たまにスタッフに向けて「伊澤通信」という社内向けのメッセージを送ることがあります。
今私が考えたり思ったりしたことで共有したいことを書いています。
とはいえ、実は最近はこのブログをスタッフが見ることも多く、私の考えていることがまあまあ伝わってそうなので少し頻度が落ちてはいます。
今日はその伊澤通信を書きました。
私達は「自分」という見えない檻に閉じ込められているようだ。と感じることが多く、自戒の念も込めて書きました。
今回はこちらにも転載しようと思います。
以下になります。
【伊澤通信】010 ーいろんな価値観を受容するー
多様性の時代と言われている。
でもそれを心の底から理解できている人は実はそんなに多くないのではないかと思ったりしています。
自分の感じ方、考え方が中心になってしまっていて、それと違う人を見ると「なんで?」と違和感を覚えてしまう。つまり多様性を受容できていないのかなと思います。
実は多様な価値観の受容ができれば人間関係のほとんどはスムーズにいくように思うのです。
夫婦関係でも、仕事の同僚との関係でも、友人の関係でも。なんでも。
人々の考え方、感じ方は自分と違って当たり前。自分に寄せようとしない。世界の中心で自分の感覚が正しいと声高に叫ばない。
これだけ。これが本当に人間関係のキモだと思うのです。
そう思ったら人と意見が合わなくてイライラすることもなくなる。だって元々感じ方は違うと理解できているのだから。
人とやり方が違ってもモヤっとしなくなる。だってそれぞれの人が自分がいいと思うやり方がそれぞれあると理解できているのだから。
いや、もちろん夫婦間で例えば時間の使い方に関して考え方の違いがあるときもある。
職場で例えばお客様に対するアクションに対してやり方の違いがあるときもある。
そういうときは一緒に生きていく者同士、一緒に働いていく者同士で何かしらの方針を決めないといけないときはある。
つまり「それぞれがそれぞれの在り方(考え方、やり方)でいい」ではいけない時はあるということ。
それはお互いに話し合ったり上長に相談したりが必要かもしれない。
でもその時に「自分が世界の中心にならないようにしよう」「いろんな考え方、感じ方がある」と思うだけでかなり違うと思う。
特に自分と立場が違うと起こりやすいことだからそういう時は特にそう思うといいんじゃないかな。
例えば
・年齢が離れている
・性別が違う
・国籍が違う
・職歴が違う
みたいな時は「なんであいつは…」と思わずに「そうか、そう思うのか。自分とは違うな。ではどうしたらいいのか」と自然と思えるといいね。
「自分もそういう気持ちになろう。完全に理解しよう。」なんて風には思わなくてよくて、「そういう人もいるか、そうか」で十分。というかそれしかできないはずなのでそれがいい。
体も、能力も、心も、信じる物も、生きた時代も、生まれながらのアイデンティティも、過ごした場所も全然バラバラな人が行きかう世の中。特に東京はそうだと思う。
そんな中で自分と違う価値観を持つ人を受容できないと自分も人も辛い思いをするはず。
だから「そうかー、ならば落としどころはここかな」くらいの気持ちがとーーっても大事だと思うのです。
【まとめ】
・ここまで丁寧に言っても多くの人は「自分に対して言われている」と思わない場合が多い。伊澤も含めて「自分のことだな」と感じられる人になって欲しい。