甲斐犬と古墳の里 堺もず で暮らす

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たいていの情報が、あります。

保存会・日本犬標準

 

大正から昭和の初め頃になると

古来から日本にいた犬 が、洋犬との交雑

により 純粋と言われるものは、ほぼ いな

くなってしまった。

日本の宝である ”日本の犬” が、いなくなる。

その様な状態を、危惧した 人が、いた。

「日本犬保存会」を立ち上げた 斎藤弘吉 氏

である。この人がいなかったら、日本犬は、滅

んでいたかもしれない。 ????

斎藤氏については、戸川著「いぬばか」に詳し

く書かれているので、読んでほしい。

「忠犬 ハチ公」を、世に出したのも 斎藤氏

である。

 

日本犬保存会が、行ったことは。

①純血と思われる犬を探し出し集める。

②犬籍簿を作る。

③犬の数を増やす。そして 保存する。

 

そのために

日本各地の日本犬の調査を行う。

主要な犬種を「天然記念物」にする。

「日本犬標準」を、作成する。  

日本犬の展覧会を開催し、広くアピールする。

 

ここでは、「日本犬」 という言葉を、使ってい

るが、当時は、 和犬、地犬、地域名の付いた

犬 等々で、色々雑多の犬が多数存在してい

た。 「日本犬」 という 名称 は、保存会が、

この段階で 保存する犬の名前を、「日本犬」

となづけた。

 

しかし

太古から日本人と共生してきた犬 と言っても

縄文時代にいた犬

弥生時代にいた犬

その後 外国との交流で持ち込まれた犬

 

それらが 全国各地で 地域特有の犬として、

沢山 存在していた。

これらの犬は、また独自の特徴を有しており、

姿・形・毛色・大きさも種々であり、全てが同じ姿を

していたわけでは、なかった。

また それらの犬の詳しい資料は、ほとんどない。

 

そんな中で

「日本犬」の「正しい姿」 を、決定する事は、

大変困難な作業であったのである。

 

 

 ここからは、全く素人の 私の思い です。

 

日本犬の正しい姿の追及は、私が思うに、おそらく

①今回の調査で集められた現存する純粋と思われる

 犬を、基本

②縄文・弥生時代の遺跡から 出土した骨から想定

 される犬型を、原型

③各時代の絵画に描かれた、上記の太古の犬の特

 徴をよく表した犬等を、参考にした。 

 

これらより

天然記念物に認定された犬種を中心に

理想とする犬姿を、描き出していった。

そして これらの 犬の色んな要素を、

「日本犬標準」に書き込んだ。 ?????

 

既に存在しているものを、そのまま保存する。ではなく

理想とするものを、追い求めて 標準という形にして

保存活動を、開始していった。 ????

この時点では、これが日本犬と言う純粋な犬、そのまま

標準にできる犬は、 もう 存在していなかったため、

なのかもしれない。 ???

それほど 当時の日本の犬は、雑種化し、危機的状態で

あったと、思われる。 

 

極端に言うと この時点で

新しい ”日本犬” を 創ったのかも知れない。

また

「天然記念物の認定から外れた」 各地域に、たくさん

いた犬は、「日本犬」から 外されてしまった。

そして 保存からも外れるしかなかった。 ????

 

また 保存会は、 犬の管理の必要から

①日本犬 大型

②日本犬 中型

③日本犬 小型 の

三つの型に 分類したのである。

 

現在は、 中型は、 四国犬、紀州犬、甲斐犬、

北海道犬 に分かれている。

同じ中型でも かなり違いがあった。型間の交配が、

あった場合の血統書の作成に、問題が生じたのでは

ないかと、思われる。

また その犬がいる地域の強い要望で、地域の名前が、

復活したと、思われる。

 

小型犬が、一つにまとめられたのは、保存活動が、

始められた時点で、雑化が、一番進んでおり、各地

のみでは、もう 純粋な犬は、ほとんどいなく、全国

より集めて保存するしかなかった、のと

ほぼ 同じ 形・大きさ であったため、1つの姿と

して保存するのに、異論がなかった。

?????????? 

 

大型は、????

純粋んな 日本犬 ????   

小さな島国の日本には、そんなに大きな犬は、存在

していなかった。 ????? 

と 私は、思っています。

 

この部分は、かなりの割合で、私の私見が入ってい

ます。

 

 

これらの画像・その他 は、

「柴犬研究60年」 「日本犬の誕生」 「日本犬百科」

「日本の犬 人と共に生きる」 を、参照または引用

させてもらいました。

 

 

犬の埴輪 古墳時代(???)の遺跡から発掘

日本犬保存会 の マークにもなっている。

 

 

弥生時代 の遺跡の 壁画

耳が立っている。尾も立っている。

数匹の犬と猟師が、狩りをしている。

 

 

これは、平安鎌倉時代の絵巻

この絵を見ると、現在の犬にそっくり

 

 

江戸時代のスケッチ図 狩り犬

 

 

江戸時代の 鷹狩犬(?)

現在の 紀州犬に そっくり

 

 

日本犬 というと

日本狼 が、 連想される。オオカミの子孫ではないと思うが、

狼 にかなりの 憧れがあった。 ????

日本犬を考える際にも かなりの 影響があったのでは、

 

 

 

かってなことをかってに書きました。

私の考えです。 次回は、日本犬標準 です。

 

もう一つの 変化が、

保存会の会員は、ほとんどが、都会の人

犬は、山から 都会に !!!

猟師の元から 町の愛好家

各地方の猟師の犬は、次第に減少していく。

この時点で

犬を飼う目的が、猟犬 から 番犬 に

日本犬は、主に 番犬 に なっていくのである。

!!!!

 

 

 

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