声優で歌手の水樹奈々さんは、声優出身者として初めて音楽チャートの1位に輝くなど、めざましい活躍を続けています


幾度の苦難を乗り越え、つかんだ夢。あえて“二兎を追った”ことが、自身を成功に導く大きな力となりました







■5歳から歌い始め


亡き父の姿を思い出すと、どうしてもその光景がよみがえってくる


歯科技工士だった父、信光さんのもとで、歌の練習をする自分の幼い姿


父は自らも演歌歌手を目指した時期があった


果たせなかった思いを娘に託したのだ


最初の手ほどきを受けたのは5歳の時


以来、生活は歌を中心に回り始めた


必然、子供の楽しみは“お預け”の状態に


家でテレビを見ることはもちろん、放課後に友達と遊ぶことさえ禁じられたという


歯科用ドリルの音が伝わってくる自宅脇の作業場で、騒音に負けない声量をひたすら磨いた


それが今の歌唱力を支える根っこになった


結果からいえば、父の願いは見事にかなう


15歳でカラオケの全国大会を制し、芸能事務所にスカウトされ、四国から上京


20歳には歌手デビューを果たし、その略歴をざっと眺めた上では人生に目立った逆風は吹かなかったようにみえる


しかし…


「壁に突き当たって『私なんて』と思ったこともあるし、周囲の輝いている人を見てうらやましく思ったこともあった」という







■所属事務所が倒産


試練は上京後から始まった


平成7年、多くの芸能人が通う堀越高校に入学し、デビューの時を待ったが、なかなかその機会が訪れない


学校ではKinKiKidsの堂本剛さんや女優のともさかりえさんら同級生の活躍を尻目に仕事のない日々を過ごし、仕送りは月3万円のみ


家庭の経済事情を考えるとそれ以上は望めず、勉強に励んで奨学金の貸与を受けた


決定的なピンチに立たされたのは2年生のとき


スカウトしてくれた事務所が倒産してしまったのだ


このままでは、自分の居場所がなくなってしまう


救ってくれたのはボイストレーナーの先生だった


新たな所属先を探そうと途方に暮れていたとき、「私のためにわざわざ事務所を作ってくれた」という


それからは運命が徐々に好転し始める


卒業間際には歌手と同じように憧れていた声優でデビュー


そしてインターネットのラジオ番組をきっかけに開催した20歳記念コンサートで音楽プロデューサーの目にとまり、歌手の道にも踏み出せた


ただ、心が折れかけたことは何度もあった


高校2年から本格的に勉強を始めた声優については、周囲から「二兎を追うな」 「声優で名前を売って歌手への踏み台にしようとしているのでは」との痛烈な批判も


声優時代にNHK紅白歌合戦への出場の夢を語り、「声優には無理」と一蹴されたことも一度や二度ではなかった


しかし、真摯(しんし)に愚直に、夢を追うことはあきらめなかった


「誰に何と言われようと声優も歌も好き。中途半端に2つのものを追うのではなく、まっすぐ真剣に向き合えば、必ずそれは伝わるはずだ」


次第に歌のファンが増え、それはやがて楽曲の売り上げにも表れた


オリコンなど主要音楽チャートで声優出身者の歴代記録を次々に更新


公演会場も大きくなり、横浜アリーナ、西武ドーム…といった大会場で、数万人規模のファンを集めるまでに


声優としては初めての快挙だった







■憧れの紅白に


20代最後の年、その晴れ舞台はめぐってきた


平成21年の大みそか、東京都渋谷区のNHKホール


待ち望んだ紅白歌合戦は、想像以上の華やかさだった

初出場とは思えない堂々とした姿で、3千人近い大観衆に向かって歌ったのが「深愛」だ


肉親や友人ら身近な人への感謝の気持ちを込めた内容の歌詞に、前年75歳で亡くなった最愛の父の姿が重なった


自然と勇気がわいてきた


「周囲の目を気にしすぎたり、他人をうらやんだりしているときは、不思議とうまくいかないもの。あれこれ考える暇があるなら自分を磨き、前に進もうと考えるようになった」


昨年暮れにも紅白のステージに立つことができた


「二兎を追う」生き方は楽ではない


しかし、それをやめなかったことが大きな夢につながった


そして今はこう確信している


「前例のないことに挑戦すると、最初はびっくりされたり、否定的なことを言われたりする。でも、前例がないなら私がその前例になればいい」と


今年、初の自叙伝「深愛」を出版されました


「最初は私のような若輩が自叙伝なんて、と思いました。しかし歌手デビュー10年を迎え、歩んできた道と未来について考える機会が増えて。(子供のときのいじめや駆け出し時代のセクハラなど)辛い思い出を書くにはパワーが必要でしたが、すべての出会いや出来事が今の私を作っているということを知っていただきたくて」


娘が演歌歌手になることを夢見た父親は平成20年に亡くなりました


演歌への思いは?

「歌を大好きになったきっかけが演歌。父への親孝行でもあり、いつかは歌いたいですが、今ではないと思っています。演歌は人生の歌。ものすごい表現力が必要で、31歳の私ではまだ表現できません」


今後の目標は?

「憧れの美空ひばりさんが行われた東京ドームでのライブ。そして47都道府県でのライブです」







これを読んでると、深愛読んでる時と同じく涙が出てくる(;_;)


俺はいつまでも奈々さんのファンでいます(*^-^*)



声優で歌手の水樹奈々さんは、声優出身者として初めて音楽チャートの1位に輝くなど、めざましい活躍を続けています


幾度の苦難を乗り越え、つかんだ夢。あえて“二兎を追った”ことが、自身を成功に導く大きな力となりました







■5歳から歌い始め


亡き父の姿を思い出すと、どうしてもその光景がよみがえってくる


歯科技工士だった父、信光さんのもとで、歌の練習をする自分の幼い姿


父は自らも演歌歌手を目指した時期があった


果たせなかった思いを娘に託したのだ


最初の手ほどきを受けたのは5歳の時


以来、生活は歌を中心に回り始めた


必然、子供の楽しみは“お預け”の状態に


家でテレビを見ることはもちろん、放課後に友達と遊ぶことさえ禁じられたという


歯科用ドリルの音が伝わってくる自宅脇の作業場で、騒音に負けない声量をひたすら磨いた


それが今の歌唱力を支える根っこになった


結果からいえば、父の願いは見事にかなう


15歳でカラオケの全国大会を制し、芸能事務所にスカウトされ、四国から上京


20歳には歌手デビューを果たし、その略歴をざっと眺めた上では人生に目立った逆風は吹かなかったようにみえる


しかし…


「壁に突き当たって『私なんて』と思ったこともあるし、周囲の輝いている人を見てうらやましく思ったこともあった」という







■所属事務所が倒産


試練は上京後から始まった


平成7年、多くの芸能人が通う堀越高校に入学し、デビューの時を待ったが、なかなかその機会が訪れない


学校ではKinKiKidsの堂本剛さんや女優のともさかりえさんら同級生の活躍を尻目に仕事のない日々を過ごし、仕送りは月3万円のみ


家庭の経済事情を考えるとそれ以上は望めず、勉強に励んで奨学金の貸与を受けた


決定的なピンチに立たされたのは2年生のとき


スカウトしてくれた事務所が倒産してしまったのだ


このままでは、自分の居場所がなくなってしまう


救ってくれたのはボイストレーナーの先生だった


新たな所属先を探そうと途方に暮れていたとき、「私のためにわざわざ事務所を作ってくれた」という


それからは運命が徐々に好転し始める


卒業間際には歌手と同じように憧れていた声優でデビュー


そしてインターネットのラジオ番組をきっかけに開催した20歳記念コンサートで音楽プロデューサーの目にとまり、歌手の道にも踏み出せた


ただ、心が折れかけたことは何度もあった


高校2年から本格的に勉強を始めた声優については、周囲から「二兎を追うな」 「声優で名前を売って歌手への踏み台にしようとしているのでは」との痛烈な批判も


声優時代にNHK紅白歌合戦への出場の夢を語り、「声優には無理」と一蹴されたことも一度や二度ではなかった


しかし、真摯(しんし)に愚直に、夢を追うことはあきらめなかった


「誰に何と言われようと声優も歌も好き。中途半端に2つのものを追うのではなく、まっすぐ真剣に向き合えば、必ずそれは伝わるはずだ」


次第に歌のファンが増え、それはやがて楽曲の売り上げにも表れた


オリコンなど主要音楽チャートで声優出身者の歴代記録を次々に更新


公演会場も大きくなり、横浜アリーナ、西武ドーム…といった大会場で、数万人規模のファンを集めるまでに


声優としては初めての快挙だった







■憧れの紅白に


20代最後の年、その晴れ舞台はめぐってきた


平成21年の大みそか、東京都渋谷区のNHKホール


待ち望んだ紅白歌合戦は、想像以上の華やかさだった

初出場とは思えない堂々とした姿で、3千人近い大観衆に向かって歌ったのが「深愛」だ


肉親や友人ら身近な人への感謝の気持ちを込めた内容の歌詞に、前年75歳で亡くなった最愛の父の姿が重なった


自然と勇気がわいてきた


「周囲の目を気にしすぎたり、他人をうらやんだりしているときは、不思議とうまくいかないもの。あれこれ考える暇があるなら自分を磨き、前に進もうと考えるようになった」


昨年暮れにも紅白のステージに立つことができた


「二兎を追う」生き方は楽ではない


しかし、それをやめなかったことが大きな夢につながった


そして今はこう確信している


「前例のないことに挑戦すると、最初はびっくりされたり、否定的なことを言われたりする。でも、前例がないなら私がその前例になればいい」と


今年、初の自叙伝「深愛」を出版されました


「最初は私のような若輩が自叙伝なんて、と思いました。しかし歌手デビュー10年を迎え、歩んできた道と未来について考える機会が増えて。(子供のときのいじめや駆け出し時代のセクハラなど)辛い思い出を書くにはパワーが必要でしたが、すべての出会いや出来事が今の私を作っているということを知っていただきたくて」


娘が演歌歌手になることを夢見た父親は平成20年に亡くなりました


演歌への思いは?

「歌を大好きになったきっかけが演歌。父への親孝行でもあり、いつかは歌いたいですが、今ではないと思っています。演歌は人生の歌。ものすごい表現力が必要で、31歳の私ではまだ表現できません」


今後の目標は?

「憧れの美空ひばりさんが行われた東京ドームでのライブ。そして47都道府県でのライブです」







これを読んでると、深愛読んでる時と同じく涙が出てくる(;_;)


俺はいつまでも奈々さんのファンでいます(*^-^*)



さて…一息ついたし、今日の事を書こうかな



4時に起床


最寄り駅に5時17分着の電車で来る友達を迎えへ


5時40分くらいにウチに1回帰宅し荷物などをまとめて、マイミクさんとの待ち合わせ場所のファミマへ


家を出た時には55分でした…ちなみに待ち合わせは6時(^-^;
走って行ったけど、間に合わず…


着いてすぐに車に乗り、宇都宮へ向かいました


東名高速はやっぱ危ないですな…


予定では9時くらいに会場着く予定だったけど、30分前に着きましたニコニコ


…駐車場空いててよかった(笑)


着いてから、物販は何処だ?と10分くらい探し、ようやく発見


予想以上に人が並んでいたことに驚きましたw(°O°)w


最後尾に並び、朝飯喰ってなかったので近くにあったファミマへ

おにぎりもパンも一つも残ってなかったので、飲み物と菓子とゼリーを買って戻りました


その後マイミクさんの知り合いの方と合流

芋のお土産を貰いましたニコニコ


11:50に物販の販売開始

かなり暑かったので、早まったのかな?

まぁ…それから更に時間が掛かったけど(^-^;


2時くらいにようやく購入する所にたどり着き
ポスター×2
ポストカード各2つ
キーリング
を購入


その後、友達がFC会入してるのを待ちながら想いとLOVE & HISTORY購入し、ポスターをGET!


そしてマイミクさんの知り合いの方たちと合流し、NANACA交換に


ダブったヤツを交換したり、貰ったりして初めてNANACAをコンプしました(*^-^*)

1枚ダブりがあるけどw


そしてまたマイミクさんの車に乗せてもらい東京へ





物販のみ行ったのは今回初めてでした

やはりLIVE観たかったけど、当日券が販売されなかったという悲しさ…

でも静岡公演行けるから大丈夫だもん(;_;)


ちなみにセトリは

1.SCARLET KNIGHT
2.ETERNAL BLAZE
3.十字架のスプレッド
4.Take a shot
5.HIGH STEPPER 
6.Polaris
7.ストロボシネマ
8.Love Trippin'
9.DISCOTHEQUE
10.STORIES(アコースティック)
11.アルビレオ(アコースティック)
12.suddenly ~巡り合えて~
13.空と心と
14.Level Hi!
15.囚われのBabel
16.残光のガイア
17.Bring it on!
18.ミュステリオン
19.UNBREAKABLE
20.Pray

「~アンコール~」

21.New Sensation
22.POWER GATE
23.POP MASTER


だったそうです
さて…静岡ではどういじるのかな?