先日のヒプノセラピーで


前世が龍神とわかった女性


その場所が由良神社だった。


宮津にあります。


ここは、山椒大夫のお話の元


安寿たちが汐汲みしていた場所と言われています。


ウィキペディア参照


前(さき)の奥羽五十六郡の太守、岩城判官正氏の一族は、讒言(ざんげん。虚偽の悪行をでっち上げて人を陥れる事)によって筑紫に流された。本国に残され落魄した正氏の妻と、その2人の子供――姉の安寿姫と弟の厨子王は、正氏を訪ね求めて越後直江津にたどり着いたとき、人買いの山岡太夫の手にかかり、妻は佐渡二郎の手で佐渡に、姉弟は宮崎という人買いの手で丹後由良湊の長者である山椒太夫にそれぞれ売り渡された。山椒大夫のもとで姉弟は酷使された。弟は1日に3荷の柴を刈れ、姉は1日に3荷の潮汲み[2]をしろ、間があれば藻塩を焼く手伝いをしろ、糸を紡げ、と追い使われ、弟は柴刈り払う鎌を怨み、姉は潮汲む桶に泣いた。

ある日、安寿は厨子王に勧めて密かに逃れさせようとし、罰として額に焼け火箸を当てられた。しかし肌身離さぬ守りの地蔵尊のおかげで痕が付かなかった。

そして姉弟はついに、再会を約して逃亡を図った。姉を残して都へと行くのをためらう厨子王に、安寿姫は強く勧めて、弟が去った後、自身は山椒館の近くの沼に身を投げて亡くなった[3]。その亡骸は村人により丁重に葬られた[4]。時に永保2年正月16日、安寿16歳、厨子王13歳であったという。

一方、厨子王は丹後の国分寺に逃げ込んで寺僧に助けられ、京都七条朱雀の権現堂に送られた。さらにまた摂津天王寺に寄食するうちに梅津某の養子となり、ついに一家没落の経緯を朝廷に奏上した。結果、判官正氏の罪が赦された上に旧国を与えられ、讒言者の領地は没収されて厨子王に下賜された。

安寿姫の霊はその後も母と弟を守護し、岩城家再興の機運にめぐまれた厨子王は、丹後・越後・佐渡のなかで若干の土地を得たいと願い出てこれを許された。厨子王は、領主となった丹後に行き、かつて匿ってくれた国分寺の僧侶に謝し、山椒大夫とその子三郎とを鋸挽きの刑に処し、また越後で山岡太夫を討ち取った。報恩と復讐を果たした厨子王は、生き別れた母の行方を求めて佐渡にたずね歩くと、片辺鹿野浦で老いた瞽女(ごぜ)が鳥を追う唄をうたっているのに巡り会った。「安寿恋しやホゥヤレホ。厨子王恋しやホゥヤレホ」。厨子王は、この歌を聞いてこれぞ母と知り、駆け寄りすがりついた。うれし涙に、盲いた母の眼は奇(くす)しくも開き、母子は再び抱き合ったという。

🍀🍀🍀✨✨✨🍀🍀🍀🍀



売られてきたのは
14歳だった安寿と12歳の弟 厨子王丸
2年ほど働きづめに働かされていたのでしょう。

弟を逃し
沼に入水。かわいそうでしたね。



由良の話がでて  思い出しました。



{0649ED31-BD55-4A2D-AB19-50DA0DBD4530}