私は大学2年生で、大学の方針として授業はほとんどがオンラインで行われてきたので、昨年4月に入学してから1年2ヶ月の間を人とあまり会うことなく過ごしました。しかし、そんな中でも数少ない対面授業のおかげで、今は仲の良い人が3人ほどできました。彼ら彼女らとも、月に2回の対面授業でしか会う機会がないので寂しいですが、そのぶん、自分一人で過ごす時間を大事に・有効にして行けばいいと思っています。
さて、話は変わり、先日、ある課外授業を履修している生徒たちの間で、zoom上の懇親会がありました。
生徒8名、教授4名ほどで、自己紹介とおしゃべりをしました。(完全な初対面)
(関係ないですが、今思うとブレイクアウトルームに分けた方が発言し易くて話が盛り上がっただろうな)
そこへ参加していて感じたことがあります。
「自分って一体どんな人間?分からなくなってきた...(もやもや)」
これだけ書くと突然何を悩み出しているのかと言われてしまいそうですが、自分のモヤモヤを丁寧に解きほぐしていきたいと思います。
(以下、「対面での会話」と「zoomでの会話」を対比しますが、ここでいう「対面での会話」とは、普通に同じ場所で会って話をするということです)
まず、zoomでお互いのことを何も知らない相手と初めて知り合う状況って、コロナ以前は珍しいことだったでしょう。対面で顔を合わせて初対面の人と初めて会話をするときは、目が合う安心感もあるし、通信の乱れもないので、スムーズに会話が進みます。
一方、zoomでの会話では相手が画面の中に収まっており、相手の身振り手振りや表情の変化もサイズ的に縮小されてしまいます。
私個人の感覚ですが、画面の中の相手と、目の前で実際に立体的に存在している相手とでは、どうしても臨場感(「相手が目の前で自分と話している」という感覚)が薄れてしまいます。zoomでのコミュニケーションだと、画面の向こうにいる人が自分の話を聞いてくれている感じや、自分に語りかけている感じが薄いです。共感していただける方もいるのではないでしょうか。
そして、相手と会話をしている感が薄いと、会話を素直に楽しむことができなくなってきます。もしかすると、何か話すこと思いついても「やっぱり話さなくていいかな」と無意識に思ってしまっているのかもしれません。話そうとして止める、というのは対面での会話よりも多い気がします。
とはいえ、私も知り合いを作りたくて交流会に参加したわけですから、せめて話を振ってくれたときくらいは喜んで発言します。身振り手振りも多めにして、にこやかに明るく話すことを心がけます。
ただ、相手が向こうにいる感じが薄いので、(今整理してて気づいたことですが)発言している間も、にこやかな表情とは裏腹に退屈さを感じていました。
それがまるで、自分を無理に明るく見せて、背伸びしているように思われたんだと思います。
それで、ふと、「自分って他の人からどういう風に見られたいんだろう」という疑問が生じて、「待てよ、そもそも自分ってどういう人間なんだ?それが分からない自分に、なんだか自信が持てない」というモヤモヤが生まれたというわけです。
というわけで、「自分はどういう人間でありたいか」「どういう人間として見られたいか」「今は実際どういう人間なのか」これらの疑問に対して、一度自分の本心を見つめたいと思いました。次の投稿でそれをすっきり整理できたらなと思います。
今こうしてモヤモヤの原因を整理してみたら、今回の交流会でなんとなく疲れてしまった自分を肯定することができて、すっきりしました。整理する前は、自分は交流会が苦手で、交流会を盛り上げる能力がない、なんとなく自分を偽ってしまうんだ、と思って落ち込んでいました。でも実際は「自分を偽るのに疲れた」という考えは過度な落ち込みだったとわかりました。初対面の人との会話で元気さを見せるのはある種の礼儀でもあるから、実際は退屈でも楽しげに話した自分は特に間違ってなかったと思えました。また、疲れを感じてしまったのはzoomでのコミュニケーションに臨場感がないせいだから仕方ないことだったと思うこともできました。