前のテーマがまだ途中ですが
ちょっと気づきがありましたので
今日、私の店で働いて下さっているパートさんが
大黒摩季のCDをもってきてくれました
初めは「おお懐かしい」とか思って
今日のBGMに決定とか思いながら営業スタート
初めは本当に懐かしいなとか感じながら
聞いていたのですが・・・・
後半のとある曲で突然のフラッシュバック!!
その歌の当時の自分が如何に
「自分本位」で他人の気持ちを顧みない人間だったか
を思い出してしまったのです
細かい経緯や出来事は長くなるので書きませんが
気付いた事を書きます
「自分ルール」や「自分の拘り」は他人に
それを望んだ時に「エゴ」になるという事
人間誰しも生きていく上で「拘り」や「ルール」は必要です
しかしそこに執着するあまりそれを他人も同じだと考えると
大切なものが見えなくなるばかりでは無く
その押し付けた相手を傷つけてしまうかも知れません
そしてそれが繰り返されると関係が壊れてしまいます
これを受け取る人によっては
「モラハラ」などと呼ぶのではないでしょうか
だからと言って拘りやルールを持つなという事ではありません
他人とのコミュニケーションの中で自分の「拘り」や「ルール」を
発信する事は重要です!!
自分はこうされると嬉しいやここは不快に感じるなど
自分を理解してもらう事は円滑なコミュニケーションをはかる上で
絶対に必要な事です、しかしそれを他人が理解出来ないとしても
理解出来ない他人を否定する事は違う事です
自分の拘りやルールはあくまでも自分だけのものであって
他人にはその人なりの拘りやルールが在るという事です
仮に自分の拘りやルールを理解してくれたのならば
それは感謝の対象であって、理解されない事が悪い事ではないのです
どんなに親しい間柄であってもその人の全てを理解する事は
絶対に出来ません。
さらにもう一つ自分の「拘り」「ルール」を他人に押し付ける人は
そこに悪意を感じていません!!
自分が良かれと思っている事を共有しようとしているので
それを共有出来ないと感じると
「こんなにしてるのに」
「こんなに相手の事を考えているのに」
「こんなに頑張っているのに」
と勝手な被害者意識が芽生えてきます
自分は間違っていないのに理解出来ない相手が悪く
自分はその被害者であるという意識です
そしてその被害者意識が相手を否定し始め
自分を守る為に新たな「理解者」を探し始めます
これが恋愛関係や婚姻関係にあれば
「浮気」や「不倫」の温床となります
自分の事を理解してくれる人や自分のルールを守ってくれる人
しかし本質が変わっていないので結果は同じです
そうして悲しいかな本当の理解者を求め沢山の恋愛を繰り返します
どんなに相手を変えても自分が変わらない(本質に気づかない)かぎり
満たされる事はないのに・・・・・・・
要点をまとめます
自分の拘りやルールはあくまでも自分だけのもの
他人は原則その拘りやルールを理解は出来ない
もし理解して貰えたならばそれは感謝する事でしかない
理解されなかったからと言って他人を否定するのでは無い
他人が自分を理解出来ないのは当たり前
他人に対して行っている事は自分の満足で行っている
それを理解されなかったとしても自分は被害者ではない
という事です
最後にこれは自分という視点で書いています
もし互いにこの視点を持った人々がコミュニケーションを取ったならば
皆がお互いを尊重しあい楽しく創造的な人間関係が築けるのではないかと私は考えます。
