娘がいなくなった診察室で

「精神遅滞ですね」と

書類やビデオでは伝えてたが

実際の姿を始めて医師に見てもらい・・

精神遅滞・・つまり知的障害が

最初に聞いた診断名でした。

 

これから、検査等が始まります。

 

普通は、3か月ほどの入院と聞くが

3か月では短いので

1年程の入院をお願いして

その間に、服薬の習慣、A社スタッフとの人間関係を作り

 

退院後は、自立に向けてA社スタッフの支援を受けると言う流れに

乗りかけました。

 

まだまだ困難はあります、


 

 

 

 

 

 

 

 

精神疾患の疑いがある娘は

2020年10月22日の午前中

A社に説得されて

福祉タクシーに乗り、

B病院へ連れて行ってもらいました。

 

説得?

どう言う説得だったか知らないが

 

決められたこの日に、

説得移送をしてくれると言う、A社の方

女性の方二人に来ていただきました。

私がずっと電話で話してた方です。

 

娘へのファーストアタックは

入院する日と言うことで

荒れて、警察を呼ぶまでもないときに

娘に会ってほしいとお願いしても・・

それは、かなえていただけなかったです。

 

娘には内緒で決めていた、移送の日

 

いきなりで・・誰?誰?と叫ぶ娘に

名前をおっしゃった、A社の方

「名前じゃないわ、福祉の人?」

「福祉じゃないけど、福祉の方とも関係があります、

保健所さんとか、福祉課さんと話をしてます」

 

そんな会話を聞いた後

外にいてくださいと言われて・・

外で待つこと 30分弱・・

 

靴を履いて出てきた娘でした、

家の前で待機してた、福祉タクシーに乗ったのだが

 

関係者への電話連絡が長くなり・・

せっかく乗ったのに 結局、車から降りてしまい・・

 

自分の車に乗り待機してた私のところへ来て

「嘘つきだな・・」と怒りだした娘でした。

 

それでも、A社の説得と腕力により

もう一度車に乗った娘でした。

B病院へ向かいました。

 

私の車が、先に出れる位置に止めておくべきだったが・・

そこを誤りました。

 

A社の電話連絡が短かったらと思ったが・・

それも後の祭りです。

 

B病院まで行けました。

 


 

昨年夫をなくしました。

肺がんの末期・・なくなる10か月前に確定した

右上葉肺門部肺がん

小さい癌が、いっぱい集まってると聞いたのが

2年前の今頃・・・2018年の11月15日は

CTの結果から、造影CTや気管支鏡の精密検査を受けて

その結果が出た日でした。

 

2年前の今頃、私は夫がこんな結果になる病気に罹ってることを予想してなかった。

医者嫌いな夫が、やっと受けた検査だが

 

結果は良性・・手術を受けたら治る・・・。

 

それだけ元気だった、

咳は続いてたが・・痛い発言もあったが

それは、重労働だから 体の疲れだと・・ずっと思ってた。

 

・・・しかし、この日に告げられた結果は

採取した、3つの細胞が・・・全部

悪性腫瘍・・・  

 

この文字を見たとき・・信じられなかったが

普通に会話ができた夫

すでに転移もしてたが

頭の中までは行ってなくて・・運転も可能だった、

 

この頃、ある看護師さんに「ずっとこのままだったら良いな」と私が言ったときに

「そう言うわけにはいかないんですね」と言われた。

 

また別の看護師から、「肺がんで亡くなる方いますよ」と言う声も聞いた。

10か月後に力尽きるなんて、思いもよらなかった2年前。

 

2018年には、1クール目の抗がん剤治療も始まった。

年が明けて、2019年には、2クール目 3クール目と抗がん剤治療を受けた。

 

抗がん剤は、4クールまでしかできないと聞いてた

それが終わったら・・また考えましょうってことだったが

 

3クールが終わったときに、副作用が強くて

脳梗塞も起きてた、

 

結果・・・抗がん剤治療はできなくなり・・

あとは、対症療法だけになり・・・

 

去年の8月には、緩和病棟へ入った。

 

そこには、入りたくないと言ってた夫

「どう言うところが知ってるか?しぬのをまってるんだぞ」とまで言ってたが

この病棟は、煙草もOKで・・

 

最初は歩いて、喫煙所まで行ってたが

そのうち、車いすで移動するようになった。

それでも、1日2,3回煙草を吸ってた。

 

そのうち・・そこへも行かなくなり・・

 

日曜の午前中は、ワンピースを必ず見てたが

テレビの電源は入ってたが

見る気もなくなってた夫。

 

それでも、私は夫がこんなふうになることを考えてなかったのか

受け入れるつもりがなかったのか・・・

 

娘の荒れは気になり

面会の時間も規制して・・娘に合わせ・・

 

医者の言ったほぼ同じ時期に 力尽きた現実。

 

もっと早く受診してたらと・・

それを担当医に伝えたら

この病気は、自覚症状がないから

進行しなきゃわからないと言ってくれたのは、慰めか?

 

抗がん剤治療ができなくなってからも

週2回の受診を希望した私の言いうことをきいてくれた

医師と夫・・・

これが負担だったかなと思いつつ・・

 

今は何もできない、

 

夫は私と一緒になってなかったら

まだ生きてたかもしれないと思う時がある。

 

 

お久しぶりです。

11月になりました。

 

世界中が頂いた誰もが受け取りたくない贈り物

生活様式が変わってしまった贈り物

迷惑で面倒で、また心配もあり・・・

早く消えてほしい・・なくなって欲しい コロナウイルス

 

その中でも生きていかなきゃいけない現実。

 

私の生活が少し変わりました。

 

6月から考えてた転職と

娘の精神科入院が・・現実になりました。

 

これから、そういったことを綴っていきたいと思います。

 

以前のブログは、カテゴリが違ってたりしたところもあるし

一部は、yahooブログから移動させたところもありで・・

 

直すことはせず、重複もあるが

ここから、また書いて行きたいと思います。

 

転職して・・疲れました。

土曜出勤もあります。

 

今後そういったとこも書いて行きたいが

コメント頂いても、返信する時間がないので

コメント欄は閉鎖させて頂きます。

 

一周忌前日 夫がお世話になってた会社の社長から届いたメールです。

最後は切れてますが 「話しかけてます」と書いてあります。
お供えが宅配されたので お礼のメールを入れたら〜
返信されたものです。

家の中のこと 長女のことは
解決せず〜だったが

仕事は 周りの方に恵まれて
やってたのだなと〜

 

一年前の葬儀も 家族葬の予定だったが

社長に入れた 一本の電話から

以前の職場の方にも連絡が入り

通夜には 40人弱の方が来てくださいました。

建設業界40年弱・・・タイル工で頑張ってました。


外仕事 足場の上など
大変な仕事だったと思います。

 

肺がんステージ4と診断されてからも

車の運転を止めるまで・・2ヶ月前まで 現場に顔を出してた夫

仕事が好きなのか?

周りの人たちに恵まれたのか・・?

家にいたくなかったのか?

 

40年続けた・・タイル職人

立派だと思います。

社長や職人さんにも恵まれました。

 

ありがとうございました。