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呼ばれました・°°・(>_<)・°°・。

メッセージ   仲間が受け取りました

六角堂
聖徳太子
太子堂
代田


報告もらって

なになに?

代田 聖徳太子? 調べたら太子堂八幡神社があった

八幡さまね?いきまーす

行ってきたが、夜から気持ちがあがらない

なんだか悲しい

なんでかなあ     太子堂調べていたら




お寺があったのにいってない

いかなきゃ!と今日でむきました。

暑い・・・・


汗がしたたります



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この裏に作家さんの林芙美子さんが

住んでいたそう。

しずかな住宅街

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本堂 


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ご神木さま


お参りをしてから

ぐるりと見渡すと  太子堂が。

聖徳太子の像もありました。

夢殿に帰りたかったみたい


娘と行きましたが、娘が

あかるい人で、喜んでいたよといいます。

そうなん?

うん、踊り出したいくらい見たい。


「もしかして、法隆寺に帰りたい?」
「[うんそうじゃないかな なぜかわからないけど帰りたいみたい」

祈るとついてこられた。

わたしはここ数ヶ月

法隆寺そばで仕事をしてる

また8日から関西に行き法隆寺町に行くのは 9日

行きたいんだな。

とりあえず祈り。御霊お預かりしました。

あとは9日にお連れするのみ。

不思議だけどね、たまにあります。


で。


調べたらなるほど

開山は賢恵僧都で葛飾郡新堀村の生れである。
円泉寺の建立由来書によると、文禄1年(1592)賢恵僧都が大和国久米寺から聖徳太子像と
十一面観世音を背負って関東へ下った。
文禄4年当地に来て一泊した時、賢恵僧都が不思議な夢をみた。
聖徳太子が告げていうには「この地に霊地あり円泉ケ丘といふ。つ坤こ霊泉湧き出づ、永くここに安住せん。
汝も共に止まるべし」と、翌文禄5年12月本堂、聖徳太子堂、庫裡が完成、本堂には運慶の作といわれる
長さ約1mの十一面観世音立像を安置して本尊とした。
太子堂は、境内の中央にあり、約2間半4方で、長押に長谷の僧正動潮の筆になる「太子堂」の扁額がある
。聖徳太子の像は約1尺1寸で弘仁9年(818)春、天下に大疫病流行の時疾疫の消除と国民擁護のため、
弘法大師がこの尊像を精魂こめて作られたものと伝えられ、
難症難治の病をいやし給うた諸顧成就の尊像である。この堂が出来てから土地は繁栄し一つの村をなすようになり、
太子堂の号をとって太子堂村というようになった

久米寺からお像を持っていかれて
関東に来たけれど
御霊の入った聖徳太子の像の中の魂は
帰りたかったんだなとわかった。

久米寺は聖徳太子の弟 来目皇子の寺だけど・・・。

そちらも行けばいいのかしら・・・

9日の夜は橿原の駅そばのホテルに泊まる・・

久米寺はそのそばだ

神様って うまくしたもので ちゃんと承知されてる

私の行動を・・・たまたま行動に便利と取ったホテルは

全部関連という・・・。

法隆寺 久米寺 橿原神宮  そして 先日から調べて居る藤原について

全部つながって居る

私の先祖でもある・・

神様は無理も無駄もなさらない

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空海さま



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見事な夕日








太子堂


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