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東日本大震災による宮城県での支援活動を終えて~松井さんの報告内容④~

四月二十八日㈭ 

午前中は若林区役所で前日のケースでの調査・確認と、避難所からの引っ越しの手伝い。

午後からは仙台管区北部の七ヶ浜生涯学習センター(避難所三九〇名在所)、同敷地内の通所授産施設を訪問・調査しました。

避難所では三名の障害のある方とその家族と面談をすることができました。

避難所ではプライバシーもなく、また「障害があるために迷惑をかけるなど気を使うことも多く居づらい」「早く近くの建設中の仮設住宅に変わりたい」などの話が聞かれました。

 

 二十九日㈮ 

石巻市で津波で被災された自宅の清掃の依頼があり、トラックで訪問。

高速道路を下り、市内を五分くらい走り海側の住宅地に入るとヘドロとがれきの山。道路だけは片づけられていましたが、側溝は全てヘドロで埋まっており、少し離れたところでは通行止めで自衛隊ががれきの撤去を行なっていました。

約束の家に到着すると一階部分は全て浸水しており、床のヘドロ掃除と車イス二台のそうじ、照明器具の取り外しを行ないました。キッチンのシンク、お風呂の浴槽やトイレの便器は真っ黒なヘドロで詰まっており、それも全て取り除き、トイレも使えるように清掃しました。

照明器具の中はヘドロが残っており一階の天井まで完全に浸水したことが伺えました。

昼過ぎ周辺を歩くと、一ヵ月半経つ今でも「人を探している」という方と出会いました。

周りの家も庭先は全て瓦礫の山で、中には車や物置が家の中に突っ込んだままの状態の家も見られ、改めて津波の恐ろしさを思い知らされました。その後、依頼のあった全ての清掃を終えセンターへ戻りました。



                                      (つづく)

いずみ野福祉会とトゥギャザーの「東日本大震災の被災地障害者施設支援のための製品の販売・育成支援」

 

社会福祉法人いずみ野福祉会とNPO法人トゥギャザーと共同して「東日本大震災の被災地障害者施設支援のための製品の販売・育成支援」事業を行なっています。

社会福祉法人いずみ野福祉会の鵜木さん、上月さん、大森さん、NPO法人トゥギャザーの一行は岩手から宮城のさおり本舗ねこやさんに行っています。

 
以下、鵜木さんから送られてきた内容を転記します。

  

写真は75日、岩手県久慈市のアスリード本舗さん 知的障害者福祉工場(南部せんべいなどを作っています)でのものです。

 


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アスリードさんは被害はそれほどでもなかったが、少し行けば被害がひどいので、ぜひ見ていってくださいとのことでした。

アスリードのみなさん、余震の中でもなんのその。元気いっぱい、きびきび頑張って働いていました。

 

みたけの園はガラス工芸をしている場面をみせていただきました。

震災で妹さんを亡くされた阿部課長さんが丁寧に対応をしてくださいました。



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東日本大震災による宮城県での支援活動を終えて~松井さんの報告内容③~

二十六日(火)・二十七日(水)は若林区とその近辺の避難所十ヵ所と社会福祉事業所六ヵ所を訪問調査しました。


若林区(仙台市内)は内陸部に近い二次避難場所への移動も進んできました。

ライフラインもほぼ復旧して、避難所には、救援物資も十分そろっており、ボランティアも炊き出し、お風呂、散髪、マッサージ、医療チームなど充実してマニュアル化もされていました。


障害者の現状を調査をするにも「障害者はいません」とか「行政で対応しています」などと、門前払いされるようなことも多くありました。

そんな中、外で休憩されている人に話を聞いてみようと話をした人が、パニック障害の方でこの方以外にもう一人おられることがわかりました。


そして、仙台市障害者福祉協会の障害福祉センターを訪問したときに、荒浜地区で津波に被災し施設(小規模多機能型精神の通所授産施設)は全て流され、福祉センターを間借りして何とか運営をされている方に話を伺うことができました。

幸い、利用者さんとその家族の方にはケガ人も出なかったそうですが、数名の利用者の方と緊急避難先で大地震や津波の恐怖に耐え電気や水のないという不安な日々を過ごされたそうです。

そうした話の中、利用者の方に限らず「障害のある方で困っていることなどあればお手伝いをさせてほしい」ことを伝えると、同じ避難所にいた精神障害者の方が追い出されるようなに(人のものを取っていないのに泥棒扱いをされて)小さな公民館に親子二人で避難されていると聞き、連絡を取ってもらい夕方訪問をしました。




 

人里から少し離れた塩水のひかない田園地帯にぽつんと立っている公民館に、五十九歳の障害のある方とその母(八十八歳)は避難されていました。

六畳くらいの部屋で、窓にはカーテンもなく、テーブルの上に小さなお皿に入った数枚の塩こぶ、インスタント麺の器に刻まれた少量のキャベツ、薄い布団と毛布が一組ずつ「何か必要なものはありますか?」と聞くと「電気はあるのでご飯は炊けるがおかずができない、水もない、夜寒いから毛布もほしい」話の途中で支援センターへ状況を報告し、緊急に支援物資を準備してもらい取りに戻り配達しました。


大地震や津波の恐ろしさ、家が大きく揺れて畳が持ち上がり、そのあと津波が来ると、母親と無我夢中で避難場所に逃げたこと、住む家がなくなり、これからの生活の不安など「夜は怖い」「どうしたらいい?」とずっと話されていました。役場で確認することを約束し、その日はセンターへ戻りました。




 

                   (つづく)