こんばんは。
僕のお気に入りの仏教説話で毒矢の喩えというものがあります。
ある人が仏陀に難しい哲学的な質問をしました。
その質問に対し仏陀は無記で答えました(答えを示さなかったという事です)。
しかし、その人は、その疑問が解決しない限り修行はもうしない、とまで言いました。
そこで仏陀はある例え話をしました。
ある人が毒を塗った矢で射られてしまいました。
周りにいた人が彼を助ける為に介抱しようとした時、彼はこう言いました。
この矢が何処から射られたのか、誰が、なんの為に、なんの木を、どんな石を、どんな鳥の羽を使い矢を作ったのか、何の毒が塗られてるのか…
これらが解決しない限り私は治療しない。
こう言っているうちに男は死んでしまいました。
貴方が解決したがっている問題もこれと同じものである。
目的を見失ってはならない。
仏陀がそう言うと、その人は修行を再開しました。
この様な話です。うろ覚えですが、大体あっているはずです。
因みにここで学問的な話をする気はないです。
僕がここで感銘を受けたのは、目標達成するという仏教の徹底したコンセプトです。
確かに取り組むだけで楽しい、重要そうな問題は沢山あります。
しかし、徹底して目的ベースで考えた時、果たしてそれは本当に必要でしょうか。
タスクに忙殺されかけた時、僕はこの話を思い出すようにしています。
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